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スタンが「僕のベッドルーム」に入ったのは、うちに二度目に来た時だった。
突然、その日の午後、僕の携帯にテキストメッセージが入った。
「シフトあがり」の時間を訊ねるスタンからの連絡。
その日、たしか……スタンは一泊の予定でサンダーベイに出張していた。
それを日帰りに切り上げて、夜に僕の部屋にやって来たんだ。
顔を合せるなり、スタンに「夕食は済ませたのか」と尋ねられた。
まだって答えたら、なんとスタンは料理を始めたんだよ。
びっくりした。
そりゃ、何をやらせたって「そつなく」こなしそうな人さ? スタンって。
でもね。
僕ですら、その存在を忘れていたような家の戸棚や冷蔵庫の中にあるあり合わせの物を取り出して。
さっさと何かを作り出すんだもの。
それがさ、料理をしてるって感じじゃなくて……。
なんだか、びっくりするほどさりげなくてスマートなんだ。
涼しげに、煙草の先に火を回す時みたいな。あの滑るような優雅さで。
そんなスタンのクールな様子に、見とれてたっていうのもあるけど。
手伝おうにも、なんだか手を伸ばす隙もない感じがして、僕はビールを飲みながら、その様子をただボンヤリ眺めてた。
そう。うちにはビールくらいしか置いてないし。
僕はとりあえず、スタンにもビールの缶を渡した。
でもさ、スタンはお酒とかにも、ちゃんと趣味がある人なんだと、僕はうっすら知っていた。
アカデミーのクラブハウスで、スタンが飲んでたのは、スコッチかなんか。あとはワイン。
……そういえば、スタンが手にしていたワイングラスの中身って、いつも白だったけ?
僕は別に、ビールだけを飲み続けてたってどうってことないけどさ。
スタンは、きっとビール以外のお酒を飲みたいんだろうなって。そんな感じがしたよ。
で。
そうこうしてるうちに、スパゲッティとアボカドのサラダが、僕の目の前に出された。
味? うん、すごく美味しかった。
数日前にスタンに出した、あの「チーズマカロニ」のことを思い出して、僕はちょっと恥ずかしくなってしまったくらいだ。
家でも……奥さんに。
――「あの人」に作ってあげたりするんだろうか。
喉の奥に、こんな少し重くて苦い感覚がこみ上がってきた。
そして、それを僕が訊ねば、スタンはこう応じた。ごく素っ気なく。
「自分で喰うため以外には、料理しない」って。
その日、そうやって食事を作ってくれたけど。
スタンはさ。自分では、結局ぜんぜん食べなかったんだ。
スパゲッティーもサラダも随分たくさんあったのに、なんだかんだと意地悪を言って、半ば無理矢理、僕にばかり食べさせた。
そもそも、ここへやって来た時には、スタンはすでに夕食を済ませてたって云うし。
――そう。
「自分で食べる」ためじゃなくて。
「僕のため」に……作ってくれた。多分。
そんな風にちょっとずつ。
僕は「深み」にはまっていったんだ。
スタンに大事にされてるような錯覚、スタンが僕を愛してくれてるっていう勘違い。
そんなものが、少しずつ積み重なっていく――
その日、シャワーを浴び終えたスタンが、半裸のままでいるから、僕は着替えを貸そうとベッドルームに入った。
ふと気づくと、クローゼットを漁っている僕の後ろにスタンが立ってたんだ。
部屋に入るなり、スタンは噴き出してたよ。ベッドルームのあまりの散らかりようにね。
だから僕は、勝手にスタンに入ってこられたことを怒るよりも、まず、恥ずかしくっていたたまれなくなった。
「出て行って」と、文句を言った僕を、スタンはそのまま強引にベッドに押し倒した。
ベッドメイクもいい加減のままの、小さな小さなベッドの上に。
その夜、僕はスタンに初めて貫かれた。
タケシに初めて挿れられた時だって、こんなに速くはなかったよなってくらい、僕はすぐに達してしまった。
それから、またスタンに穿たれて――
僕は何回も射精した。
まったく、高校生じゃあるまいし。
でもその時、スタンは結局、僕の中ではイカなかったんだ。理由を聞いたよ。
そしたら「手元にコンドームがなかったから」だってさ。
多分、スタンは優しいんだ。
本当はひどく優しい。
僕はそう思う。
そう思いたかった。
新聞男のラースが言ってたっけね。
スタンのこと、「至極まっとうな」とか、「不合理な事を云うような人間じゃない」とかさ。
僕やレスやリーバーマンに、「殉職なんてバカバカしい、納税者に対して不誠実な行為だ」なんて言ったスタン。
ぞっとするように皮肉な物言いだった。でも。
あの言葉は、やっぱりスタンの「優しさ」だったんだなって。
その時に、僕はふとそう思った。
僕はそう感じた。
矛盾してる。ホントに。
我儘なスタン。自分勝手に僕の心を振り回すスタン――
スタンと過ごした日々を思い返す。
その時に、僕の胸を切なく締めつけるのは「スタンに傷つけられたこと」じゃなくて、時折、スタンが見せてくれた、そんな「優しさ」だった。
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