1・若き藩主

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1・若き藩主

 大衆文化華やかなりし元禄も終焉を迎え、元禄17年には宝永と年号が改まった。その年の11月には、実子に恵まれなかった綱吉はとうとう兄の子・甲府宰相綱豊(こうふさいしょうつなとよ)を養子として事実上の次期将軍家に指名した。  更に二年後の宝永三年には側用人・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が大老に就任、絶大な権力のもと、大名達は戦々恐々となっていた。  上州吾妻(あがつま)吾妻藩、譜代格・贋間詰(かりのまづめ)2万5千石一色家。三河以来の名門である一色家は、宝永5年の秋、当主・只堅(ただかた)の死により、妾腹で僅か14歳の第4子・綱堅(つなかた)への相続を滞りなく済ませていた。無論、吉保の機嫌を損ねぬ為の大きな犠牲を払った上での事である。せめてあと一年、只堅の病状が持ち堪えていたら、或いは無用な出費をしなくて済んだかもしれない。しかし、綱堅より年嵩(としかさ)の正室腹の男子が相次いで病死していたこともあり、無用な詮索をされることは何としても避けなくてはならなかった。  そして宝永6年(1709年)1月10日、かねてより病床にあった五代将軍綱吉が逝去した。  外神田は桜田御門と虎の御門の丁度中間辺り、西に潮見坂を見上げることのできる角地に、吾妻藩一色家の上屋敷はあった。2万石の所帯は、道を挟んだ向かいの松平家の敷地とは比ぶべくもない小規模なもので、庭作りを楽しむ十分な土地も無い程に、厩や長屋がひしめき合って建っていた。上州の田舎大名と蔑称される事も厭わなかった先代だが、新たな当主となった綱堅は、この雑多で美学の欠片も無い無粋な屋敷が大嫌いであった。  この屋敷にいる時はいつでも不機嫌な綱堅だが、今日に限っては、その端正だが酷薄にも見える白い顔を綻ばせていた。濡れ縁に立ち、殺風景な小庭を見下ろす彼の薄い唇からは、15とは思えぬ低い含み笑いが洩れた。 「綱吉公、とうとう往生なされたか。あの柳沢も、これで仕舞いよのう」  白い細面に並ぶ鋭利な刃物の如き目鼻が、不気味に引きつった。なまじ美形なだけに、狂乱の片鱗さえ見せるかのようなこの笑い方は、報告をもたらした老臣を震え上がらせた。  老臣は、不謹慎に笑い続ける綱堅を咎めようとはしなかった。その理由を、痛い程良く解っていたからである。  山深く、厳しい自然環境に晒されている吾妻藩は、2万5千石とはいえ、内情は相当に苦しい。参勤交代の経費は勿論、領地を安堵するために江戸で払わなくてはならぬ社交費の捻出も事欠く有り様であった。  生前の先代・只堅は、ここ数年続いている浅間山の小規模な噴火によって不作が続いている国情を憂い、参勤交代の切り詰めを計った。しかし案の定、小藩を取り潰す事が幕府財政立て直しの良法だと策を巡らせていた柳沢吉保に嗅ぎつかれてしまったのだ。窮した只堅は、末子で妾腹の綱堅を着飾らせ、申し開きと称して吉保に差し出したのである。  綱吉の色好みは常軌を逸していた。故に吉保は常に、機嫌を取る為の新しいお菓子を手許に揃えておいたのである。そして綱堅は、不幸にも吉保の眼鏡に叶い、綱吉へのお菓子として献上されたのであった。 「じい、兄達が死んでくれたのは、この私に対する罪滅ぼしよのう」  綱堅の三人の兄は、いずれも正室腹で、嫡子の他はそれぞれ養子縁組先も決まっていたのだ。だが、只堅の死と前後して、立て続けに亡くなっている事から、家臣の中には綱堅を疑う者とてあったのだった。 「殿は、我が藩を御救い下された。ただその事のみを御考えなされませ」  江戸留守居役の長沼差兵衛(ながぬまさへえ)は苦々しく説いた。この老人こそ、この若い藩主の手を引いて柳沢邸に赴いた人物なのであった。 「出掛ける」  差兵衛は色をなして綱堅の行く手に立ち塞がった。 「なりませぬ。登城の御仕度がございます」 「あの色惚け爺に線香を手向けよとでも申すつもりか。おぞましい」 「しかし、殿」  綱堅の行く先は、麻布の小香寺(しょうこうじ)。江戸の町道場の娘であった生母・以玖(いく)の菩提寺である。  綱吉の閨に呼ばれた後、まるで綱吉の穢れを払拭するかの様に、連日足を運ぶ様になっていた。始めこそ、縋る様に母の墓前に手を合わせていた綱堅だったが、次第に、寺へ赴く目的は己の浄心ではなくなっていった。  その小香寺には、住職が世話をしている寺小姓がおり、綱堅はその者を慕い、語らう事を(もっぱ)らの心の慰めとしていたのである。 「瀬良咲弥(せらさくや)でござろう」  両手を広げて押し止める差兵衛が、綱堅が慕うその名を口にした。 「先代様がどれ程御心を砕いて結城藩水野家との縁組みを(まと)められたか、殿は御存知か。寺小姓の陰間風情と(ねんご)ろだなどとあちらに知られ、御譜代きっての水野御一門の機嫌を損ねれば、一色家の存亡に関わりますぞ」 「綱吉公の逝去で、日延べじゃ。退け」 「なりませぬ! 御当家を潰されるおつもりか! 貴方様は今、御当主なのですぞ。大喪の礼とて、耐え難きを耐えてでも、参列して頂かなくてはならぬのです、家臣領民の命のためにござる! 」  腹でも斬りかねぬ勢いで、差兵衛は一喝した。その手は既に、己の腰にある小刀の柄にかかっていた。 「早合点致すな。母上と話をしたらすぐに登城致す」  そう小さく呟き、綱堅はそっと差兵衛の老体を押し退けていった。  
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