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【プロローグ】「禍《わざわい》の影」
すぐ近くで波の音がする。規則的なようで不規則に揺れる部屋では、吊るされた小さなランプが同じように小さく揺らめいていた。薄暗い室内は、時折ギイギイ木が軋む音が響く。小さな部屋は全て木製で、簡易的なベッドに小さな机と椅子が一つずつあるだけだ。丸い窓からは、月明かりに照らされた大きな水面が波を立てている。そう、ここは船の中の一室だ。
その小部屋で黒髪の男が一人、ベッドに横たわっていた。まだ青年と呼ぶには少し早い、少年の面影を残した男だ。長めの前髪の下には、長いまつげがまぶたを縁取り、すっと通った鼻筋に薄い唇と、瞳こそ閉じてはいたが顔立ちは整っている。黒っぽい服装に身を包んだ男は毛布もかけず、その右手を腹の上に乗せて、その手の下に古びた黒い帽子をはさみ、静かにそれを上下させていた。どうやら眠っているようだ。
窓の外から差し込む光が急に弱くなった。月が雲に隠れたのか、部屋は急に薄暗くなる。心なしが、ランプの燃える炎ですら、小さくなった気がした。
声は唐突だった。
(ヨクゾ カイホウシテクレタナ……。ホメテヤロウ……)
その声に、男は即座に瞳を開いた。姿勢はそのままに首だけを動かすと、自分の枕元に黒い影が見えた。ゆらゆらと揺らめいて、人型の影のようにも見えるそれは、口元と思しきところだけ、青黒く裂けていた。
黒髪の男は無言のまま、その影を睨みつけていた。
(ナゼ ヒカリノチヘムカウカハ シラヌガ ワレノノゾミモソコニアル……)
「……お前は……!」
と、そこで男はぐっと固唾をのんだ。そして声を抑えるようにして、静かに問いかけた。
「…………まさか、私を追ってきたのか?」
男は探るような視線を影に向け、静かにその上半身を起こした。男の小さな問いかけに、影は笑うように震えた。
(モクテキチガ イッショノヨウダナ……。オマエガノゾムナラ トモニイッテモヨイゾ……)
影の言葉に、男はその黒い瞳を鋭くした。
「ふざけたことを……。私がお前と共にあると思うのか? 私がなそうとしていることは、お前を止めること……ただそれだけだ」
低い声だが、強い決意を込めて答える男に、影は歪んだ口元を初めて下に歪めた。
(ホウ……ソレハ イガイダナ……。オマエノ ソノ チカラノオカゲデ ワガノゾミモ ゾウフクサレタトイウノニ……。ナガキフウインヲ ウチヤブレルホドニナ……)
「私の力……だと?」
睨みつけていた鋭い瞳が、わずかに見開かれた。明らかに動揺した風な男に、黒い影は大きな口を裂くように開いて笑った。
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