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トンプソン教官が、スタンの横までやってきた。 それから、僕の方を向いてこう云った。 「ミシェル訓練生……ああ、いや、ミシェル(コンスタブル=)巡査見習(ミシェル)。アカデミー修了、おめでとう」 トンプソン教官からの祝辞に、僕は敬礼を返した。 教官は、数回頷いて僕の敬礼に応じる。 そして、本人と同様に大分貫禄のついた――まあ簡単に云うと「よれてる」ってことだけど――ブルーサージの内ポケットから、パイプのポーチを取り出した。 年齢的にも「パイプ歴」は随分と長いに違いないのに、トンプソン教官のパイプの取り扱いはどことなく「もたついて」いて、なんだかユーモラスな感じがした。 優雅に煙草を燻らせるスタンとは、まるで正反対だ。 トンプソン教官とスタンは、灰皿を挟んで向かい合い、口数は多くないけど、存外と親しげに言葉を交わしていた。 この二人ってアカデミーの教官の中でも、ホントに色んな点で対照的だって思ってたからさ。 僕は今の今まで、二人が談笑するなんてシーンを考えてみたこともなかった。 でも、どっちも「煙草」を吸うんだから、こうやって喫煙所で顔を合わせることだって、そりゃ「ない」とはいえないよな。考えてみればさ。 そんなことを考えながら、僕はふたりの様子を眺める。 するとトンプソン教官が、また僕の方を向いて、 「今期は優秀な訓練生(カデット)が多かったな」と云った。 科目別の成績で、僕はフィットネスの二位だった。 首席は、スタンの「アドヴァイス」事件にもかかわらず「気合い」を貫き通した、あの「トレーニング・ジャンキー」レスリー・モーガンが勝ち取った。 そして僕は、射撃実技(ファイアアーム・タクティクス)では二位、学科総合では三位だった。 ちなみに、ファイアアーム・タクティクスの首席は、同室の「新聞男(ペーパー・ガイ)」ラース・シェーンバーグだ。 ラースは、フィットネスでも三位だったし、学科は二位だった。 さらに付け加えると、学科の首席は、あの情報通の縮れ毛のフランス系女性。 カフェテリアでスタンの噂話をしていた女性たちの一人だ。 そして、総合で首席を取ったのは、なんと僕だった。 別にそういうのを目指してたわけじゃないんだけど。 ううん、厭味じゃないよ。 こんな結果には、自分でもびっくりだった。 ところで、「ペーパーガイ」ラース・シェーンバーグだって、僕とそれほど多差がついていたわけじゃなかった。 彼に対しては、デポ・ディヴィジョンのトップであるブローニング警視長(コマンディングオフィサー)が、特に「優秀」として、特別に賞を授与に来た。 トンプソン教官が「今期は優秀なカデットが多かった」と口にしたのは、たぶん、こういった事情があったからだろう。 「それで、君のポスティング先はどこかね、ミシェル訓練生?」 そう訊きながら、トンプソン教官は、なんとも不器用な手つきでパイプから灰を搔き出す。 「メトロ・トロントです」 僕は、トンプソン教官にきちんと向き直って返答した。 たださ。僕の視線はトンプソン教官じゃなく、その斜め後ろで二本目の煙草に火を点けているスタンに向いていたんだけどね。 「トロント。ほほう、大都会だな」 トンプソン教官はポーチから煙草の葉を摘み出す。そして、そこはかとなく危なっかしい手つきで、それをパイプに詰め始めた。 詰めている葉っぱより、こぼしている方が多いんじゃなかろうか? 教官の様子をみながら、僕がそんなことを思っていると、突然、スタンの低音が響いた。 「メトロ・トロントだったら、配属早々、忙しいだろうな」 この声。 やっぱり、いつ聞いてもドキドキする……って思った。 そしてスタンは、制帽のつばに右手で掴むと、なめらかな動きで脱帽した。 取った帽子を小脇に抱え、軽く目を伏せて煙草を口元に運ぶ。 その優雅な仕草に、僕の意識は釘付けになった。 そんな僕へと、スタンが再び声を掛ける。 「たしか……出身はトロントだったな? ミシェル巡査見習」 別に、そんなに嬉しがる事じゃないんだ。 スタンが、僕のプロフィールを覚えていてくれたからって。 スタンレイ=ストーン・コールドの記憶力がコンピュータ並だってことは、訓練生の間で、毎年評判になることのひとつに過ぎないんだから。 他のカデットの出身地だって、スタンは覚えているさ。 「はい、トロントから来ました。ハンセン教官」 嬉しくて切ない。そんな何ともいえない気持ちを飲み込んで、僕はやっとこれだけを答える。 「おやおや、そこまで遠くもない距離だ。家族は来てないのかね、ミシェル訓練生」 トンプソン教官が、パイプを軽くふかしながら葉に火を回した。 するとスタンが、トンプソン教官に向かって、ちょっとだけ、諫めるように顔を顰めてみせる。 まさか、スタン。ひょっとして。 僕がさっき、「家族は来ない」と会話を終わらせたから。 もしかして今のって、僕に気を遣ってくれたの?  スタンの表情が意味するところを察したのか、トンプソン教官は両手を肩の所まで上げると、おどけたような身振りをして、そのまま僕に背を向けた。 そして次の瞬間、僕とスタンの目が合った。 澄み切って冴えた水色のスタンの瞳。 いつもどおりのアイスブルー。 一秒? いいや、もっと短かったのかもしれない。 僕たちが見つめ合った時間は。 我に返った僕が、焦ってスタンから視線を視線をそらそうとした時。 僅かに、ほんの僅かに、スタンの瞳に柔らかい光が走った。 それまでに一度も見たことのない何かが。   ほんの一瞬のことだった。 スタンの、その表情を説明するのに一番近い言葉を探すとしたら、それは。   そう、おそらくそれは―― 「微笑」だった。 不意に、遠くから僕の名を呼ぶ声がする。 会場の真ん中で、デポ一番の白馬、ディーフェンバウアー号が盛大に尾を振っていた。 ディーフィー号は、これまたデポで一番の鞍をつけられ、きっちりと鬣を編みこまれている。 僕らの記念撮影用の「おめかし」だ。   皆がまた、僕を呼んだ。 「ジャック! 早く来いよ、首席が一番に写真を撮らなくてどうするんだ?!」 ディーフィー号の方へ向おうとして、僕はふたりの教官へ敬礼をした。 トンプソン教官はとびきりの笑顔と頷きで、それに応じてくれる。 けど、僕が敬礼をした瞬間、スタンはちょうど視線を落としていた。 灰皿に煙草の灰を落としているところだったのだ。   再度、同期たちに急かされた。 僕はそのままスタンに背を向け、ディーフィー号へと駆け出す。 それが―― アカデミーで、僕がスタンに会った最後だった。
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