錦繡白蛇

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 秋も闌、行楽日和。独りで気儘に登山するのが好きな学生は、錦繡の山々に誘われてやって来た。彼が満山紅葉する景色に溶け込むような紅顔の美青年だからか、滅多に姿を現さない白蛇が女のようにくねくねと草むらから誘い出されるように出現し、鎌首を擡げ彼を一瞥するなり恥ずかしそうに彼の前を横切って向かいの草むらに隠れてしまった。  不意に何かお伽噺に出てくるような不思議な光景を見た気がした美青年は、写真を撮ればよかったと悔いたものの猶も花鳥風月に親しみながらスマホで写真を撮ったり、植物図鑑アプリで名前を調べたり、双眼鏡でバードウォッチングしたりしながら木道をずんずん登って行った。  すると、林立する木々が僅かに途絶えた弾丸黒子の地に建つ、それこそお伽噺に出て来そうな茅葺きの茶屋を発見した。  何でこんな山奥の目立たない所に…とまたもや不思議な気分になった美青年は、どうやってあそこに行こうと思っていると、人間がやっと通れる位の幅の隘路があるのに気付いたのでそこを通って行った。  大分近づくと、紅葉を踏みしめる足音を聞きつけてか、茶屋の軒下に店の者と思しき女が出て来た。女に見とがめられて最早引き返すこと能わず吸い寄せられるように前に進む美青年の気色に女は錦上に花を添えるように微笑んだ。そう形容したくなる程、美しい妙齢の女で和の風情に合わせて和服を纏う凝りようである。 「いらっしゃいませ。お疲れでしょう、さあさあ、ここへお掛けくださいませ」と美女が勧める赤い毛氈を被せた床几台に美青年は照れながら腰かけ、こんな所でこんな美人と会うとは・・・と意外の感に打たれた。その途端、赤い毛氈同様顔が赤くなるのを感じた。美女も顔を気持ち赤らめながら見ての通り小さなお店で私一人で営んでいるものですからこんな物しか出せませんけど、と言ってメニュー表を差し出した。  その指の白いことと言ったら・・・そしてか細いのにふっくりした感じがさっき見た白蛇を連想させるので美青年はその指に気を取られながらメニューを適当に見て和菓子を注文した。  美女はにっこり笑うや、少々お待ちくださいと一揖して奥に引っ込んだ。その物腰がまた何とも嫋やかで雅やかなので美青年はうっとりしながら秋の紅葉に包まれるのだった。  しかし、こんな山奥に女独りで、而もあんな美人が…と思うと、摩訶不思議な気分になり心配にすらなるのだった。  そこへハッとさせるように美女が現れ、美青年の横にお茶と和菓子を載せたお盆を置いたかと思うと、態々湯呑を取って美青年にどうぞと言って両手で差し出ししな、あっつい!と叫んで湯呑を落っことしてしまった。その際、零れたお茶が太腿から股間にかけて美青年のコットンパンツに染み込んでしまった。 「あーあ、大変大変!私としたことが大変失礼しました!」と美女は謝るや否や胸をはだけるように襟元を大胆に開いて懐からハンカチを取り出してしゃがみ込み、濡れた所を拭きだしたから美青年は堪らない。何が堪らないって気持ち良くて堪らないのであって白蛇のような指が十本目の前でしなやかに悩ましく動くのである。近くに落ちている楓葉との対比が鮮やかで素晴らしい。而も赤い長襦袢の襟の合わせ目から白い乳房の谷間がちらちら見えるではないか!おまけに股間の部分に繊手が及びそうになった時、美青年の紅顔は金時の火事見舞いのように真っ赤っかになりながら、もういいです!止めてください!大丈夫ですからと訴えたが、実の所、気持ち良すぎて立っちゃいますからと言うべき有様だった。  このことは後で考えると、別に零れたお茶は熱くなかったから誘惑する為に態とやったとしか美青年には思えなかったが、この時は只々興奮して何が何だか訳が分からなくなっていた。その後、美女は行き過ぎたと思ったのか、恥じらって見せて繊手を止め、ごめんなさいねと言ってハンカチを懐に仕舞うと、襟元を正してから湯呑を取り上げ、奥に引っ込み、取り替えた湯飲みに再び茶を淹れて戻って来た。 「本当にすいませんでした、はい、どうぞ」  受け取りしな美青年が一段と顔を赤らめると、古い風情に合わせようとしたものか、まあ、可愛いお方と美女は殊更に古風に言って本当に大丈夫?と聞きながら彼の横に科を作って腰かけた。  