17

2/2

90人が本棚に入れています
本棚に追加
/54ページ
そしてスタンも、すぐ僕に気が付いた。 だから僕は、今さら踵を返してガードナーのとこに戻るわけも行かなかった。 意を決して、スタンに声を掛ける。 さも偶然に、恩師と巡り合った元生徒といった感じで。 「ハンセン(スタッフ)警部補(サージェント・ハンセン)? もしかして、デポのハンセン教官ですか?!」 アカデミーを出てから随分経つのに、スタンは僕が名のる前に名前を思い出してくれた。  ――スタンが、僕の名前を覚えてくれていた。 喜ぶもんか。喜んじゃだめだ。 自分を戒める僕の心の声は、すぐに幸福にかき消される。 嬉しくて嬉しくて、僕はスタンの、あの冷たいブルーの瞳を覗き込む。 サージ・ガードナーも、僕らの方にやってきた。 ガードナー巡査部長は、アカデミーでスタンの講義を受けたことがなかったらしい。僕とは、世代が少し違うからね。 そしてガードナー巡査部長とスタンが、互いに初対面の挨拶を交わし合った時。 有頂天だった僕の気持ちは、すぐ吹き飛んだ。スタンはガードナーに、こう言ったんだ。 「準警部(サージェント・メイジャ)のスタンレイ・ハンセンだ。よろしく、サージ=ガードナー」   サージェント・メイジャ……? 聞き覚えのない階級だった。 ただ、はっきりと解るのは、それが「警部補(スタッフ・サージェント)」よりも「上」ってことだ。 しまった、どうしよう。 スタンは昇進してたんだ……! ガゼットも何も見ないようにしてたから、全然知らなかった。 以前の階級で呼びかけたことを、ひたすら謝罪する僕に、「気にする必要はない」と、スタンは云ってくれた。 そんな僕の狼狽ぶりを見て、スタンの隣の女が軽く笑ったんだけど、正直、それにはひどくイラついた。 そうだな。できるだけ客観的に、この「スタンの連れの女性」を評するよう努力してみるよ。 知的で綺麗でスタイルの良い、僕よりちょっと年上の女性。うん、美人だった。相当に。 ごめん。僕は女の人には、あまり興味ないからね。どうしても、女性を表現する語彙が足りないな。 そしてスタンが、やっと僕らに彼女を紹介した。 「妻のニーナだ」 ――つま?  結婚……してたんだ。 そうだ、当然だ。 年齢を考えても、結婚していて全然おかしくない。 当たり前すぎるくらい当たり前のことだろ? 僕はバカだ。 こんなにショックを受ける必要なんかないのに。 本当にバカだ。 スタンからの紹介を受けて、彼女はサージ・ガードナーと握手をし、続いて僕にも手を差し出した。 このクソ寒い中だというのに、彼女のバラの香水の匂いが僕の鼻をかすめる。 アカデミーで最初にすれちがった時の、スタンの微かで品のいいオードトワレの香りを思い出した。  そして、またもや「イヤなこと」を思ったんだ。 スタンは、こんなにきつい香水の女なんか、本当に好きなのかよ? って……。 その夜のスタンは、アカデミーの時より、随分とくだけた態度で僕に接してくれた。 考えてみれば僕もガードナー巡査部長も、階級が下だとはいえ、いわば「同僚」だ。 もはや、「スタンが教官で僕が訓練生(カデット)」という関係ではないのだから、確かに、アカデミーの時と同じ態度を取られる方がよほど変だよね。 あらためて、そう気がつき、僕は月日の流れを感じずにはいられなかった。 スタンに出会えた喜びも、彼に奥さんがいたというショックも。 どちらも懸命に心の中で押さえつけ、僕は平静を保とうと努力していた。 そして、それはちゃんと成功していたのではないかと思う。 偶然、会えたけど、もう関係ない。 彼への好意は忘れるんだから。 もう、スタンに気持ちを残したりするもんか。 そう自分に言い聞かせて、僕はスタンが別れの挨拶として差し出した手を握った。 想像もしなかった。 スタンは握手に紛れて、僕にこっそりとメモのような物を渡したのだ。 だって……なんで?!  これ、なにさ? 「奥さん」が目の前にいるのに?! そんな驚きをなんとか隠して、僕は握手を終えた。 僕のポーカーフェイスは、上手くいっていたのだろうか?  とりあえず、奥さんもサージ=ガードナーも、何も気づいてないみたいだったけれど。   そんな風にして、僕はスタンと四年ぶりに出会った。 トロントで。 それは、寒い寒い二月の晩だった。
/54ページ

最初のコメントを投稿しよう!

90人が本棚に入れています
本棚に追加