牡丹の再会

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牡丹の再会

「こちらの鉢植えのほうが、良いですよ」  鉢植え店の前で熱心に牡丹(ボタン)の鉢植えを選んでいた高鷲(たかす)章吾(しょうご)は、突然後ろから声を掛けられる。  振り返り目深に被っていた山高帽をくいと持ち上げると、目鼻立ちの整った可愛らしい容貌の見知らぬ少年が立っていた。  手拭いを頭に載せその上から麦わら帽子を被った野良着姿の少年は、引いていた小回りの利く小型の代八車を道の隅に寄せる。  代八車の荷台に唯一載っているのも同じ牡丹の鉢植えで、少年も鉢植え売りなのだが、彼が言う『こちら』とは自分のではなく、章吾が手に取った鉢植えの右隣にあるものを指していた。 「こっちのほうが(つぼみ)が大きくて、立派な牡丹の花が咲くと思うが……」  仕事柄、植物には詳しいと自負している章吾は、自分よりもかなり年下に見える少年の意見に賛同することができず反論した。 「もちろん、そちらも綺麗な花は咲くと思いますが、『綺麗な花を、()()()()()()()()()』という点においてはこちらが断然上です!」 「ふむ……そこまで自信満々に言い切られると、本当かどうか確かめたくなるな」  少年が絶賛する鉢植えを前に、章吾はしばし思案する。  二人のやり取りを見ていた鉢植え店の店主は、口を挟むべきか考えていた。  少年が自分のを買ったほうが良いと言ったならば「営業妨害だ!」と苦情を入れるところだが、彼が薦めているのも自分の店の商品。  迷った末に、黙って事の成り行きを見守ることにした。   「店主、これとこれ両方とも貰う」 「へい、毎度あり!」  思わぬ援軍で高い商品が二つも売れ、店主の顔も思わず綻ぶ。  ニコニコ顔で代金を受け取ると、籠に入れた鉢を章吾へ渡す。  少年へ礼を言おうと顔を向けたが、もうすでに彼の姿はどこにもなかった。  ◇ 「……そこの鉢植え売りの君、ちょっと待てくれ。少し聞きたいことがあるのだが?」 「何でしょうか?」  早足で追いかけてきた章吾から今度は逆に呼び止められた少年…千尋は、すぐに代八車を停めた。   「君が売っているのも同じ牡丹の鉢植えだと思うが、どうして私に勧めなかった?」 「理由は簡単です。それが一番良い牡丹だったから。その次が、これです」  最初に自分が選んだもの、続いて荷台に載っている鉢を順番に指さす千尋に、一切の迷いはない。  しかし、またしても自分の選んだものを否定された章吾は面白くなかった。 「では、その鉢も買おう。そこまで言い切るのなら、本当に君の言う通りなのか確かめてみる」 「買ってもらえるのは有り難いですけど……いいのですか?」 「これは、一種の賭け事だ。もし私の選んだものが一番だったら、君の店で一番高い鉢を安価で購入させてもらうぞ。どうする、賭けに乗るか?」 「もちろん、乗ります! もし私が勝ったら、今度鉢植えを購入されるときはうちのを買ってくださいね」 「わかった。約束しよう」  千尋のあまりにも自信たっぷりな物言いに章吾の負けず嫌いの気性が反応し、つい賭けをすることになった。  もちろん、章吾としては負ける気など毛頭ないが。    代金を支払い鉢を受け取ったが、鉢植え三つと仕事鞄を一度に持つのはかなりきつい。  二十三歳になっても子供っぽい自分の性格を猛省しつつ、ヒイヒイ言いながら章吾は道を急ぐ。  大通りで辻待ち自動車(タクシー)に乗り、屋敷へ帰ることにした。  ◇  都の目抜通りからは少々離れた運河沿いに、一軒の大店(おおだな)がある。 『高鷲(たかす)材木店』と書かれた大きな看板を横目に、章吾は躊躇なく店の中へ入っていった。 「「「「「お帰りなさいませ!」」」」」  威勢のよい従業員からの声に軽く頷いた章吾は、店の奥へ歩みを進める。  屋敷の渡り廊下を通らず、再び外に出て綺麗に手入れがなされた庭を横切っていると、母屋の日当たりの良い縁側で日向ぼっこをする着物姿の子供がこちらを向く。  色白のとても可愛らしい女の子だ。 「章吾おじさま、おかえりなさい」 「ただいま。加代(かよ)、今日は調子が良さそうだな?」 「ええ。いつもこうだと、学校へもいけるのだけど……」  六歳の加代は、この四月から尋常小学校へ入学した。  しかし、半月を過ぎたころから持病の呼吸器疾患の発作がぶり返し、今は主治医の勧めもあり自宅で療養中の身だ。  苦い笑みを浮かべる姪の頭をポンと優しく撫でた叔父は、持っていた鉢植えを差し出した。 「新しい花を買ってきたよ。また世話を頼む」 「わあ、今日はボタンなのね! おじさま、いつもありがとう。でも……」  花の種類がまったく同じ三つの鉢植えを前に、加代が戸惑っているのがわかる。  ここ二週間ほどずっと家の中で過ごしている姪の慰めになればと、時折、章吾は仕事帰りに鉢植えを買っていた。  しかし、あまり数が多いと負担になるだろうと、いつも一つだけに留めていたのだ。 「実は、わけあって今日は同じ種類の花を三つ買ってきた」  縁側に腰を下ろし、先ほど会った少年との経緯を話して聞かせると、加代は目を細めて笑いだした。 「ふふふ、『どっちが選んだ鉢植えが、長くきれいな花を咲かせるか』だって……。それで、勝ったら何がもらえるの?」 「彼は『私が勝ったら、これから鉢植えはうちで買ってほしい』と言っていた」 「じゃあ、おじさまが勝ったら?」 「彼の店の商品の中で一番高い鉢植えを、安価で譲ってもらう約束になっている。まあ、そもそもこれは子供の遊びみたいなものだが……」 「その子どもの遊びでも、負けるのはイヤなのよね……負けず嫌いのお・じ・さ・ま?」 「ハハハ……」  何でもお見通しの姪の追及を笑顔で誤魔化し、三つの鉢にそれぞれ印を付けた章吾は「では、世話を頼む」と言い残して店へ戻っていった。  それから数日後───  仕事の合間を縫って、鉢植え売りの少年を必死に探す章吾の姿があった。
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