90人が本棚に入れています
本棚に追加
/54ページ
そしてスタンも、すぐ僕に気が付いた。
だから僕は、今さら踵を返してガードナーのとこに戻るわけも行かなかった。
意を決して、スタンに声を掛ける。
さも偶然に、恩師と巡り合った元生徒といった感じで。
「ハンセン警部補? もしかして、デポのハンセン教官ですか?!」
アカデミーを出てから随分経つのに、スタンは僕が名のる前に名前を思い出してくれた。
――スタンが、僕の名前を覚えてくれていた。
喜ぶもんか。喜んじゃだめだ。
自分を戒める僕の心の声は、すぐに幸福にかき消される。
嬉しくて嬉しくて、僕はスタンの、あの冷たいブルーの瞳を覗き込む。
サージ・ガードナーも、僕らの方にやってきた。
ガードナー巡査部長は、アカデミーでスタンの講義を受けたことがなかったらしい。僕とは、世代が少し違うからね。
そしてガードナー巡査部長とスタンが、互いに初対面の挨拶を交わし合った時。
有頂天だった僕の気持ちは、すぐ吹き飛んだ。スタンはガードナーに、こう言ったんだ。
「準警部のスタンレイ・ハンセンだ。よろしく、サージ=ガードナー」
サージェント・メイジャ……?
聞き覚えのない階級だった。
ただ、はっきりと解るのは、それが「警部補」よりも「上」ってことだ。
しまった、どうしよう。
スタンは昇進してたんだ……!
ガゼットも何も見ないようにしてたから、全然知らなかった。
以前の階級で呼びかけたことを、ひたすら謝罪する僕に、「気にする必要はない」と、スタンは云ってくれた。
そんな僕の狼狽ぶりを見て、スタンの隣の女が軽く笑ったんだけど、正直、それにはひどくイラついた。
そうだな。できるだけ客観的に、この「スタンの連れの女性」を評するよう努力してみるよ。
知的で綺麗でスタイルの良い、僕よりちょっと年上の女性。うん、美人だった。相当に。
ごめん。僕は女の人には、あまり興味ないからね。どうしても、女性を表現する語彙が足りないな。
そしてスタンが、やっと僕らに彼女を紹介した。
「妻のニーナだ」
――つま?
結婚……してたんだ。
そうだ、当然だ。
年齢を考えても、結婚していて全然おかしくない。
当たり前すぎるくらい当たり前のことだろ?
僕はバカだ。
こんなにショックを受ける必要なんかないのに。
本当にバカだ。
スタンからの紹介を受けて、彼女はサージ・ガードナーと握手をし、続いて僕にも手を差し出した。
このクソ寒い中だというのに、彼女のバラの香水の匂いが僕の鼻をかすめる。
アカデミーで最初にすれちがった時の、スタンの微かで品のいいオードトワレの香りを思い出した。
そして、またもや「イヤなこと」を思ったんだ。
スタンは、こんなにきつい香水の女なんか、本当に好きなのかよ? って……。
その夜のスタンは、アカデミーの時より、随分とくだけた態度で僕に接してくれた。
考えてみれば僕もガードナー巡査部長も、階級が下だとはいえ、いわば「同僚」だ。
もはや、「スタンが教官で僕が訓練生」という関係ではないのだから、確かに、アカデミーの時と同じ態度を取られる方がよほど変だよね。
あらためて、そう気がつき、僕は月日の流れを感じずにはいられなかった。
スタンに出会えた喜びも、彼に奥さんがいたというショックも。
どちらも懸命に心の中で押さえつけ、僕は平静を保とうと努力していた。
そして、それはちゃんと成功していたのではないかと思う。
偶然、会えたけど、もう関係ない。
彼への好意は忘れるんだから。
もう、スタンに気持ちを残したりするもんか。
そう自分に言い聞かせて、僕はスタンが別れの挨拶として差し出した手を握った。
想像もしなかった。
スタンは握手に紛れて、僕にこっそりとメモのような物を渡したのだ。
だって……なんで?!
これ、なにさ?
「奥さん」が目の前にいるのに?!
そんな驚きをなんとか隠して、僕は握手を終えた。
僕のポーカーフェイスは、上手くいっていたのだろうか?
とりあえず、奥さんもサージ=ガードナーも、何も気づいてないみたいだったけれど。
そんな風にして、僕はスタンと四年ぶりに出会った。
トロントで。
それは、寒い寒い二月の晩だった。
最初のコメントを投稿しよう!