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火曜の朝。 早番のシフトに出る時よりも、ずっと早くに目が覚めた。 なんだか無性にきまり悪い。 「もう一度寝なおそう」と何度も寝がえりを打ったけど、全然眠れなかった。 僕は観念して起き上がる。 そして、バスルームに入ってバスタブに湯を張った。 身体がふやけてしまうくらいグズグズとお湯につかってから、僕はやっと着替えた。 もう十時を過ぎたのに、まだ朝の冷え込みが残っていた。 僕はヒーターのスイッチを強にする。 コーヒーマシンにフィルターと粉をセットして、スイッチを入れた。 コポコポとくぐもった水音。 コーヒーが抽出されていく香り。 さっきから、心臓がギシギシと音を立てていた。 鼓動がすごく早い。 耳の奥で、血管が激しく伸縮する音が聞こえる。 ドアベルが鳴り響いた。 僕の身体が、バネみたいに大きく痙攣する。 玄関のドアスコープを覗くと、見るからに生地のよさそうな黒いロングコートに身を包んだ、すごく背の高い男性が立っていた。 「グッドモーニング、サー」 そう言いながら、僕はドアを開けた。 うんとニュートラルな声色で言えたはずだ。 僕に挨拶を返し、スタンが「入っても?」と、軽く左肩をすくめて見せる。 「入っても?」だってさ。 どっちにしたって入るつもりのくせに。 もちろん、スタンは「当然」みたいな顔して、僕のフラットに入ってきたよ。 そして、(バラック)の部屋の検分でもするみたいに、僕の部屋の中へと視線を向けた。 ごく事務的にね。 その時、僕はスタンが紙袋を抱えてるのに気づいた。 何を持っているのかと訊ねれば、スタンはそれを、僕へと押し付けた。 ここの近所でパニーニを買ってきたんだってさ。 スタンがコートのボタンを外し始める。 その背中に回ってコートを受け取った。 凄く肌ざわりのいいウールのコートだ。「ウール」って言わないのかな? カシミア? 僕は洋服のことは、よく知らないんだ。 「手を洗いたい。洗面所を使わせてくれないか」 スタンに背を向け、コートをハンガーへ掛ける僕へと、スタンが背中越しに声を掛ける。 振り返った僕は、その場で硬直してしまった。 スタンは、ブルーサージに身を包んでいた。 考えてもいなかった。スタンが「制服を着てくる」なんて。 ジャケットは、ついさっき仕立てあげたばかりみたいに皺ひとつない綺麗なラインを描いている。 階級章は、僕の記憶にある警部補(スタッフ・サージェント)のものではなく、この前チェックした、あの「準警部(サージェント・メイジャ)」のだった。 ブルーサージを着たスタンを見たのも四年ぶりだった。 アカデミーの終了式、スタンがトンプソン教官と煙草を吸っていた。 あの時以来―― こんなに「これ(ブルーサージ)」が似合う人を、やっぱり、僕は他に見たことがない。 阿呆みたいに、僕はただただスタンに見とれてた。 「どうした?」 スタンが振り返って僕に言う。まるで、カデットを問いただすみたいに。 でも、僕はもうすっかり舞い上がってしまっていた。 「だって、制服……」 「制服がそんなにめずらしいか、自分だって毎日のように着ているだろう?」 スタンは軽くくちびるを歪めて、ジャケットのボタンを外し始めた。 僕は、懸命にスタンから視線を逸らす。 「もしかして今、勤務中(オン・デューティー)なんですか?」 そう尋ねた僕をまるっきり無視して、スタンは、 「手を洗いたいのだが?」と繰り返す。 スタンをバスルームに案内しながら、僕は慌てて新しいタオルを棚から取り出した。 そして、スタンにそれを手渡す。 ただ「手を拭いている」だけ。 なのに、僕の目は、スタンの素晴らしく美しくて大きな掌と長い指の様子に釘付けになる―― バスルームを出ようとしたスタンとぶつかりそうになった。 スタンが僕の両肩を掴み、身体を避けさせる。 スタンの掌の感触、その暖かさ。 たった一瞬、触れられただけなのに、僕はもう膝からくずおれそうになった。 でも、そんな僕のことなんか、まるきりお構いなしで、スタンはさっさと歩いていく。 「コーヒーを貰っても?」 スタンの声がキッチンから聞こえた。 僕はその後を追いかける。
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