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ともかく僕は、この顛末のおかげで、タケシとの関係をもっと慎重に運ぶようになった。
そしてタケシはほどなく、リックとアナの家を出て、フラットを借りて住むようになった。
つまり、タケシの部屋で、僕たちは好きな時に会えるようになったんだ。
当時僕は、ハイスクールを出たら、てっとり早く自活しようと思い、RCMPの警察官になろうなんて思ってたんだ。けど転勤が多い仕事だと聞いて、気が変わり始めていた。
だってさ、タケシと離れなきゃならなくなる。
タケシから大学や研究の話をよく聞くようになったせいもあってさ。大学に行くのも悪くないのかもって思い始めていた。
もしかしたらさ、タケシと一緒に住むこともだってできるかもしれない。
ベッドの中で、タケシとはいろんなことを話した。
タケシが小さい頃、保守的な一族の中でどれだけ居心地の悪い思いをしてきたかとか。
三人の姉には影に日向にといじめられたらしい。
反動のように、都会の大学に出て男遊びをしまくったとも云ってた。
なるほど、そこでタケシの「テクニック」は培われたわけだ……と、僕は納得した。
僕も、誰にも話したことなかったことを……たとえば、ジャン=ピエールの家で初めてされたフェラチオのこととか、施設でどうやって自分を慰めていたかとか、そんなことを話したりした。
本当に、僕らはすごくたくさんの事を語り合った。
ただタケシには、僕が何度尋ねても、はっきりとは教えてくれないことがあった。
日本での表情解析プログラムの研究をやめて、どうしてトロントに留学なんかしたのかってこと。
「表情のサンプル画像を見ていたら、人間の心理にも興味が湧いてね……」とか、ひどく曖昧なことを云うだけで。
基礎的な心理学なんて、わざわざカナダにまで来て勉強するようなことでもないはずだ。
心理学のコースで教鞭をとってるリックだって、こういっちゃなんだけど世界的権威ってワケじゃないから。
そろそろ、結論から云う。
僕は結局、ハイスクールを卒業した後、RCMPの警察学校に入った。
大学へは進学しなかったし、タケシと一緒には住まなかった。
タケシとの別れは、ひどくあっけなかった。
でも、とても傷ついた。
僕はハイスクールの最終学年になってた。
冬のセメスターの試験が終わって、これから、タケシに思う存分会えるんだっていう開放感に浸ってた。
そして、僕はタケシの部屋に、ほとんど入り浸りになった。
何してたかって? もちろんセックスをしていた。
僕もタケシも、互いの身体については「知り尽くした」っていっていいくらいだった。
でも、快楽の刺激にはまだまだ倦むこともなく、その日もタケシに貫かれて一度果てたにも関わらず、僕はすぐにタケシの背後に回って、自分をタケシの中に突き立てていた。
僕らの息遣いだけが響く冬の午後の部屋に、突然、耳に突き刺さるような、聞いたこともない金属音が響き渡った。
最初は、何が何だか分らなかった。
後になって、それがドアチェーンを強引にねじ切ろうとする音だったってことが分った。
あっという間に音は止み、耳障りな靴音をさせて誰かがフラットに入ってきた。
寝室のドアが乱暴に開け放たれる。
四つ這いになったタケシの中に自分のペニスを挿れた状態だった僕は、そのまま顔だけでドアの方を振り返った。
長いコートを着た女の人が立っていた。傍には何かの工具を手にした、かなり体格のいいプエルトリコ系の男が立ってる。
コートの女性は大股でベッドへと近づいて、何事かを云いながら僕を突き飛ばした。
たぶん、日本語を話していたんだと思う。
タケシは最初、口もきけないくらいに驚いていたけど、その女性に詰め寄られて何事かを云い返す。
でもそれは、女性の剣幕と比べれば太刀打ちできないほどの弱々しさだった。
そして、コートの女性は僕の方を向くと、すごく乱暴な英語で、
「二度とこんなマネしてごらん、あんたの知り合いに、みんなバラしてやるから!」と叫んだ。
