~第一話~ 再開

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「………ちょっとはるかどうしたのよ。帰って来てからずっとその調子じゃない」 「それが――。だ、だめだ。ちょ、ちょっと俺の気持ちが落ち着くまで待ってくれ、母さん」 「そんな濁し方されたらますます気になるわね」  気になって仕方ないという念が強く込められた母の声を聞きつつ、俺は帰宅してからずっと居間のソファで丸くなっている。  かなたからの告白を、まだ完全に飲み込みきれていないのだ。  帰ってすぐ母さんに相談しようと心に決めていたはずなのに、いざその場面を迎えたとたん視えない何かがそれを全力で阻止してくる。  いつもは観ないテレビを意味もなくつけてみたり、普段よりソシャゲに時間をかけてみたりしたが、まったく心に変化はない。  このまましていても気持ちが落ち着かないと思った俺は、少し寝てみようと自室へ上がり、ベッドに横になる。  だが、 「――――ッ! だ、だめだ」  寝転がってからわずか三分後。  静寂の空間がかえって落ち着かず、俺はベッドから跳ね起きた。  自分の心音がここまで大きく聞こえたことはない。  まさか恋愛経験値ゼロというデバフがこんなところで牙を剥いてくるとは……。  告白されたらどう答えるべきなんだろうか。いや、答えなんてイエスかノーしかない……はず。 「くっ、明日までに答えを出さないと――ぬあああああ! どうしたらいいんだあ!」  たまらず後頭部を掻いて叫んでいると、ふいに心の中の俺が疑問を投げかけてきた。 『かなたのこと、実は昔から好きだったんじゃないか』と。 「…………そうか。忘れかけていたが、そう……だったんだよな」  俺は頭を掻きむしっていた両手をゆっくりと下ろし、自分自身にうなずく。  そして、落ち着きを失った今の状態で考えても本心から来る答えは出ないと思い、ひとまず風呂に入って心を落ち着けることにした。 「……ふう、こうやって夜空を見上げるの、何気に久しぶりだよな」  入浴で落ち着いた俺は、就寝までにやるべき事すべてを終わらせて自室に戻り、窓を開けて夜風に吹かれていた。  時刻はちょうど日付が変わったところだ。  ここ最近は梅雨らしい空模様が続いていたこともあって、快晴というべき今日の夜空は一段と綺麗に見える。  夜も更けて街の灯りもずいぶんと少なく、部屋の電気を消すと深夜の穏やかな夜景と星空がより際立つ。 「夜の景色って、こんなに綺麗なもんだったか」  つぶやいた俺の声は、ふっとその場を通過した夜風に流れて溶けていく。  こんな穏やかな気分は忘れかけていたくらいに久しいものだ。  俺は軽く深呼吸すると、星空を見上げて自分と向き合った。 「俺かなたのこと、どう思ってるんだろうな……」  もちろんそれに答える声はない。  しかし限りなく落ち着いた状態で自分の気持ちと向き合ったからか、脳裏に幼少期の記憶。  そしていつしか忘れていたその時の気持ちが、鮮明に蘇ってきた。 「…………ああ、そうだよな」  昔の自分を受け入れるように言葉が漏れる。  思い出すことは、時間があればみらいとバスケに打ち込んでいたこと、その一方で殴り合いも混じった本気の喧嘩をしてこっぴどく叱られたこと。  でもそうだ。  みらいとの思い出と同じぐらい、かたなと二人の時間を過ごすことも多かったんだ。  特に夏休みはみらい、かなたと三人で遊ぶことが多かったが、よくよく思い返せばそれよりもかなたに引き回されていた。  かなたが毎日のようにうちまで遊びに来るから、彼女のお母さんに『迷惑じゃない?』と、冗談で聞かれるほどに……。  昔からしゃべることがそれほど得意じゃない俺は肯定も否定もせずその場を凌いでいたが、本当は嫌な気持ちは少しもなくむしろ嬉しかった。  かなたと二人でいる時だけは普段緊張して言えないことも言えたし、自分でも驚くほど口数が増えていたものだ。  彼女の天真爛漫な笑顔も、可愛らしく元気な笑い声も、誰とでも楽しそうに接することができる性格も、俺にとってものすごく眩しかった記憶がある。  でも、目をしかめる必要はなかった。  かなたが放つ光は、目がつぶれるような極光ではなく、それはそれは穏やかな春の陽光なんだ。  その優しい輝きに加え、かなたは幼い俺がドキッとしてしまうほど当時から綺麗な少女だった。  ――俺はそんな彼女の光にいつも憧れ、その気持ちはいつしか『好き』という気持ちに変わっていた……。 「そうだ。これが今まで忘れてしまっていた、俺の本当の気持ち」  自らの気持ちに気づいたとき、心はずいぶんと軽くなり、纏わりついていた何かがはがれ落ちたような気がする。  俺はその後も少しのあいだ夜景をのんびりと眺めていた。  ***  翌日、かなたに告白の返事を返す時のことだけを考え、緊張しながら学校に着いて朝のホームルームで違和感を覚える。  教室に彼女の姿がないことを不思議に思っていると、まもなくやってきた担任の青山先生は教卓に着いて開口一番、かなたは今日休みだと告げたのだ。  