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10 アナとリックだって馬鹿じゃない。 アナなんてハイスクールの教頭だし、リックときたら心理学の研究者だしね。 僕の様子がおかしいことぐらい、ふたりともじきに気がついた。 授業はサボる、バスケットボールチームでは振るわない。成績だって落ちてきた。始終ぼんやりとして上の空だ。 ある晩――その日は僕の料理当番だったのだけど、アナが突然、自分が代わると云い出した。 「ロブスターをもらったの」 アナはそう云ったけど、本当のところはどうだか分らない。 「タケシも運がないなあ。よりによってロブスターの日に外出なんて」 リックが白ワインのグラスを傾けながら云った。 「……そうね、またの機会を設けましょう」 アナはなんだかそっけないくらいの様子だった。 「これは何かあるな」って気がついたから、そそくさと食事を済ませ、食器を片づけると自分の部屋に引きあげようとした。 するとリックが、そんな僕の背中に声をかける。 「ジャック、コーヒーを飲んで行かないか? キャラメル・ファッジのアイスクリームを買ってきたんだ」 振り返えれば、リックはご機嫌な様子で微笑んでいた。 キャラメル・ファッジは、リックの大好物だ。 でも、食べるのは相当我慢している。ウエイトを気にしているんだ。 たしかにリックのお腹は結構なものだったからね。 そんなリックからのキャラメル・ファッジアイスクリームへの誘いを断れるだけの理由は、さすがに、僕も思いつかなかった。   高カロリー摂取の罪悪感を埋め合わせるためなのか、リックは、僕の分のキャラメル・ファッジは溢れんばかりに盛り付けて、自分の分はそれよりちょっぴり少なめにした。 僕とリックとアナは、しばらくは無言でアイスクリームに取りかかる。 口火を切ったのはアナだった。 「ジャック=バティスト。今日はあなたと少し話したいの」 僕の胃が、ぎゅうと縮こまる。 「最近、授業に出ないことがあるそうじゃないか? ジャック」 今度はリックだ。 このふたりのコンビネーションで責められたら、どんな強情な犯罪者だって泥を吐くだろう。 はたして、リックとアナは、僕の「問題」がタケシと関係あるってわかってるんだろうか? ふたりはしばらく僕の返事を待っていた。 でも、僕が黙ったきり答えないとなると、アナがまた質問を開始した。 「余計なお世話と思われるかもしれないけれどね、ジャック=バティスト、なにか困りごとがあるのなら、相談にのれると思うのよ」 「……困ったことなんかは、ないよ」 僕はやっとひとことだけ返した。 「体の調子でも悪いの?」 アナは、とてつもなく思いやりぶかい口調で尋ねる。 なんか、もういろいろと洗いざらいしゃべって泣き出したくなっちゃうような気にさせられるような、そういう声なんだ。 でも、僕もまだまだ折れるわけにはいかない。 「元気だよ、アナ。成績が落ちているのは確かだけど、それは勉強をさぼってるからで」 僕がこう答えると、すかさずリックが引き取った。 「ほう、勉強に身が入らんか……なにか思い当たる理由はあるのかい? ジャック」 「別に、ただ、何となくだよ」 だんだん防御が厳しくなってきた。 「ねえ、ジャック=バティスト、怒らないでほしいんだけど」 アナがごくためらいがちに、けれどもハイスクールの教頭としての威厳をにじませて云った。 リックはさりげなく、何かを身構えている。 「腕を見せてちょうだい」 ……うで? なんで? 僕はまったくもって面喰った。きょとんとした。 リックがそっと僕の手首を取る。ああ、リックは僕が嫌がって暴れるとでも思ったのかな。 アナは、僕の袖を肘までたくしあげると、腕の内側を触ったり見つめたりした。 なあんだ、そういうことか……。  僕はやっと事情がのみこめた。 そして、ちょっとホッとした。 アナはさ、僕がドラッグにでも手を出したんじゃないかと疑ってたんだ。 緊張の糸が緩んで、僕は思わず笑い出しそうになるのを噛み殺しながら云った。 「あのさ、僕、別にクスリに手を出したりしてないよ? 腕に痕なんかないだろ? もちろんスニッフィングも」 そもそも、僕はマリファナだって吸ったことなかったからね。 今の僕には「そんなもの」なんか必要なかったし。 精力が搾り取られてるのは、もっと「別のこと」だ……。 アナは厳しい顔つきのまま、さらに僕に尋ねた。 「じゃあどうしたっていうの? ジャック=バティスト。はっきり云って、あなたこのところ様子がおかしいわ」 僕はついに話す覚悟を決めた。だが、それは「ある程度まで」だ。 「……学校やバスケットに興味がなくなったのは……好きな人ができたからなんだ」 リックとアナが息をのんだ。 そしてすぐに、リックが、さも愉快そうに笑いだした。 ひとしきり笑い終わると、リックが云った。 「ほらごらん、アナ。きっとそんなことだろうって。まったく君は心配性すぎるよ、よりにもよってジャックがドラッグなんて」 リックは、また笑い出す。 「その人のことを考えていて、何も手につかないってワケなの? ジャック=バティスト」 アナは依然として、ごく真面目な表情で僕を見つめていた。 だから僕も、真剣な顔でアナを見つめ返す。 「うん。その人に、すごく会いたくて」 するとリックが、からかうような様子で口を挟んできた。 「それで、どんな子だい? ジャックをそこまで夢中にさせるなんて。もしかして年上かな?」 「嘘がバレない方法」。 昔、本かなんかで読んだ。八割の真実の中に二割だけ嘘を入れる。そうすれば絶対に露見しないって。自分自身も「嘘をついている」ってことを忘れられるからって。 「年上だよ。だから、あまり逢えなくて。それでたまに授業を休んだりした……ごめんなさい」 僕にここまで云われては、リックもアナも、それ以上は何も聞けなくなったみたいだった。 そもそも、「相手がどこの誰か」なんて、そんなことに踏み込んでくるようなふたりじゃない。 ただアナは、最後に教訓を垂れるのを忘れなかった。 しょうがない、だって彼女は教頭先生だからね。なんといっても。 「ジャック=バティスト、その方とのお付き合いになにか問題になることはないのね? たとえば……ご家庭がある方だとか」 「配偶者はいない」 嘘じゃない。タケシは独身だ。 「婚約者がいる」とか、「いた」とかは聞いたけどさ……。 「まあ、もういいだろう、アナ。恋の病につける薬はないというからな?」 「わたしだって、野暮なことを云いたいんじゃないのよ、ジャック=バティスト。『そういう気持ち』はよくわかる。でも……もう少し自分の生活のことも考えてちょうだいね。あなたにとって、今は勉強もスポーツも大切な時なのだから」 「そうはいっても、止められないのが恋だろう? な?」 リックはそう云って、僕に軽く片目をつぶってみせる。 きっと、リックの頭の中ではさ。十七歳の純情な僕が、美しい妙齢の女性に首ったけになっている様子とかが再現されてるんだろうな……。
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