まさか腰掛けるとは思わなかったし、乾かさなくてもいいのとも聞かれ、正直、股間がむずむずしてしょうがなかったが、まさか脱ぐ訳にはいかないしと思い、当惑しながら本当に大丈夫ですと答えた。  それには取り合わず、嗚呼、なんていい雰囲気だこと…と美女が妙に色づいた声で呟き、今にもしなだれて来そうなので吹き零れる程の色香を真横に感じた美青年は、茶屋の周囲の木々も妙に色づいていることと股間が濡れていることも相俟って、まるで夢精しながら夢を見ているような気がした。 「あ、あのぅ…」 「なあに?」  美青年は芳しい吐息を漏らす美女の顔を恥ずかしくて見れないまま聞かずにはいられずに聞いた。 「こんな所でやっていけるんですか?」 「そうね、疑問に思うのは当然ですわ」 「男に襲われたら大変だ」 「ふふ、そうね、大変ですわ」 「そんな他人事みたいに、よく平気でいられますね」 「だって滅多に来ないんですもの」 「でも偶には来るでしょう」 「来ないわ。あなたが初めてよ」 「えっ?」 「ふふ、そんなことどうでもいいじゃないですか、あなたが来てくれさえすれば、ねえ、また、来てくれます?」言いながら馴れ馴れしく寄り掛かって来て、「は、はぁ、勿論」と美青年は勢いに押されるがまま答えるしかなかった。 「そう、良かった。今度はいつ来れます?」 「そうですね、また日曜日に…」 「えー、一週間も待たせるの。私、寂しいわ…」その時、計ったように瑟瑟たる秋風が吹きつけた。「…あなた、学生さん?」 「ええ」 「そっか、勉強が忙しいの?」 「そうでもないですが…」 「じゃあ、今日はゆっくり出来る?」 「えっ」 「ゆっくりしてって、ね」とぴたりと寄り添われ、「は、はぁ…」と美青年は嬉しいやら恥ずかしいやら赤面したまま頷く。 「じゃあ、奥に行きましょうね」 「えっ、あっ、あぁ…」と美青年は美女の勢いに押されっぱなしで手を白蛇のような指で摑まれると、しっとりとした感触に痺れながら奥の閨房に引っぱり込まれた。  端的に言って彼女の淫乱振りは疾風迅雷の如く凄まじかった。蛇舌という奴で舌遣いは正に蛇のよう。ちょろちょろぺろぺろとひっきりなしに攻めるのだ。それもあって美青年は美女にめろめろにされながら情を交わしたのだった。  それからというもの美青年は病みつきになり、大学の授業もそっちのけで三日にあげず謎の美女と交情したのであるが、日を追う毎に痩せ衰えて行き、彼女と出会ってから四週間後、生き生きした紅顔は何処へやら、末成りの瓢箪になって茶屋に行き着く前に憔悴し切って行き倒れになってしまった。それは師走のことで雪がしんしんと降り、山は雪化粧していた。当然、体は冷えて行き、もう余命幾許もなく虫の息になった頃、かの白蛇が雪を欺く白さ、肥大化した図体で雪の上をするするっと滑るようにやって来た。 「こんなことだろうと思った」  その美声は紛れもなく謎の美女のものだった。白蛇は大きな口を開けたかと思うと、美青年をぺろりと丸呑みにしてしまった。    謎の美女に変化出来るようになった白蛇は曾ては人間の女だった。愛別離苦は真っ平御免、病死した美男の彼氏とどうしても離れたくない、その執着心は淫乱の為せる業で名残惜しさの余り物凄く正に女の執念という奴で、また美男の彼氏を美しいまま離したくないと地獄の底まで思い詰めた彼女は、アンビリーバブルなことに腐敗する前に美男の死体を全身隈無くしゃぶり尽くして涎塗れにした後、血塗れになりながら食って行き、骨だけにしてしまうという世にも恐ろしい、著しく常軌を逸したキチガイ沙汰のそりゃなるわなという顛末で白蛇の妖怪になってしまったのである。  昔の書物にあるように殊に蛇は淫乱な性質だし、妖怪とか幽霊になる者は大抵執念深い女だから彼女はなるべくして白蛇の妖怪になったのである。そして普段山中に潜み、あわよくば美男と交わる機会を窺う日々を過ごす内、かの美青年を白蛇の姿で初めて見た時、酷く気に入ったものだから美女に変化して妖術で現出した茶屋におびき寄せることに成功すると、その後、毎日のように彼と交情しながら彼の精気を少しずつ吸い摂って行った次第である。  美青年は美女に取り憑かれたように茶屋に通う内、将来もっと大きな茶屋を一緒に持ちましょうねと美女と閨房で睦言を交わす内に約束したのだが、空中楼閣を夢見るようにまんまと騙されたのだった。        
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