彼女はクラスどころか学校のプリンセス的存在なので教室が少しざわつく。    だが俺はそれだけでは済まない。  昨日の今日であのかなたが休むとは思えないからだ。  確かに昨日はどしゃ降りだったが、あいあい傘で二人とも濡れずに帰った。  幼なじみだからわかるが、そもそもあいつは雨に濡れたぐらいじゃ風邪など引かん。  事実、小中高のあいだにかなたが学校を欠席したことは一度もないのだ。  彼女はどこでもプリンセス扱いされていたし、男女問わず熱狂的なファンがいたのでクラスが違っても休めば分かるだろう。  つまり今日、かなたは人生初の欠席をしたことになる。  先生いわくちょっとした事情ということだが、その言い方が非常に気持ち悪い。  身内に不幸があったとかではないというのでなおさらだ。 「親御さんから明日は普通に登校できるだろうとご連絡があった。だから大丈夫だ。……それからな、明日かなたが来ても、休んだ理由について詮索しないでやってほしい。頼んだぞ」  先生はどこか悲しげにそう言うと、ホームルームを終えて教室を出ていった。  クラスメイトたちのざわめきが俺の中にある変な不安を増幅させる。  今の俺には何もないことを祈るしかできることはなかった。  そして昼休み、今日はかなたがいないし、珍しくみらいが食堂に行こうと誘ってきたので久しぶりに彼と食堂にいた。 「いやあ、久しぶりだよなお前とふたりで昼飯なんて」  みらいは学食の中でお気に入りだという『かつ丼定食』をテーブルに置くと同時、会話の糸口を切った。  俺が弁当を開け玉子焼きを口に運びながらうなずくと、 「それにしても、今日は驚いたよな。かなたのこと」 「………ああ、そうだな」 「ん? なんだはるか。やけに深刻そうな顔してるな」 「い、いや、別にそんなことないぞ」  みらいに言われ、俺は慌ててそう答えた。  こいつの場合、少しでも油断したらそこから何を見破られるか知れたものじゃないのだ。  下手をすると、今日まで俺とかなたが毎日会っていることすら見透かされかねない。  彼は俺の否定を一応納得しながら、かつ丼を美味そうにほおばる。  それからは部活の話や今週末カラオケに行こうという話になり、二十分ほどで食事は終わった。 「いやー、最近一緒に飯食ってなかったが、たまにはいいもんだなあ」 「はは、そうだな」 「じゃ、オレちょっと用事あるから。先行くぞ」  と言ってみらいは小走りに去っていき、俺はしばらくひとりで休むことに。  昔から一人の時間をまったく苦に思わないタイプで、むしろこの時間は程よいリラックスタイムだ。  それから五分後。 「よし、そろそろ教室戻るか」  スマホをポケットにしまい、席を立って歩き出そうとしたとき、前方から誰かが歩いてくる。  遠目に映っただけで誰なのかは確認せず、女子だったので俺に関係ないだろう思って気にも留めなかったが、よく見ると明らかに視線が俺に固定されていた。 「――っ」  俺はかなた以外の女子に対する耐性レベルは恐ろしく低いので、身体が硬直して動けない。  そうしているうちに、誰なのかを確認できる距離まで相手が近づいてきた。 「あ、君は――」  と、俺は思わず声をあげた。  明るめのセミロングな髪と、きりっとした切れ目。  表情が明らかに怒っている点については疑問だったが、彼女はたしか西宮さんだ。  かなたにとって高校からの親友ということで、彼女の話にその名前が度々出てくる。  この俺にいったいなんの用があるのかと身構えると、彼女はものすごいけんまくな口調で沈黙を破った。 「あんたね、最近かなたにつき纏っているどうしようもない男は。いったいどういうつもりか知らないけど、私の大切な親友にこれ以上気安く近づかないでくれる?」  まったく予想だにしないファーストコンタクトに、俺は声も出なかった。  いったいぜんたい俺が何をしたと言うのだろうか。  彼女とはこれが初めてのやり取りだっただけに、驚きは甚だしい。 「い、いや、ちょっと待ってくれ、いったい何のことだよ。何に怒ってんだよ」  落ち着いた俺がさすがに抗議するが、西宮さんはさらに感情をあらわにする。 「ふざけないで! かなたとどんな関係か知らないけど、あんたがあの子を毎日連れまわすから――」 「連れまわすって……。勘違いも良いところだぞ! 俺とかなたは普通に……」 「もういい、黙って! あの子は、かなたは絶対に私が守るんだから。これ以上あの子に手出さないでよね!」  彼女はそう言うと、怒り心頭のままつかつかと去って行った。まるで嵐のようだ。 「えー……。いったい何だってんだ」  まったく訳が分からず、しばらくその場に突っ立っている俺。  西宮さんがけっこうな声量で怒鳴って行ったので、食堂も困惑の空気で満たされている。  やがて放心状態から解き放たれた俺は、あと五分で昼休みが終わることに気づき慌てて食堂を後にした。
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