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「君たちが、アカデミーでトップクラスの成績を上げていることは事実だ。自分たちでも認識しているだろう」 突然、スタンがこう口火を切り、僕らは面食らった。 「特にフィットネスでは優秀過ぎるくらいだ」 僕はスタンの云うことが、ますます分からなくなる。 「カデット=リーバーマン、アカデミーの入学テスト及びアカデミーの講義でフィットネス科目が設定されている理由は?」 スタンは机の上の書類の束の位置を軽く動かしながら、こう尋ねた。 質問は、やや唐突な感じがした。 でも、感心することにリーバーマンは、ほんの数秒のうちに、なんとか回答を試みた。 「……騎馬警官(マウンティー)としての職務執行の基本となる必要不可欠な能力を養成するためです、ハンセン警部補(スタッフ・サージェント=ハンセン)」 「正解だ、リーバーマン。『必要』だからやっている」 そういうと、スタンは、僕たち三人を、初めてじっくりと眺めやった。 その視線に、僕らはショーン・リーガン云うところの「縮みあがる」思いがする。 「つまり、『フィットネスのために』フィットネスをやっているわけではない。理解しているか? レスリー・モーガン訓練生」 そしてスタンは、レスの右肘を一瞥した。 シャツの袖で隠れているけれど、レスはしばらく前から、そこにサポーターをつけていた。 バーベルトレーニングで痛めたのだ。 「身体の酷使による極度の消耗を達成感を混同することは、警官としての職務遂行に有益だと思うか? ミシェル訓練生?」 スタンは次に、僕を見据えた。 僕は口がきけなかった。阿呆みたいに。 「フィットネスの時間に消耗しつくして別の講義に支障をきたすようでは、アカデミーの意味がない。実際に公務についた場合、警官(マウンティー)はマルチタスクで動かなければならない。一人の犯人を全力で走って追って、挙句に倒れるようなマウンティでは使い物にならない。私の言いたいことは分かっているな? モーガン、リーバーマン、ミシェル」 スタンの言葉を聞いて、僕は恥ずかしくて逃げ出したい気持ちになったよ。 他の二人はどうだったんだろうか? 彼らも黙ったままだった。 永遠に続きそうに思えた気まずい沈黙の中で、スタンは流れるように優雅な歩みで、デスクチェアへと戻っていく。 そして、僕らを振り返ると、再び口を開いた。 「訓練生三名は、何か誤解しているようだから付け加えておくが、今の話は『叱責』ではなく単なる『アドヴァイス』だ。お前たちは一体、何をそんなに怯えている?」 スタンは椅子に腰を下ろし、デスクに肘をついて組んだ長い指の上にシャープな顎を軽く載せる。   僕たちは、引き続き口もきけない状態だった。 でも、デスクの向こうからスタンが今一度、上目遣いに視線を向けられて、ついにリーバーマンが、狼狽と混乱を隠し切れない口調ではあったが説明を始めた。 「あの、いえ。ですから、我々は、その、トンプソン教官が……」 「トンプソン教官が、何だ?」 いってスタンは、顎を載せていた指をスッと解いた。 「……トンプソン教官が、午後の講義で。あの、ハンセン教官からのメッセージを教室で読み上げて、それで僕たちは」 これを聞くと、スタンは背もたれに寄りかかりながら、大きく眼を見開いた。 「スタンレイ=ストーン・コールド」が、そんな風に表情を変えるところなんて、その時、僕は初めて見た。 他の二人も、「自分たちが見ているものが信じられない」という表情をしていた。 「……あの爺さんときたら」 ごく低く、スタンはこう呟いた。 とても小さな声だったけど、僕たちにもハッキリと聞こえた。 そしてスタンは、今度はレスに視線を合わせて云った。 「『読み上げた』ね……」 レスは、咄嗟に言葉が出てこないのだろう、とにかく激しく頷いていた。 スタンが、両腕を椅子の肘掛けに載せた。 その端をしっかりと握り、「そいつは……まったく…」とだけ云って、しばらく口をつぐんだ。 そして、デスクの横の小さなキャビネットの上に、ゆっくりと長い両脚を載せる。 僕はスタンの一挙手一投足に釘付けだった。 「気の毒だったな。だがそれは、私が意図した事態とは異なる」 いいながら、スタンは自分のつま先を見つめている。 スタンの視線がそれた隙をぬってこっそりと、リーバーマンが「それで俺たち……どうすれば?」という風に、僕の方を覗う。 すると、レスが声を上げた。ごく唐突に。 「ハンセン教官に質問してもよろしいでしょうか」 「許可する」 スタンはレスに視線を向けると、脚をキャビネットから下ろした。 スタンの澄み切った水色の目。 その綺麗な瞳を、レスリー・モーガンに独り占めされた気がして、僕は少し、レスに嫉妬を覚えた。 「先程、教官は自己犠牲を伴うような職務遂行を奨励しない趣旨のご発言をなさったと思いますが……」 レスが、そこで少し云い淀む。 「続けろ。モーガン訓練生(カデット・モーガン)」 スタンは、まだまっすぐにレスだけを見つめている。 「自分は、自己犠牲を伴っても国民の安全を保つことこそマウンティの使命と思い、仕官しました」 勇敢にもレスは「スタンレイ=ストーン・コールド」に向かって、なにごとか、一席ぶつ気でいるらしい。 