~第一話~ 再開

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 しばらくのあいだ程よい静寂が場を支配し、互いの弁当箱が半分ほど空になったところで、ふいにかなたが箸を置く。  そしてみごとな飲みっぷりで茶を飲むと、ふう、と穏やかな息を吐いて俺のほうを向いた。  俺も思わず食べることを中断し、次に放たれる言葉に備える。 「私ね、今でもたまに思い出すんだぁー。あの結婚式ごっこのこと」 「はは、まあな。あの記憶はたぶん一生忘れられないだろう」 「やっぱりそうだよね。いま思い出すと少し恥ずかしいもん」  そう言って明るく笑ってみせるかなたに、俺は平静を装ってそうだなと返す。  内心はまったく穏やかではないんだが。  なにせかなたの言う『結婚式ごっこ』というのは、この歳になって思い出すと本当に恥ずかしいのだから。 「はるか見て。ほら、ここから見えるんだよ、金星台公園」  彼女が指さす方を見て、俺はうなずいた。 「ああ。あの公園、町の最北端にあるからな。それも高台の上。俺ってあんまり屋上に来ることないから知らなかったけど、こんなによく見えるんだな」 「うんっ。私はね、時々友達とここでお弁当食べるんだよ」  そこで言葉を切ると、かなたはまた箸を動かした。  しばらく食事タイムが続き、ふいにまた公園の方を眺める彼女につられ、俺も昔の記憶を思い出しながら北に目を向ける。  金星台公園は町の中心からけっこうな距離があるうえに、小高い山の頂上にある。  つまり、程よいハイキングと短い登山を経験しなければたどり着けないが、その苦労に見合うだけの景色を拝むことができる。  公園自体も広く、遊具や広場のほか遊歩道も整備されているので、老若男女が楽しめる憩いの場というべきだ。  そして幼い俺はその公園で、かなたの希望によって『結婚式ごっこ』をしたのだ。  神父役を買って出たみらいに、散々恥ずかしい言葉を言わされながら……。  俺が脳内で過去を回想していると悟ったのか、ふいにかなたがくすりと笑う。 「たしかあの時、指輪まで作ってお互いに交換したんだよね」 「ああ、これもみらいの計らいだったっけ」 「うん、『お前ら、やるなら本気でやれ、お互いに指輪作って交換しろ』ってね」 「かなたが作ってきた指輪、サイズがでかすぎて俺の指に対してぶかぶかだったよな」 「あははは! はるかのやつだって私の指には大きすぎたじゃん。私のあれはね、お母さんが自分の指で測った方が良いって言うのを聞かずに、はるかは男の子だからってお父さんの指で大きさ調節したんだ」 「そういうことだったのか――」  俺はふいに気づいた。  昔みたく、かたなと楽しく話しているという事実に。  どうやらほぼ同じタイミングでかなたも我に返ったらしく、はっとして口に指を当て、頬を少し紅潮させる。 「――やだ、私ったら、子どもみたいにはしゃいじゃった……」 「――な、なんかはずいな……って、やばい、時間が!」  俺は言葉にしがたい感情をごまかすため頭の後ろを搔きながら、ふと校舎入り口にある時計を見て声を上げた。  それに反応したかなたもはっとして俺が見たものに視線を合わせる。 「う、うそお! 五時間目まであと五分もないじゃん! 早く戻ろ」 「あ、ああ!」  幸いなことに、ふたりとも弁当はほぼ食べて終えていたので急いで残りを平らげ、ベンチから立ち上がり走り出す。  しかし――。 「あうぅ……ちょ、はるかぁ――」 「え、ど、どうしたんだかなた。あと二分きったぞ!」  急にふらつき、そのままよろよろと歩くかなた。 「ご、ごめん。私、食べて急に動くとおなか痛くなるの……あ、ああ~~っ」  彼女はそれでもなんとか走ろうと努力したが、無理なものは無理というもの。  かなたは校舎の入り口まで頑張ったものの、いよいよその場にしゃがみこんでしまった。 「だ、大丈夫か」 「あ、あははは……だ、だいじょぶだいじょぶ。すぐに落ち着くから。――て、ちょっと待って、五時間目って世界史……」 「ま、まじだ!」  なぜ俺たちが青ざめたかと言うと、世界史担当の安成先生は、『鬼の安成』という異名を授かった生徒指導部の先生だからだ。  貫禄ある四十代の先生で、遅刻と授業中の私語に対して特に厳しい。  さすがに一時間廊下に立たされることはないが、授業が中断し、やらかしてしまった生徒は近くにある階段の踊り場に連行される。  そうして数分間、生徒指導部の名にふさわしい怒号という名の轟雷を浴び、教室に残された生徒もまた、その怒りの声を聞きながら待つことになるわけだ。  遠雷におびえる小動物のごとく……。  さらに言えば授業中に先生の機嫌が直ることは稀で、説教後は恐ろしく張り詰めた空気が支配する空間で、授業が進んでいくことになる。 「や、やばい、一分もないぞ」 「――痛っ! は、はるかだけでも先に行って。今ならまだ――ふぐぅ!」 「ば、ばか言え! こんな状態のお前を置いていけるか。それに――」  キーンコーンカーンコーン…………。 「「あっ…………」」  この瞬間、俺とかなたの運命は確定してしまったのである。  
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