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僕は空港に着く直前まで涙をこぼしていた。 とはいえ、ジャン・ルサージまでは二十分とかからなかったんだけれど。 空港って不思議な場所だ。 空港自体がなんだか大きな乗り物みたいで、そこにいるだけで、どこかに僕たちを連れて行ってくれそうな感じがする。 飛行機に乗るのは、恥ずかしながらそれが初めてだった。 ジャン・ルサージは大した規模の空港でもないけど、リックから搭乗券を渡されると、僕はちょっと緊張して動悸がした。 トロントまでもあっという間だった。 飛んだかと思ったらもう着いていた、というのが僕の実感だった。 それでも、雲をその上から眺めるという、今まで見たこと無い景色を堪能することができた。 すこぶる良い天気で、僕は飛行機が雲の上にあんなにもくっきりと影を落とすってことにびっくりしていた。 そっとしておいた方が良いと、気を使ってくれたのか、リック・ジョーンズが、機上でほとんど僕に話しかけなかったのも、とてもありがたかった。 空港に降りると、リックはフォーンブースに入り、家にいるアナに電話して飛行機は無事ついたとか、買って帰るものがあるかとか尋ねていた。 そういえば、その当時って、携帯電話(モヴァ)を持っている人って、ほとんどいなかった。 今考えると、本当に信じられないような感じだけど。 電話を終えたリックは、ぼんやりとつっ立っていた僕の肩を軽く叩いて、巨大なカーパークの一角に泊めてある自分の車へと歩き出した。 ピアソン空港からジョーンズ夫妻の家まで、実質は一時間くらいの距離だ。 でも、僕らは途中ランチを取って、買い物をしたから、アナが出迎えてくれたレンガ色の屋根の一軒屋に着いたのは、もう四時近かった。 アナが夕食を作ってくれて、僕等は三人で食卓を囲んだ。 夕食のでは、ほとんどの時間はアナやリックがトロントの生活について話していた。 僕はサーモンステーキを食べながら、もっぱら黙ってそれを聞いていた。 「色々な問題があっても、お互いに意見を交換し合って解決していくつもりよ。だから、思うところがあったら何でも云ってね」 アナは、僕の手の甲に自分の手を置き、軽く揺すりながら云った。 「誤解しないでほしいのだけど、ドライな関係を築きたいと云うつもりじゃないわ。亡くなったあなたの親御さんの代わりができる人は誰もいない、だけど、あなたのことを一番身近で支えて愛する人間になりたいと思っている。これから、ずっとよ、いつかあなたがこの家を出る日がきてもね」 リックもサーモンを切る手を止めて、アナの言葉に大きく頷いていた。   ジョーンズ家での生活は、まさにアナの云った通りになった。 僕は最初は「設備の良い小さい施設に移る」くらいの気持ちで彼らの申し出を受けたんだけれど、彼らが僕にしてくれたことは、そんな程度の事ではなかった。 僕はリックやアナのおかげで、とても幸福でかけがえのないな青春時代を過ごすことができたと思っている。 今でも、本当に感謝している。 クリスマスなんかに、ジョーンズの家で、僕よりも前に彼等と過ごしていた子達と話すことがあるけど、彼らも僕と同じように感じていることが良くわかる。 リックとアナは、すごく「物分り」が良かった。 どんなふうに「物分り」が良いかというと。 例えば、恋愛とかセックスとか……。 彼らからは、責任のある交際ができるのなら、無断外泊以外のあらゆる付き合いを認めると明言されていた。 ルールは三つ。肉体関係を相手に無理強いしないこと、セーフセックスをすること、家事当番と門限の十二時を守れない時は、必ず連絡をすること。 それだけだった。 ショーンが――彼等の本当の息子が、もし、生き続けていていてハイティーンになっていても、果たして彼らがそう接したのかはわからない。 でも彼らが、僕やその他の引き取った子達を一個人として対等に扱ってくれていたのは、決して、それが他人だったからという理由じゃないと思う。 僕たちにそう接してくれたように、自分自身の息子に対しても、同じように公正な態度が取れる人たちだと思うんだ、リックとアナって人たちはね。 今にして思えば、リックもアナも恋愛の対象を「異性」とは、全く限定していなかった。 僕の恋人を仮定して話すときも「彼女」という代名詞を使ったことはなく「その人」と表現していた。でも、僕がその事に気がついたのは、彼らの家を出てからだ。 当時は、リックやアナに自分が女性に性的興味をもてないことを告げようなんて、僕は考えたこともなかった。 ただもし、その事を打ち明けていたとしても、彼らはごく冷静に対応し、僕を肯定してくれただろうなと、今にしてみれば思うこともある。 リックもアナも、恋人を家に連れて来ないことはおろか、僕の口から恋人の話すら出てこないことには、驚いていたかもしれない。 まあ、きっと僕が、とてもおとなしくて奥手の子だと思っていたのかもしれないけど? ハイスクールを出るにあたって、僕がカレッジへは進まず、王立騎馬警察(RCMP)の試験を受けたいと云ったら、アナとリックは、とても驚いていた。 ジャック=バティストと『警官』なんて、全く結びつかないって。 リックとアナには、いまだに会う度に云われる。 成績もそんなに悪くはなかったし、カレッジにいったらどうかと、リックもアナも勧めてはくれた。 だけど僕は、早く自分の力だけで生きていけるようになりたかった。 僕としては、RCMPに入るっていうのは、結構、手堅い選択のつもりだった。
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