僕はタケシを見た。
タケシは怯えた目をして、すぐに僕から視線をそらした。
「どこへ行っても男とファックすることは忘れないのね」
彼女はタケシに向かって、そのまま英語で云う。そして僕の方を振り返り、さらにこう続けた。
「いつまで居る気? さっさとここから出て行きなさい、この薄汚いホモ!」
こみ上げる怒りで手を震わせながら、僕は散らばった服を集めて身につけた。
僕が部屋を出ていこうとしても、タケシは何も云わなかった。
そのかわりに、ドアの脇に立っていたプエルトリカンが、僕に向かってとてつもなくひどい、ゲイを侮蔑する言葉を吐きかけた。
あまりのことに、なにひとつ言い返せぬまま、僕はフラットの外に出た。
冷たいみぞれが降っていた。
でも、僕の身体は怒りで燃えるようだった。
いきなりベッドルームに侵入してこられて、あんな侮辱的な振る舞いをされるような。
そんな目にあわされる覚えなんてない、僕には一切ない。
もしかしたらあの女は、タケシの婚約者とかっていう女なのかもしれない。
それにしたって、あんなヤクザなプエルトリカンを雇って、ドアを壊してまで入ってくるなんて。
ひどすぎる。
それになにより、僕はタケシにこそ腹が立った。
あんな目にあわせておきながら、タケシは僕に一言もなかったんだ。
僕はずぶ濡れで家に帰った。
リックもアナも、まだ戻っていなかった。
シャワーを浴びる気力も、服を着替える気力もなく、僕はベッドに倒れこんだ。
そして、それからひどい熱を出して、一週間近く寝込んでしまった。
話は、それでおしまいだ。
熱が下がって、起きられるようになった僕は、すぐにタケシのフラットを訪ねてみた。
けれど、そこはもう引き払われた後だった。
タケシからはその後、一切、連絡はない。
やっぱり、部屋に乗り込んできた女性は、タケシの婚約者だったんだと思うよ。
本当のことなんて、結局、何も僕には知らされなかったんだけどね。
今なら、事態のおおよその想像がつく。
タケシは「男の恋人」がいることが露見し、日本からトロントへと「逃げて」きたんだろう。似たような話は、僕もその後、いろんなところで耳にした。
そうさ。ごくごくありがちな話だ。
タケシは、優しい人だった。
誰にでも、優しくあろうとしていた。
そして、それは結果的に、全部の人をたくさんたくさん傷つけた。
それからも、きっとタケシは誰一人として、幸せにすることなんかできなかっただろう。
もちろん、彼自身さえも。
自分自身に嘘をついても、周りの人の期待を裏切ることができなくて。
そして、がんじがらめに縛られる。
不自由な「かごの中の小鳥」みたいな――
タケシは、そんな人だったんだろう。
最後には、タケシも「あの女性」と結婚したかもしれない。
もちろんタケシは、その人に優しくあろうとしただろうね。
でも優しくすればするほど、彼女はきっと傷つくんだ。きっと、とても。
だって、タケシは彼女を愛していないから。
そして、絶対に愛することができないから。
僕はイヤだ。
そんな嘘ばかりの、縛られつづける人生は嫌だ。
僕が顔向けできないと思うのは、後ろめたいと思うのは、ただひとり、神様に対してだけだ。
他の誰にも、あんな風に罵られるいわれはない――
今となっては、タケシのことを本当に「好き」だったのか。
僕にももう、よくは分らない。
ひょっとするとタケシの云ったとおり、僕は「彼のセックス」が好きだっただけなのかもしれない。タケシが僕を大事にしてくれるから、そのことが嬉しかっただけなのかもしれない。
でも、僕はタケシに心を開いたし、彼を信用した。
あんな風に、自分のことを打ち明けた相手なんて、あとにも先にもタケシ以外いなかった。
彼との別れは僕の心の中に、いつまでも固いかさぶたを残す傷になって残ってる。
もう大分、小さくはなったけれど。
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