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12 「居眠りハッチンソン」が、アカデミーでの訓練開始早々、単位取得の危機に遭遇した日。 その晩のことだ。 その頃、僕ら訓練生(カデット)は、まだアカデミーからの外出が認められていなかった。 だから金曜の夜だというのに、カフェテリアでの夕食には、今期のカデットが勢揃いだった。 明日からの束の間の休息に心と口が緩んでいるのか、皆は、いつにもまして騒がしい。 隣のテーブルでも、女性三人のグループがサブマシンガンを連射するみたいに喋りあっていた。 無我夢中の女性の喋り声。 僕はこれが、今一つ苦手だった。  とはいえ、場所を移ろうにも、どこもかしこも、テーブルはトレイを前にしたカデットたちで埋まっている。 僕の連れのリック・ハミルトンはといえば、どうやら隣の喋り声など、まるで気に留めていないようだった。 いつもどおりの顔をして、サウザンアイランド・ドレッシングまみれのコーンサラダへと行儀悪くフォークを突き立てている。   僕たちのテーブルの沈黙の中に、隣のカデットたちの噂話が入り込んできた。 リックは、黙々とコーンサラダを攻略している。 僕も、なるべく違うことを考えるようにして、彼女たちの声を頭の中から追い出そうと努力した。 赤毛のショートヘアで、そばかすがいっぱいの顔をした大柄な訓練生(カデット)が、手に持ったフォークにチキンを突き刺したまま、早口でいろいろとまくし立てている。 同じ教室の彼女に対し、僕はひそかに『アン・オブ(赤毛の)グリーンゲイブルス(アン)』ってあだ名をつけてた。 「赤毛のアン」が、不意に云った。 「ところでスタンレイ=ストーン・コールド。彼ってすっごく格好いい」 その瞬間から、僕はもう、彼女たちの話から気をそらすことができなくなる。 「誰? その『ストーン・コールド』って?」 聞き返したのは、肌の浅黒い、小柄で縮れ毛のカデットだった。 僕たちと同じ教室ではない女性だ。 すると、もうひとりのブロンドで黒ぶちの眼鏡のカデットが、 「スタンレイ・ハンセン教官よ。フィットネスとタクティカル・オペの」と、すかさず説明を始めた。 「ああ……あの背の高い。ブルネットの」 縮れ毛の彼女が言う。そしてまた、 「でも、『ストーン・コールド』って何のこと?」と問い返した。 「代々、カデットにそういうあだ名をつけられてるらしいよ。石みたいに無表情で冷静ってことみたい」 赤毛のアンが、すぐさま応じた。 縮れ毛の子が頷く。 「ハンセン教官ね……そういえば、彼の実技の授業、とんでもなく『エグい』って聞いた」 すると、黒縁眼鏡のブロンドが、悪夢を思い返すみたいに 「『実技』じゃなくたってエグかったわよ、今日なんて……」と呟いた。 彼女は僕と同じ教室だった。 「わたし、すっごく好みのタイプなのよね、ハンセン教官」 「赤毛のアン」が、ブロンドの呟きを完全に無視して口を挟む。 僕はフレンチフライにフォークを突き立てながら、彼女たちの会話に、すっかり釘付けになっていた。 黒縁のブロンドが、スタンの話を続ける。 「でもあの人って、何歳? だって階級、警部補(スタッフ・サージェント)でしょう? 見た目は若そうだけど」 「すごく昇進が早かったって聞いたことある、優秀なんだって」と、縮れ毛の彼女が応じた。 へえ……? 彼女、意外と情報通なんだ。 「制服姿がいいのよね、彼」 と、赤毛のアン。 「……それは認める」 ブロンドの眼鏡は、しぶしぶとだが同意した。 「彼とデートできたら最高に幸せ」 そういって、赤毛のアンはチキンを口にする。 なんだか僕は「赤毛のアン」に対し、軽いイラ立ちを覚え始めていた。 だってさ。 冗談でだって……僕はそんなこと口にできやしないのに。 するとブロンド眼鏡が、 「彼、結婚してるんじゃないの?」と、赤毛の熱中ぶりに水をさす。 「マリッジリングはしてないわよ」 縮れ毛の子が云った。 彼女、観察力の方もなかなかに鋭いみたいだ。 もちろん、マリッジリングの件については、僕だってとうに気がついていた。 「左利きみたいだし、外してるだけじゃない?」 ブロンド眼鏡は自説を曲げない。 「指輪のあともないわよ」 赤毛の声が、一段と大きくなる。 「ねえ、彼の指ってすごくキレイじゃない? 講義の時、つい見とれちゃう。ああ、この後のタクティクスの実技、すっごく楽しみ」 「危ないから、実技の時間はよそ見しないで。わたし、アンタの弾丸に当たるのはゴメンよ」 ブロンドが大袈裟な身振りで腕を振る。 ああ、それこそ「銃火器の『誤った使用』による死傷者」ってコトだよな……って。 今日のハッチンソンの失態を思い出し、僕は少し顔をしかめた。 リックはといえば、ドレッシングでピンクに染まったコーンサラダとの格闘を終え、さっきから盛んに僕へと話しかけてくる。 でも僕の意識は、隣のグループのスタンの噂話の方に向いたきりだった。 とうとうリックに、「ジャック、一体どうしたんだよ」と訊ねられるハメになる。 しかたなく「ハンセン教官の実技は厳しいんだってさ」と答えて、隣のテーブルに軽く視線を向けてみせた。 リックも、隣の噂話がスタンに関することだと気づいていたんだろう。ごく納得したように頷いた。 「とんでもないらしいな、あの『ふたつ名』は伊達じゃないらしいぞ」 「ふたつ名?」 僕はわざと訊き返す。 「『ストーン・コールド』だよ、メチャクチャに『しごく』ってさ。カデットが吐こうが倒れようが、眉一つ動かさないらしい」 すると突然、隣のテーブルのカデットたちが、話に加わってきた。
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