~第一話~ 再開

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 その後……。  地獄のような時間を耐え抜き、俺は窓側の一番後ろの自席でノートにペンを走らせていた。  いつもより二割増しで静かな教室に、泣く子も黙るほどの不機嫌オーラを纏う安成先生の声が響く。  もう少し配慮があってもいいじゃんか、と俺は心の目で先生を睨んだ。  その瞬間、先生がこちらを向いたときは口から心臓が飛び出るかと思ったが……。  心を落ち着け、資料集のページをめくりながら、つい先ほど経験した胸の奥を握られるような不快感を伴うできごとを振り返る。 ***  チャイムが鳴ったあと、かなたの腹はすぐに調子を取り戻し俺たちは急いで教室に向かった。  到着したときすでに教室内の空気は死んでいたが、クラスメイトと先生に謝って頭をさげると、『鬼の安成』と化した先生に恐ろしい声で『来い』と言われ、階段の踊り場でみっちり話を聞かれた。  かなたの腹が痛かったという、俺たちにとって頼りない唯一の免罪符は予想通り一撃で破り捨てられたのだ。 「じゃあなんで余裕持って教室帰れるよう、時間みて飯食わんねん! しょうもない言い訳すんなや!」 「「は、はいいっ! ごめんなさい」」 「あぁ? ごめんなさい? すいませんちゃうんかいっ!」 「「す、すみませんでした!」」  あの時見た震えるかなたと彼女の涙目は忘れんぞ、と、先生に言いたい。  そりゃあ論ずるまでもなく悪いのは俺たちだが、もう少し言い方というものがあるだろう。  はなから期待などしていなかったが、いつもは絶対に遅刻や忘れ物をしない真面目な俺たちだからと言って、初回特典で優しくなるわけでもなかった……。  五時間目が終わると、かなたは何ごともなかったかのように女子の友達とともに教室を出ていき、俺にとってはまさに嵐が来ていつの間にか去って行ったという感覚だ。  彼女が教室からいなくなると、恐らくそのタイミングを待っていたであろうみらいが教室前方からすっ飛んできた。 「おいはるか、いったいなにがどうなってんだ? 急にかなたに連れて行かれたと思ったらまさかの遅刻。お前たちが教室出てってから、ちょっとした騒ぎになったんだぞ」 「や、やっぱりか。でも、そう言われたところで俺にも分からない。正直に言って、誰よりも混乱したのは俺だ」 「うーむ……。そりゃあますます分からんな。一応聞くが、俺が知り及ばないところでお前とかなたが付き合い始めていた、なんて事実はないんだろ? その様子だと」 「俺が自分から女子にグイグイ行くわけがない。それはお前なら言わなくても分かるだろ。仮にかなたから告白を受けたとしたら、俺はたぶん、真っ先にお前に相談した」  一切の偽りなく思いを告げると、みらいは『そうだよな』と納得を示したうえで、彼らしくもなくしばらくのあいだ首をひねっていた。  その後もかなたが接近してくることはなく、俺は普段通り部活に勤しんで帰宅することになった。  しかし、なにがどうなっているのかと思考にあまり、俺の内心は穏やかとはほど遠い。  帰宅中も何かと金星台公園が気になって、挙動不審に陥ってしまうありさまだ。 「……た、ただいま」 「おかえりはるか。……あら、どうしたの? そんな落ち着かないような顔して」  平静を装って帰宅したつもりだったんだが、玄関で鉢合わせた母にまで則バレしてしまうことに。 「あ、いや……なんでもない」 「あらそう? 彼女とかなら隠さなくていいのよ~、おほほほ」 「――っ! それはない! あまりからかわないでくれよ、母さん」  俺は妙に嬉しそうに笑っている母の声を背中で聞きながら、足早に自分の部屋を目指した。  ――大きくなったら、今度は私を本当のお嫁さんにしてね。約束だよ!  うっとうしい制服から部屋着に着替えてベッドに転がり、静かに天井を見上げていると、かなたの無邪気な声が脳裏に響く。  昼に本人と話したからか、その声は夢で聞くよりずっと鮮明であいつの笑顔が浮かんだ。 「……何だってんだ、いったい」  かなたと一緒にいて嫌なことなど当然ない。  数年のあいだ交流がほぼなかったとはいえ、俺にとって大事な幼なじみなわけだし、いつも天真爛漫で笑顔を絶やさず優しい彼女といることは楽しいのだから。  俺が今どうも落ち着かない理由は今日のできごとゆえだ。  予知夢のごとくかなたとの記憶……それも『結婚式ごっこ』なんて場面を鮮明に思い出し、その日にあいつの方から声をかけてきたという、偶然とは言い難いことを経験したせいだ。  ――しかし。 「……なにかが、違う」  俺はごろっと横向きになり、ふとつぶやく。  心のざわめきが止まらない理由は、予知夢が当たったからというだけじゃない。  まだ距離はある。  だが決してそう遠くもない未来になにか起こるような、それ以外では言語化が難しい虫の知らせのような感じが胸の奥に張り付いている。 「何なんだ、この感覚は――!」  たまらず上体を起こした俺の視線の先には、大きな窓があった。  そこに映る町はゆっくりと夜の闇へ落ちていくようで、急いでカーテンを閉める。  その時、一階から夕飯ができたことを知らせる母の声が響き、俺は静かに立ち上がって自室を後にした。
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