前途を照らす光

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前途を照らす光

 千尋が三条薬房を訪れてから一週間後、店には閑古鳥が鳴いていた。  これまで、仕事上の付き合いと義理で購入してくれていたわずかな顧客たちが潮が引くようにいなくなり、開店休業状態となっている。  店に残されていた優秀な薬師たちも見切りをつけて、自ら辞めていく。  彼らが次の仕事を求めて向かった先は、都の中心部からは外れた住宅街の中にある店……加代の薬を買っている藤島薬房だった。    三条薬房から流れてきた客が、別の客に紹介する形でどんどん膨れ上がり、大挙して押しかけてくる客に店は悲鳴を上げていた。  薬師が店主一人しかいない店は需要に対応できず、従業員を新たに雇うことを決め募集をかける。  そこにやって来たのが、三条薬房を辞めた薬師たちだったのだ。  彼らは藤島の製薬技術に感銘を受け、己の未熟さに気付き、高価な薬草を使用しなくても薬の効果を高められる技術を磨いていく。  こうして、千尋の父の技術は多くの薬師たちに受け継がれていくことになる。  ◇◇◇ 「くそ! 何でこんなことに……」  誰もいない静まり返った店内で、実は独り()つていた。  師走に入り、街が年越し準備の買い物客で賑わうなか、三条薬房はひっそりと暖簾(のれん)を下ろす。  店を廃業することが決まった時点で、ようやく静子との婚約解消も決まった。    祖父が創業し父が大きくした店を、まさか自分の代で潰すことになるとは夢にも思っていなかった。  薬師ではなく医師になりたいと、家業は継がず華族の典医にまでなった兄。  しかし、次男に薬師としての才はなく、三男の実に期待がかかった。  その期待に応え優秀な薬師だともてはやされた自分がなぜ、どこで道を誤ったのだろうか。   「……実、ここにいたのか」  薄暗い店内に現れたのは、大きな荷物を抱えた兄の秀雄だった。 「兄上、その荷物はどうされたのですか?」 「典医を……お役御免になった」 「!?」  あまりの衝撃に、実は言葉を無くす。  店が潰れ兄が失職と、まるで呪われているかのように受難が続く。  驚き固まる弟へ、秀雄は力なく笑った。 「これも、これまでの行いの報いが返ってきただけかもしれないな……」  権力を盾に、傍若無人に振る舞ってきた付けが回ってきたのだと秀雄は冷静に語る。  実の訴えで、秀雄はこれまでしてきたように高鷲家にも圧力をかけようとした。  千尋との婚約を取りやめさせる目的で、材木店の売り上げにも影響が出るように。  しかし、あちらへは影響がまったく出ないばかりか、こちら側に甚大な被害が出始めた。  そして、最後には秀雄本人へも。 「どうやら、高鷲家には強力な後ろ盾があったようだ」 「……私たちは、これからどうすればいいのでしょうか?」 「また、初心にかえって一から出直そう。私は医師として。おまえは薬師としてな」  秀雄は実へ手紙を見せる。それは、次男から届いたものだった。  上方で商人の修業をしていたが、都へ戻りここで新たな商売を始めること。  自分が、いずれ家業も再興させるつもりだとも書かれている。 「そうそう……今日、千尋さんに会ってきた」 「彼女は、今どうしているのですか?」 「高鷲材木店で働いている。元気そうだった」 「そうですか……」  実は、元許嫁の姿を思い浮かべる。 『このままでは、三条薬房は潰れます。それを回避するために、実さまには今一度、薬師としての修業をやり直していただきたいです』  あの日、千尋の言葉に素直に耳を傾けていれば、こんな結果にはなっていなかったのだろうか。  考えても無意味なことを、実はつい考えてしまう。  千尋はこうなることがわかっていたのだ。  だから、苦言を呈してくれていたのに……実は、悔やんでも悔やみきれない。 「薬草園と家を彼女に返して、金を返却してもらった。とりあえず、これで年は越せるだろう」  今の三条家にとっては大金であり、当面の生活費となるもの。  自分が色を付けた分が、こんなところで活きてくるとは……あまりの皮肉さに、実は乾いた笑いしか出なかった。  ◆◆◆ 「菊乃さま、お手紙でございます」 「ありがとう」  日課である仙人掌の世話をしていたキクは、テーブルの上に重ねて置かれた数通の手紙の一番上から順に目を通していく。  これは、差出人名を見て勇が優先順位をつけたもので、上に置かれた手紙ほど重要度が高いことを示している。 「薬草園と実家が、無事千尋ちゃんへ返却されたわ」 「そうですか」 「年が明けたら、実家へ戻るそうよ」 「それは良かったですね」  淡々と返事をする秘書を、キクは見つめる。  勇は興味がないように装っているが、誰よりも一番気にかけていることを知っている。  そうでなければ、他の重要度の高い手紙を差し置き、千尋からの手紙を一番上に置く必要はないのだから。 (せんせーが合格しなければ、今頃はどうなっていたのかしら……)  千尋へ協力するにあたり、キクは章吾を試した。  三条家からの圧力に怯まず彼女へ手を貸すかどうか、観察していたのだ。  高鷲家は商売をしているため、圧力がかかれば店への影響は絶対に避けられない。  章吾が躊躇したとしてもキクが責めることはなかったが、三条実との話し合いの立会人は勇となり、いずれ千尋を彼の許嫁にしようと本気で考えていた。  千尋が誰に思いを寄せているかわかっていたが、彼女を守るためには仕方ないと心を鬼にし、二人を結婚させていたことだろう。 「今後、また起きるかもしれない面倒事を避けるために、千尋ちゃんをわたくしの養女にしておこうかしら?」 「それは、絶対にお止めください。千尋さんを、骨肉の遺産相続争いに巻き込むおつもりですか? 後見人という立場で、十分かと……」 「それも、そうね……」  やはり、勇は千尋のことをしっかりと考えている。  素直じゃない秘書に含み笑いをしつつ、手続きを進めるよう申し付けたキクだった。  ◆◆◆  本日は、大晦日。  家長である賢吾が、家族を前にしみじみと語っていた。 「三条薬房の一件を我が生涯の教訓とし、己を戒めようと思う」  三条薬房の廃業は、世間に少なからず衝撃を与えた。  あれほど栄華を極めていた大店が、あっさりと無くなってしまう現実。  実と同じ三代目である賢吾は、決して他人事ではなかった。  初代が創業した店を、二代目は大きくしようと努力を重ねる。  そして、それを三代目が受け継ぐのだが、労せずして得てしまった地位に胡坐(あぐら)をかき傲り高ぶってしまうと、身代(しんだい)をすべて失うこともある……実のように。  店の経営を安定させ、さらに発展させることができるか否かは、すべて三代目の手腕にかかっているのだ。  賢吾の言葉に、家族は大きく頷いている。  こうして、高鷲家は粛々と年越しを迎えたのだった。    ◇◇◇  翌日の元日、千尋と章吾、大吾と加代は、隣町にある神社へ初詣に来ていた。  晴れ着を着た加代はお人形のように可愛らしく、千尋や叔父たちの口もとも思わず綻ぶ。 「千ひろさんは、また実家へかえってしまうのよね?」 「実家には戻りますが、薬草栽培と並行してこれからも仕事のお手伝いはさせていただきます。それに、私は章吾さまのような樹医になるための勉強も始めるのです」 「おじさまが、先生になるの?」 「はい。ですから、『章吾さま』ではなく『章吾先生』とお呼びしなければいけませんね」  これから忙しくなります!と、楽しそうに話をしている千尋と加代の後ろで、大吾がコソッと章吾へ耳打ちをする。 「……千尋なら、章吾兄より優秀な樹医になるんじゃないか?」 「ハハハ、それは間違いないだろうな……」  すぐに、自分は追い越されてしまうだろう。  しかし、章吾はそれでも構わないと思っている。  師から教授された知識と技術を受け継いでもらえるのは、何よりも嬉しいことなのだ。  希望に満ちた瞳で今年の抱負を語る千尋を、章吾は頼もしく眺めていた。  ◇  参拝を終えた千尋へ、章吾がどうしても見せたいものがあると言う。  大吾はそれが何かすぐにわかったが、黙ってついていく。  参道からは少し外れた場所にあるのは、二本の大きな(くすのき)……この神社の御神木である夫婦楠だった。 「以前、章吾さまが治療されたという楠ですか? 立派ですね」 「これは、二本とも樹齢が千年と言われているんだ」 「千年……都にもこんな御神木があったなんて、全然知りませんでした」  夫婦楠は根本を守るために柵が設けられており、千尋が幹に手を当て会話できるか試すことはできない。  しかし、暴風で受けた傷や枝の切り口に異常はなく、順調に回復していることは千尋によって確認された。 「さて、用事も済んだことだし、そろそろ帰るぞ」  お目付け役の章吾は三人へ声をかけたが、加代と大吾はわかりやすく不満をあらわにする。 「わたしは、まだ帰りたくないわ……」 「だったら、帰りに茶店に寄って団子でも食べないか?」 「それがいいわ!」 「よし、行くぞ!!」  章吾から反対される前にと言わんばかりに大吾と加代がさっさと歩き出し、そのあとを、はあ…と大きなため息を吐いた章吾が続く。  そんな三人を千尋は眺めていた。  いろいろあった昨年を振り返り、穏やかな日々が送れることの幸せを嚙みしめる。  これからも、こんな日常が続きますようにと願わずにはいられない。 「……君も、団子を食べるのだろう? 早く行かないと、あの二人において行かれるぞ」  立ち止まったままの千尋を、章吾が待っていた。  ほんの些細なことが、彼女の心をいつも温かくしてくれる。 「お待たせして 申し訳ありません」  急いで駆け寄った千尋に、章吾は笑顔で頷いた。
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