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2   堅信礼の後は、施設での男の子と女の子の部屋が分けられる。 僕にとっては、施設でのそれからの暮らしが、ちょっとキツイものになった。 なぜって。 同部屋の男の子たちが、女の子への性的関心を強めつつある中で、僕だけはどうしても、その話についていくことができなかったからだ。 夜の見回りが行ってしまった後、部屋のみんなは、互いにこっそり回しあっていたポルノ雑誌や写真を取り出して、各自、自慰に耽る。 だけど、僕はそんな写真なんかじゃなくて、ルームメイト達が、懸命に激しい息遣いを押し殺しながらベッドをきしませている様子に、ひどく心を乱されてしまう。 だから僕は、みなが一通り「それ」を済ませてしまって、寝息だけが聞こえるようになってから、彼らがどんな風に自分を触っているかを想像しながら、マスターベーションをしていた。 そして、そうやって射精した後の惨めな気持といったらなかった。 ベル神父様は聖ヴィトワール会(SVC)のブラザーだ。 SVCは青少年教育に熱心な会派で、施設の僕たちはよほどのことがない限り、SVCの運営する学校に通うことになっていた。 別に、信仰を強要はされたりはしないんだけど。   その当時、僕たちは友達同士ではフランス語――フランスから来た人たちには大抵、平板すぎると嫌われる、ケベックのフランス語(ケベコワ)で話をしていた。 僕の小学校(プライマリー)の最後の担任の先生は、大人になってからケベックに移住していた来た人だった。それまでは「トゥールに住んでいた」と自己紹介で云っていた。 彼は修道士(ブラザー)ではなかった。もちろんカソリックではあったけれども。 学校の先生にはブラザーが多かった。 だけど「修道士であること」は採用の条件ではなく、修道院に属さない教員もたくさんいたんだ。 彼は大人になってから、ここへやってきたにもかかわらず、他のフランスからの移住者たちみたいに、冬の寒さからワインの不味さから、何から何までに文句をつけたりはしなかった。 けれど、僕たちのケベコワの発音をフランス風に修正するのには、とっても熱心だった。 今、大抵の人が僕を呼ぶときの「ジャック」は、「Jack」に限りなく近いけど、彼、ジャン=ピエールが、僕を「ジャック=バティースト」と声を張り上げて呼ぶときは、「Jacques」っていう綴りが目に見えるようだったよ。 そのお蔭というのか、観光客なんかには「キレイなフランス語を喋る」って、僕はよく感心された。 ジャン=ピエールは授業中、かなりしばしば、僕のノートを覗き込んだものだった。 綴りの間違いを指摘したり、色々と僕に問題を答えさせたりするのだけど、そんな時にはかならず、背後にぴったりと近づいて立って、僕たちの同じ側の肩がくっつくようにした。 なんっていうか、変な云い方をすれば、「後ろから肩を抱かれている」ような感じ。 そして、ジャン=ピエールは、自分の腕を、僕の腕に沿わせたりすることもあった。 「なんか変だな?」って感じることもあったよ。 でも、僕って随分「ぼんやり」してたのかな。当時はそれほど、それを気にしていなかった。 ジャン=ピエールの付けていたちょっとスパイシーなアフターシェーブローションの香りを、まだ今でも思い出せるくらいだから、「そういう接近」っていうのが、随分頻繁にあったんだろうけど。   僕が何の反応も――拒絶をも含めて――示さないからなのか、ジャン=ピエールは少しずつ大胆になっていった。 最初は、肩と肩や腕と腕が触れ合うくらいだったのに、ジャン=ピエールの腕は少しずつ下がっていって、僕の腰や、どうかすると、それよりもっと下の部分に軽く指を立てたりするようになった。 小さい頃は、友達とふざけて、頭や顔やわきの下をくすぐりあって追いかけっこしたりするだろう?  僕だって、ごくごく幼いころは男女を問わず、友達の足やお尻を触ったりつねったりしてふざけたことはあった。 でもそんなことって、普通、大人の男の人はしないだろう? さすがに僕も「おかしいな」って思い始めた。 ある時、ジャン=ピエールの指が、あまりにもしっかりとヒップのふくらみを捕らえたことがあった。 僕は、思わず彼から飛びのいた。上手く云えないけど、なんだかとても奇妙な感じがして、考えるより先に身体が動いた。 でも後から考えてみると、それって、ジャン=ピエールにとっては、とうとう僕が彼の手に「反応」したっていうことだったんだ。 僕の「その反応」が、彼の中の「何か」を後押ししてしまったのかもしれない。
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