ビワは甘いか、酸っぱいか

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 あれは、千尋が初めて高鷲家を訪れてから十日ほどが経った日だった。  章吾からの依頼を受け鉢植えの納品を終えたあと、千尋は加代と一緒に縁側でお茶を飲んでいた。  この日、章吾は仕事のため不在で、縁側には千尋と加代と女中の三人のみ。  千尋が紹介した薬房の薬はよく効き、加代の症状は以前のように安定しつつあった。  この調子なら学校へもまた通えるようになるとの話に、満面の笑みを浮かべていた千尋の後ろから大きな影が差す。  振り向くと、職人姿の精悍な顔つきの若い男性が立っていた。 「……たまたま害虫を見つけたことで章吾(にい)を丸め込み、牡丹の花で加代を(たぶら)かした『千尋』といかいう小僧は、おまえのことか?」  憎々しげに鋭い視線を投げつけてくる男性はいろいろな誤解をしているようで、千尋の目は一瞬にして点になる。 「あ、あの……」 「章吾おじさまは丸め込まれていないし、わたしはたぶらかされてなんかいません。それに、千ひろさんはれっきとした女性よ。勘ちがいしないで!」 「はあ? こんな(なり)で、女なのか? ふ~ん……」  男性から見下ろされるかたちで()めつけられるように見られ落ち着かないが、怪しい人物ではないと証明するためじっと我慢する。  彼は、以前千尋が話に聞いた章吾の弟で名は大吾。加代のもう一人の叔父で、歳は千尋の一つ上の十九歳だ。  どうやら彼は納得したのか、そのまま加代の隣に腰を下ろし女中へお茶を要求した。 「千ひろさん、大吾おじさまが失礼なことを言ってごめんなさい。父さまや章吾おじさまと比べると少々……でも、悪い人ではないのよ」  加代は幼いのに本当にしっかりしていると感心しつつ、千尋は男性をそれとなく観察する。  どことなく二人と雰囲気が似ていて、穏やかで優しげな章吾とタイプは異なるが大吾もかなりの男前だ。  彼がよく日焼けしているのは、植木屋を生業としているからなのだろう。 「おじさま、千ひろさんはすごいのよ。ツボミを見ただけで、どの花がきれいに長く咲くのかわかるんだから!」 「それくらい、俺だってわかるぞ」 「ふふふ、樹医のおじさまでも勝てなかったのに、大吾おじさまが勝てるはずがないわ」 「じゃあ、章吾兄の(かたき)をついでに取ってやる。おまえ、今から俺と勝負をしろ!」 「……はい?」 「あそこのビワの木から一番だと思う実を選んで、味で勝負だ」  大吾が指さしたのは、庭の一角に植えてある立派なビワの木。  ちょうど旬を迎え、橙色の実がたわわに生っている。 「おじさま、どうして『花』ではなく『くだもの』で勝負するの?」 「一番の理由は、この場ですぐに勝敗がわかるから。それに、勝負するなら、自分が勝てそうな分野で戦うのが当然だろう?」 「あっ、おじさまズルい!」  毎年この時期になるとたくさん実るビワの実を収穫するのは、植木屋である大吾の役目。  これまでの経験値で、彼の頭の中には美味しいビワの情報が蓄積されており、それを利用して大吾は千尋に勝つつもりでいた。 「では、おじさまが負けたら、千ひろさんの鉢植えをすべて買ってね」 「ああ、いいぞ。何なら、店ごと買い取ってやってもな……ハハハ!」 「あ、あの、私は勝負するなんて一言も……」  叔父と姪の間で勝手に話が進んでいるが、私は受けるなんて一言も言っていないです!  千尋は大声で叫びたかった。 「千ひろさん、本気を出してね! じゃないと、負けたら大吾おじさまにこき使われるわよ」 「えっ!?」 「ああ、俺が勝ったら、ただ働きをしてもらうから、覚悟しておけ!」  なぜ私が、そんなことを……理解も納得もできないまま、千尋の意思は無視され二人の間で話がどんどん進んでいく。  かくして、勝負が行われた。  脚立の上から真剣にビワの実を吟味している大吾とは対照的に、千尋は木の周りをぐるりと一周すると「あれにします」と即断即決。    そして、結果は…… 「な、なんで、こんなに味が違うんだ!」 「おじさま、残念でした。この勝負は、千ひろさんの勝ちということで」 「よし、もう一度勝負だ! 次こそは、絶対に勝つ!!」 「一番美味しいのは今採ってしまったので、次のは味が落ちると思いますが……」 「それは、負けたときの言い訳か? とにかく、俺は負けないぞ!」 「…………」  大吾の辞書に『引き下がる』という言葉はないようだ。  この様子だと、自分が勝ち続ける限り永遠に終わらないのでは?  しかし、わざと負けたらただ働きをさせられる。  千尋がどうしたものかと考えを巡らせていると、屋敷のほうで物音がした。 「……騒々しいが、何をしているんだ?」 「章吾おじさま、おかえりなさい。今ね、千ひろさんと大吾おじさまが勝負しているのよ」 「勝負?」  ちょうど仕事から帰宅した章吾も交え、再び試食会が始まった。 「千ひろさんの言う通り、さっきのよりは味が落ちるけど、それでも大吾おじさまのよりは遥かに美味しいわ……」 「そうだな。さっぱりとした甘さに、瑞々しい果肉。これでも十分に美味しいが、これより上だったというビワを私も食べてみたかったな」 「ぐぬぬ……」  悔しそうに歯嚙みする大吾は、その後も勝負を申し出たが、千尋の「もう数日おかないと、他のビワはまだ美味しくないですよ!」の声に圧され、この場はおとなしく引き下がる。    このまま大吾は諦めると思っていた千尋だったが、その考えは非常に甘かった。  章吾以上に負けず嫌いの大吾は、結局、この後も店まで押しかけては勝負を挑み続け、店の売り上げに大きく貢献したのだった。  
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