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みんなからのビデオメッセージがすべて終わったとき、スマホの時計は二十三時五十五分を示している。
「……結局、時間ギリギリになっちまったな」
「でも、私は最後までメッセージを見られてよかった」
涙を拭き、静かに……穏やかにそう告げる彼女を見て、俺は静かにうなずいた。
「ねえはるか。最後はあなたとひとつに……」
「――ああ、わかった」
それから俺たちは、お互いに納得するまで愛を確かめ合った。
残された時間がまもなく一分に迫るころ、俺たちは芝生広場に移動した。
誰もいない公園。
芝生の上に座ってかなたを背にもたれ掛からせ、彼女を撫でながらそっと声をかける。
「……かなた、大丈夫か。苦しくないか?」
「うん、ちょっと胸が苦しいけど、はるかがこうしてくれてるだけで大丈夫」
「……そうか。この態勢で平気か?」
「うん、こんなにいっぱいはるかとくっついていられるんだもん。幸せ」
「……かなた、叶えたかった夢、ちゃんと叶えられたか?」
「――うん、はるかと、みらいと、れなと……。多くの人のおかげで全部叶った。もう人生二回分ぐらい幸せだよ」
かなたは時々嬉しそうにキスをもとめ、抱っこと甘えてくる。
それが可愛すぎで時々昇天しかけてしまう。
愛おしいあまりにもっと何かをしてやりたいと思うが、俺はいま、彼女の思いに応えることぐらいしかできない。
その時間がもうほとんどないが、俺たちにとってそれは、かけがえのない大切な時間だった。
――そして最後の最後に、かなたは奇跡を起こした。
日が変わる瞬間、いくら覚悟を決めていたといえ、俺は最後に彼女と離れたくない思いが蘇り、たまらずかなたを抱きしめたが――。
「……かなた?」
「――ねえ、はるか。これも夢なのかなあ。私……まだあなたの腕の中で生きてる気がするの」
「――――ああ、ああっ! 夢なんかじゃない! キミは生きてる。その胸の奥で、キミの心臓は変わらず動き続けてる!」
俺とかなたは思わぬ事態に歓喜余って抱き合い、芝生の上で転がった。
「あはははははははははは!」
「ははははははははははは!」
「――ねえ、私、やっぱり生きてる!」
「ああ、生きてる、生きてるんだよ!」
……かなたが言うには、彼女自身の呪いは解呪できないので、いつ死ぬか分からない。
でも、小山先生も、稲荷神でさえも想定できない奇跡が起きたんだ。
たとえこの奇跡があと一時間、一分、一秒のはかないものだったとしても、決して幻想なんかじゃない。
俺とかなたが起こした恐らく愛としか言えない何らかの力で、今ここにある。
「ねえ、はるか」
「なんだ、かなた」
「私たち、世界一幸せな夫婦になれたんだね」
「ああ、誰がなんと言おうと、俺たちは最高に幸せな家族だよ」
そうして俺たちは、改めて愛を確かめ合った。
だって……俺もかなたも、たった五分弱では到底満足できていなかったのだから……。
「ああ――っ、はるか、大好き、大好きだよ。私はもう、あなただけのものだから。この白い髪も、このくちびるも、私の身体も何もかも。私のすべてはあなたのものだから……好きにして、いいんだよ?」
「……かなた、お前意外とぐいぐい来るんだな」
「え、もしかして嫌だった?」
と、真っ赤な顔で泣きそうになる彼女に良く見えるよう、俺は月明りの下でしっかり首を横に振った。
「そんなことないよ。最高にかわいい」
それ以上、俺たちの間に言葉が入る隙すらない。
この時間は、俺とかなたの為だけにあった。
気づけば午前一時を回っていて、当然のようにかなたは生きている。
「……ふう、疲れた」
「そ、そうだな。少し座るか」
俺たちは静寂が支配する真夜中の公園の芝生に並んで座った。
ひと息ついたとき、ふと結婚式をする前の彼女の言葉を思い出し、口を開く。
「そうだかなた。さっき言っていた『北稲荷の呪い』を解呪する方法って……」
「ああ、そう言えば忘れてた。それはね――――」
と彼女は呪いについて語ってくれたが、その後かなたは自らの思いを明かす。
「稲荷様から解呪法を聞いても、私は色々と納得してなかったの。これまで、いったい何人の女の子が恐怖しながら、絶望しながら旅立って行ったんだろうって――。
だから私は、あなたと最高の幸せを謳歌している姿を神さまに見せつけてやろうと思った。呪いなんて、運命なんてものじゃ、私の幸せを阻むことはできないんだって。あなたとならそれができるって、確かな自信があったから……」
「かなた……」
「それを見た神さまに、呪いは無駄だって思わせて呪いが消えたら、私の大勝利でしょ?」
それはなんとも彼女らしい考え方だと、俺は心底納得した。
「……これが胸に秘めていた私のもうひとつの夢だよ。――この夢が完全に叶ったかどうかは、あなたがこの先の人生を生きて確かめて。――良い……かな?」
「ああ、もちろんだ。しっかりこの目で確かめて……いずれまた逢うその時、キミに必ず伝えるよ」
「うん、ありがとう」
それで安心したのか、かなたは力を抜いて俺に身体を預けてきた。
夜の景色がゆっくりと西へ流れていくなか、俺たちは他愛もないことを話し合い、穏やかに過ごす――。
「……かなた、もう怖くないか? 心配なことは」
「うん、大丈夫。今ならなにも怖くないよ」
「俺と……俺たちと生きたこの人生はどうだった?」
「それはもう、最高だったよ。ありがとう」
「…………」
「…………」
「……そろそろ、夜明けなのかな」
「ああ、もうすぐ朝日が出てくるだろう」
「……ふふ、夜明けの風だ――。夏だけど……少し……肌寒い……から……ずっと、一緒に……私を……離さな……いで……」
「――大丈夫だかなた。キミが寒くないよう俺が……っ! ちゃんと……ちゃんと温めてやる! 何があっても、キミを離さない。――っ! だから、だから安心しろ――!」
「…………えへ……ありが……とう……」
「…………っ」
そのとき、俺の目が空の変化を捉えた。
東の山が白み始め、夜明けを連れて風が吹き抜ける。
「――っ! 俺のほうこそ――ッ! ありがとうな、かなた。……どうか、どうかキミの旅路に多くの幸せがあるように……。ずっと、キミを愛してる」
新しい朝日が金星台公園に差し込み、東の空に向けて一羽のハトが舞い上がった。
それはそれは、力強い羽ばたきで。自らの命を懸命に燃やし、それに誇りを持っているようだった。
「……ああ。生きるって、こんなに素晴らしいものだったんだな。
――あのハトは、どこへ向かうんだろう。なあ、かなた……」
ハトが飛び去ってから少しして、聞き覚えのある声が連なって近づいてくる。
俺はそっと涙を拭いて、もう一度空を見上げた。
――かなたは本当に強い。
呪いを宿し、十八で命を落とすという宿命を背負いながら強く優しく生き続け、何百年と解けなかった一族の呪いを解呪しただけじゃない。
日が変わるそのとき命を失うと言われながら、彼女は夜明けの瞬間まで生き抜いたのだから……。
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