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僕の初めてのキスの相手は、同性だった。
それからのキスも、ずっと相手は男性だ。今時は、そんなにめずらしいことでもないかい?
両親のキスを、僕は覚えていない。
きっと、たくさんしてくれたのだろうと思う。でも、彼らは僕が三歳になる前に死んでしまったから。だから、僕が覚えている、人生で最初のキスは、ベル神父様のキスだ。
はっきりしたことは思い出せない。
でもそれは、きっと僕が教会の養護施設に連れて来られたときのことなんじゃないかと思う。
神父様は僕を膝に乗せてくださって、大きな掌で僕の頭を軽く撫でると、ゆっくり額にキスをしてくださった。
ただ、それだけのこと。
けれど、そのとき、僕は胸のあたりが疼いたような気がした。もちろん、それは後から付け足された記憶なのかもしれない。
ベル神父様はお若くて、まだ幼かった僕から見ても、年上のお兄さんといった感じに見えた。
濃いこげ茶の短い髪に同じ色の瞳をしていた。
あの頃の僕には、神父様は、とても背が高く見えた。そして、施設の他の誰とも違う特別な感じがした。
たぶん、修道服を身につけていらしたからなのだと思う。
施設はケベック・シティ近郊にあった。
だから、僕の家族もその辺りに住んでいたんじゃないかとずっと考えていた。大人になって調べてみたら、やっぱりそうだったみたいだ。
共稼ぎしていた両親は、僕が保育所に預けられている間に、凍結した道路で交通事故を起こして亡くなった。
他人には意外に思われるかもしれないけど、施設には特段、嫌な思い出はなかった。
施設では、堅信礼の前までは、小さな子たちは、ひとつの部屋に小さなベッドをたくさん並べて過ごしていた。でも、僕は他の暮らしを知らないから不満の持ちようもなかった。
「生活」っていうのは、そんなものなのだろうと。そう思っていたから。
もちろん、堅信礼までの間に施設を去る子も多かった。
世の中には、親のいなくなった子供を欲しがる人たちがたくさんいる。「子供が欲しい人たち」が、かならずしもカトリックとは限らない。だったら、堅信礼の前に引き取られるほうがいい。
そういう意味で、僕は「売れ残って」しまっていた。
実際に堅信の秘蹟を受けたのは、施設の同じ年齢の子たちの半数くらいだったと思う。
大きくなってから施設に来た子は、積極的には受けたがらなかったし。
相当な古株だった僕は、その当時、堅信礼を受けるのが当然だと思っていた。
だって、ベル神父様のお話を毎日のように聞いていれば、当然そうなる。
僕の両親は熱心なクリスチャンではなかったらしくて、僕に洗礼を受けさせていないようだった。だから僕は、ベル神父様に「教区の司祭様に堅信を授けていただく前に洗礼をお授け下さい」とお願いした。
堅信を授かったのは、小学校の四年生のことだった。
でも、もうすこし年齢が上がっていたら、僕は堅信礼を受けなかったと思う。
だって、その後すぐ、自分がどうやら男性しか好きになることができなさそうだってことを、しっかりと自覚するようになったから。
そんなこと、神さまはお認めにならない。
――信仰を、完全に捨ててしまったってわけじゃない。
自分の魂が、永遠の救いを得ることができなくなることは、すごくつらい。
僕だって神の教えに従いたい。
でも、男の人を好きになる気持ちは止められなかったし、だからといって、そんな自分自身を断罪しつづけることもできなかった。
それでも、「もし自分が「こんな」じゃなかったら……」と、何度となくそう思った。
今でも、教会の前を通りがかると、罪悪感で胸が痛む。
洗礼をお願いしたベル神父様への申し訳なさと同時に、神父様こそが、初めて僕が意識した男性だったことに気づかされるから。
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