「陳腐な云い方かもしれませんが、自分の生命と引き換えてでも何かを守らなければならない状況があった時は、それをためらわず実行したいと考えています、ですから……」 レスの大演説を聞くリーバーマンの顔色が、どんどんと青ざめていく。 「ああ、人間の顔色ってこういう風に青ざめていくんだなぁ」って、僕は、その場の話とは全然関係ないことを考えてしまう。 「ですから、自分は訓練に常に全力で取り組んできましたし、これからもそうするべきだと考えています」と、レスは、ここまで一気に喋り終えた。 そうなんだ……僕に云われたくないかもしれないけれど。 レスリー・モーガンは、バカがつくほど真面目な男なんだ。いや、「暑苦しい」っていう方が正しいかな。 スタンが軽く首を傾げる。そして、「なるほど」と低く呟いた。 その瞬間、僕は「ああ、これはヤバイな」って思ったよ。 だって「この仕草」と「この科白」はさ。スタンが授業中、カデット達に「最悪のシナリオ」をプレゼントしてくれる直前のものと、全く同じだったからね。 石の冷たさの無表情のまま、スタンが静かに口を開く。 「テレビドラマの見すぎのようだな、モーガン訓練生」 そしてリーバーマン、僕、そしてレスリーへと順に視線を向けた。 「質問に答えよう、モーガン訓練生。殉職を美化するのは、ここの真南にある国の田舎警察だけで十分だ」 回りくどくて突き放した口調。 「スタンレイ=ストーン・コールド」お得意の、ぞっと背筋に氷水を浴びせられるような皮肉だった。 なのに、レスのヤツときたらまだ、ごく挑戦的な視線をスタンの方に向けていた。 僕は驚きを通り越して、ちょっとレスリーに呆れてしまう。 「カデット諸君、君たちが毎週得ている給与も、一向に標的にあたらない弾薬代も、(バラック)のバスルームの光熱費も、一体、誰が支払っているか知っているか?」 いつもの、ごく低いけれどもはっきりとした口調で、スタンが話を続ける。 「支払っているのはカナダ国民。すなわち税金だ。さて、このように公費をつぎ込み訓練した警官に、数年の在職で死なれるとしよう……では、ミシェル訓練生」 突然に矛先を向けられ、僕はとんでもなく驚いてしまう。 スタンの青い瞳が、今度は僕を見つめていた。 「君が順調にアカデミーを終了し、配属(ポスティング)されるとしよう。それまでにミシェル訓練生に掛かった訓練費用、諸手当および今後予定される巡査見習中の給与。これらすべてを、アカデミー卒業後、君に支給される給与だけで回収するには、一体何年必要だ?」 待ってよ。 なんだって「例」が「僕」なんだ? 「質問」をしたのはレスなのに。 でも、スタンの視線が僕に向けられていると思うと――スタンが僕だけを見つめているのだと思うと。 もうそれ以上、マトモなことなんか、なにひとつ考えられない。 そんな風に、ひと言も答えられずにいると、スタンが僕から視線をそらした。 「君たちが考えている以上の年月が掛かるはずだ。分かるか、レスリー・モーガン訓練生」 レスリーはというと、まだ顔をしっかりと上げて持ちこたえていた。 それを見て、僕はレスを、ちょっとだけ尊敬するような気持ちにもなってくる。 スタンが続けた。 「殉職? バカバカしい、せめて年金がつくまでは生きてしっかりと働け。それが国民に対する、最も誠実な態度だ」 驚いたことに。この期に及んで、レスはまだ、スタンに意見を返そうとしていた。 まったく……「すごい度胸」というか「雰囲気を読まない」というのか。 リーバーマンは、無謀なピッチャーに向かってチームメンバー全員で「バッター敬遠」のサインを送っている時みたいな顔をして、必死にレスを見つめている。   そんなリーバーマンの様子など全く気づきもしないのか、レスはさらに、こう云いつのった。 「しかしハンセン教官。金だけの問題でしょうか、正義と金は秤に掛けられるのですか?!」 「『正義』、なるほど? 君の述べるところの『正義』が、具体的に何を指しているのか説明してくれ。カデット=モーガン」 淡々とスタンが問い返す。 「『何』って……。正義は、正義です」 ああ、レス……。 その球はもはや「デッドボール」だよ。 「問いへの回答になっていない。モーガン訓練生、この問題について、これ以上話すことはなくなった」 スタンが、再び腕時計に視線を落とす。 「集合から、ちょうど五分経過した。用件は以上だ」 スタンがそう云うと、僕とリーバマンはほぼ同時に、そして一息おくれてレスが、休めの姿勢を解き、敬礼をした。 スタンはたくし上げていた右袖を伸ばし、カフのボタンを留めながら、ふと思い出したようにこう付け足す。 「配属されて五、六年の警官が殉職したところで、RCMPから遺族に渡る額なんてたかが知れている。期待するな。ああ、警官の場合、生命保険の保険料も高くつく」 そしてスタンは、カフから視線を上げて、敬礼したままの僕たちに顔を向け、 「教わっていないといけないから、念のために云っておいただけだ」と、皮肉の仕上げみたいに云った。 続けて、「訓練生三名の退出を認める」と命じられる。 僕らは敬礼を解いた。 リーバーマンを先頭にレス、そして僕という順でドアへと向かう。 そして、ドアを閉めるために、僕はもう一度、部屋の中を振り返った。   スタンは、もう僕たちなんかまるで存在しないみたいに、左手首のカフへと意識を集中させていた。
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