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ビワは甘いか、酸っぱいか
路面電車を降りた章吾は、懐から手帳を取り出すと足早に歩き出す。
都の中心部からは外れた住宅街の中に、お目当ての店があった。
「『藤島薬房』……ここか」
店の前に掲げられた看板で店名を確認した章吾は、建物を見上げる。
左右対称に建築された洋館で、看板がなければ誰も薬房とは思わないであろう佇まい。
異国情緒あふれる建造物の店名を再び確認したあと、ドアを開け中へと入っていった。
◇
店の中は天井が高く、おしゃれな縦長の窓に、清潔感のある白い壁。
店内に立ちこめる薬草の匂いだけが、ここが薬房であることを認識させる。
「いらっしゃいませ。本日は、どのような薬をお求めでしょうか?」
出迎えたのは三十代前半と思われる男性。
白衣を着用していることから、薬師のようだ。
「この薬草が入った薬が欲しいのですが……」
昨日、千尋は店名と住所の他に、ある薬草の名を章吾に伝えていた。
店主へこう言えば、欲しい薬が伝わりやすいからと。
「この薬を服用される方は、呼吸器疾患をお持ちですか?」
「はい」
「なるほど、わかりました。すぐに準備いたしますので、そちらへお掛けになってお待ちください」
カウンター席の端に座りぼんやりと窓の景色を眺めていると、章吾の前にコトリとお茶と団子が置かれる。
顔を上げると、柔和な笑みを浮かべた女性だった。
「自家製のヨモギ茶と、ヨモギ団子です」
「あ、ありがとうございます」
洋風な建物の中で、純和風なお茶と和菓子を頂く。
これぞまさしく『和洋折衷』と言うのだろうかと思いながら串を手に取り、小ぶりの団子が三つ並んだうちの一つを口に入れる。
団子の甘さの中にもヨモギの香りがしっかりと主張しており、お茶を口に含めば、少々の苦みと渋みがさらりと口の甘さを流す。
甘さと苦みの相乗効果であっという間に完食してしまった章吾を、女性が目を細め眺めていた。
「お待たせしました」
男性が店の奥から戻り、章吾は薬の服用方法などの説明を受ける。
代金を支払い薬袋を鞄にしまったところで、どうしても気になったことを尋ねてみることにした。
「なぜ、このような洋館で薬房を開業しようと思われたのですか? 先ほど頂いたお茶やお茶菓子が、とても美味しかったものですから……」
薬房より茶房のほうが……と暗に伝えた章吾に、男性は苦笑いを浮かべる。
「ハハハ……これは、妻の趣味なのですよ」
「奥様の?」
「お客様が薬をお待ちいただいている間に、お茶とお茶菓子を提供しようと考えておりましたところ、この空き物件を見つけて『ここだ!』と即決しました」
にこやかな笑顔で話す女性の隣で、微妙な表情の男性。
この夫婦の力関係が見えたような気がして、章吾はさり気なく目を逸らした。
「以前は、異国の外交官が所有していたと聞いております」
「そうでしたか。私的なことをお尋ねして、申し訳ありませんでした」
頭を下げると、会話の切りがついたタイミングで立ち上がる。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました。これからも、どうぞ御贔屓に」
女性の見送りを受け章吾がドアを出たところで、男性が声をかけた。
「私も……あなたに一つお尋ねしてもいいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「こちらには初めてお越しいただいたようですが、どうして私どもの薬房を?」
「実は、これまで使用していた薬の効きが悪くなりまして、知人がこちらを紹介してくれました」
「……もしかして、以前の薬は『三条薬房』のものですか?」
「はい、そうです」
「そうですか、お客様も……」
男性は何か考え込んでいて、女性は黙ったまま夫を見つめている。
章吾は気になったが路面電車の時間もあり、そのまま店を出た。
停留所へ向かいながら、ふと思い出したのは昨日のこと。
『やっぱり、最近の薬の効き目が悪くなっているのですね……』
千尋が、何気なくぽつりと漏らしたこの言葉。
そして……
『そうですか、お客様も……』
男性も、それを裏付けるような発言をしていた。
(おそらく、何らかの理由で薬の品質が下がったのだろうな……)
知らないうちに自分の足が止まっていることに気付いた章吾は、懐中時計で時間を確認し慌てて駆けだす。
その横を、無情にも路面電車が抜き去っていった。
◇◇◇
千尋は、いつものように野良着に着替えると、長い髪をくるりと一つに巻いて手拭いと一緒に麦わら帽子で押さえこむ。
「よし、準備は完璧! じゃあ、おじいちゃん、おばあちゃん、行ってきます!!」
「千尋、気を付けるんだよ」
「いってらっしゃい」
「はーい」と元気よく返事をし、千尋は勢いよく引き戸を開け……再び閉めた。
「千尋ちゃん、どうしたんだい?」
「……ううん、何でもない」
曖昧な笑みを浮かべたあと、千尋は再度戸を開け後ろ手でゆっくりと閉める。
それから、正面で仁王立ちしている人物へ顔を向けた。
「……おはようございます」
「おまえ……さっきは何で戸を閉めた? この俺を待たせるとは、いい度胸だな」
「あの、先日から何度も言っていますが、私は仕事がありますので、あなたに付き合っている暇はありません!」
男性の目を見ずに言いたいことだけを告げると、千尋は代八車を引き歩き出す。
彼女なりの精一杯の早歩きで、『これ以上、会話をする気はないです!』と自己主張をしながら。
しかし、残念ながら相手は空気の読めない人物だった。
千尋の抵抗も空しく、当たり前のように後を追ってきて彼は隣に並んだ。
「今日は、幾らだ?」
「…………」
「この商品が全部で幾らか?と、俺は訊いている」
「ですから、そういうことではなく……」
「金を置いておくから、我が家まで納品しろ。いいな?」
「あっ、ちょっと待ってください!!」
有無を言わせず高額紙幣をポンと無造作に荷台へ置くと、今度は男性がさっさと歩いていく。
背が高い彼は歩幅が大きく、背の低い千尋の早足くらいでは到底追いつけないだろう。
届け先はわかっているからと、千尋は追いかけることを早々に諦め、まずはお札が風に飛ばされる前に回収することにした。
きちんと懐にしまい先へ目を向けたときには、もうすでに男性の姿はない。
「あの人の『弟』だなんて、未だに信じられない。絶対に、何かの間違いだよね……」
ハアーと大きなため息を一つ吐き、重い足取りで目的地に向かって歩き出す。
ここ最近、千尋の仕事は午前中で終了することが多い。
もっと厳密に言えば、家の引き戸を開けたところですべて売り切れてしまうのだ。
(どうして、こんなことになっているんだろう……)
もちろん売り上げがあるのは素直に嬉しい。鉢植えが完売するのも、在庫を抱えずに済むので大変有り難いことではある。
しかし、何かが違う。こんなことを、自分は一切望んでいない。
遠い目で空を見上げると、千尋の現在の心境を表すかのような曇天が広がっていた。
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