老桜の見守り人

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 覆いの撤去と土壌の改良工事をしてから、三日後。  桜の木の状態を確認した千尋が許可を出し、今日ついに枝の剪定作業を行うことになった。    剪定作業は、千尋に枝を見極めてもらいながら大吾が一人で行う。  足場を行き来し、脚立も使用しながら、大吾は迷いなく作業を進めていく。  少しずつ枝が切り落とされていく様子を、外の柵から村民が見守っている。  その中には、喜助や村長の姿もある。  誰もが、桜の木の再生を願っていた。  ◇  数日後、桜の木は新たな姿となっていた。  不要な枝は大吾によってすべて剪定され、章吾によって幹の傷と切り口には枯れ込みと菌の繁殖を防ぐための保護処理が丁寧に施されている。  残された太い枝は支柱でしっかりと支えられており、幹への負担も軽減された。  あとは桜の木自体の生命力を信じるしかないが、千尋の様子を見る限りその心配はないと章吾は思っている。  それというのも、桜の木が千尋へあれこれと申し付けているようで、彼女は毎日振り回されぐったりとしていた。  桜の木は、自身の周辺に植えられている他の若い桜の木たちのことを心配しているようで、章吾たちもその都度、枝の剪定や栄養剤の散布などに動員されている。  今でこれほど元気ならば、休眠後は桜の木はいったいどんな状態になっているのだろうか。  来年の春が楽しみでもあり、少々怖い気もしている章吾だった。  ◇ 「章吾兄~! 賢吾兄からこんな電報が届いたぞ!!」  それは、この村へ来て十日が経過したころだった。  先に宿へ戻ったはずの大吾が、電報を手に血相を変えて走り込んできたのだ。 『シゴトスミシダイ スグモドレ ケンゴ』 「仕事が終わり次第、すぐに戻ってこいとある。何か、あったのか……」 「用事を済ませてから帰ってこいということは、おじいさまが危篤ってことではないな」 「コラ! おまえは縁起でもないことを言うな!!」 「普通は、そう思うだろ!」  兄弟で睨み合い少々険悪な雰囲気のなかへ、千尋が構わず割って入る。 「と・に・か・く! 早く戻ったほうがいいのではないですか?」 「「……そうだな」」  桜の木が元気になった今、もうここですべきことはない。  章吾は村長へ事情を話し、明日、三人は都へ帰ることが決まった。    ◇  翌日、村を発つ三人へ村人が次々に礼と別れの挨拶を述べ、笑顔で去っていく。  大吾と千尋が村人と言葉を交わしている様子を眺めていた章吾のもとに、喜助がやって来た。 「これを、アンタに……」  喜助が章吾へ差し出したのは、細長い箱。  中に入っていたのは、桜の花飾りが付いた木製の(かんざし)だった。   「昔、自然に落ちたあの桜の枝で、オラがつくったものだ」 「喜助さんは、簪職人だったのですか?」 「もう、とっくに引退しているが、腕はそう(なま)っちゃいねえ。これは、先生の()い人にでも、やってくれ……」 「あ、ありがとうございます」  『好い人』と聞き、章吾が無意識に目で追ったのは鳥打帽を被った人物。  箱を渡すと、喜助はすぐに行ってしまった。  別れの挨拶もなく最後まで愛想はなかったが、章吾はしっかりと彼の気持ちを受け取っていた。  ◆◆◆  三人が汽車で都へ向かっているころ、高鷲家にはある客人が訪れていた。  応接間で賢吾と向かい合っているのは、白衣を着た人物。  しかし、彼は薬師ではなく、とある華族に仕える典医だ。  三条秀雄(ひでお)、二十八歳 ―――― 千尋の元許婚、(みのる)の長兄だった。 「こちらの急なお願いにもかかわらず、すぐに対応いただきましたこと感謝申し上げます」 「いいえ、とんでもございません」  忙しい賢吾が、初対面である秀雄からの申し入れに対し丁寧な対応をするのには理由があった。  秀雄が仕えるのは子爵家で、高鷲材木店の顧客である男爵家が懇意にしている家だ。  その男爵家からの直々の依頼とあれば、無下にはできない。 「それにしても、驚きました。千尋さんが、弟さんの許嫁だったとは……」 「お恥ずかしい話ですが、弟と千尋さんの間に些細な行き違いがありまして、彼女が家を出てしまわれたのです。当家で密かに行方を捜しておりましたところ、こちらで働いているとの噂を耳にしまして、それで先日お伺いした次第です」 「彼女は非常に優秀な人物でしたので手放すのは惜しいですが、そんな事情でしたら仕方ありません」  華族の権威をちらつかせ「弟の許嫁を返してほしい」と言われてしまえば、さすがの賢吾も嫌とは言えない。  急いで章吾へ電報を送り、早めの帰宅を促したのだった。 「この件につきましては、どうぞご内密に願います」   「もちろん、心得ております」 「では、来週にでも迎えの者を寄こしますので、よろしくお願いいたします」  にこやかな笑みを浮かべた秀雄が帰ったあと、応接間で賢吾はふう…と息を吐く。  千尋を手放すのは惜しいと思わず本音は漏れてしまったが、相手の機嫌を損ねることなく対処できたと安堵する。  いくら大店であっても、華族の威光を笠に着た相手には太刀打ちできない。  長い物には巻かれるしかないのだ。  愛娘の嘆き悲しむ顔が脳裏に浮かんだが、こればかりはどうしようもない。  秀雄から口止めされた以上、詳細を自分の口から説明することはできず、加代にどう納得してもらおうかと頭を悩ませる父賢吾であった。  ◇  無事帰還した千尋は、挨拶もそこそこに賢吾から大事な話があると執務部屋へ呼び出される。  御神木のときとは違い他の者の同席を許さなかった賢吾は、留守中にあった出来事を報告し、来週三条家から迎えが来ることを告げた。 (やっぱり……)  嫌な予感というものは、得てして当たってしまうもの。  街中で静子たちと遭遇した日から、千尋はいつかこんな日が来るのではないかと覚悟はしていた。  街の噂では、三条薬房から顧客がどんどん離れているのだという。  薬の効きが悪くなったと(もっぱ)ら悪い評判ばかりで、このままでは店の存続も危ぶまれるほどらしい。  直々に秀雄が高鷲家にまでやって来たことには驚いたが、おそらく能力が知られてしまったわけではなく、薬草を栽培する手腕が評価されたのだろうと千尋は考えた。  ちなみに、三条薬房の薬の効きは今が通常の状態。  千尋が育てた薬草で作られた薬が効きすぎたというのが本当の話なのだが、真実を知る者は千尋も含め誰もいない。  暗い気持ちのまま、千尋は「わかりました」とだけ答え部屋を出る。  様子のおかしい千尋を章吾たちは心配したが、「今夜、お話します」とそれ以上何も語らなかった。
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