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そりゃ、そんなもの。 僕にだってあるし……きっと誰にだってあるに決まってる。 もちろん、それはそうさ。 でも僕が言いたいのは、ちょっと違う。 スタンの「それ」は、表に見えているスタン自身とはまったく似てもにつかないものなんだ……。 そして多分、スタン自身が。 「そんなものが存在する」ってことに、まるで気がついていない。 僕はね。 スタンに分かってもらいたかったんだよ。 どんなことがあっても、僕はスタンを愛してるし、世界中が敵になったって、僕だけはスタンの味方だって。 僕のことだけは、絶対に怖がらなくていいんだってことを―― でもそれは難しかった。 いいや、そんなのそもそも、無理なことだったのかもしれないね。 だってスタン自身が、「自分が何なのか」ってことを、本当はまるで分かってないんだから。  あの冷たい表情や皮肉めいた笑みは「秘密」を押し隠すシールド。 他人にも、自分自身に対しても。 「自分の中にいる自分」に、けっして気がつくことがないように。 ああ―― なんだか、偉そうな事を云ってるよね、僕も。 僕だって……スタンの奥さん、ニーナのことに関しては、ひどいものだったよ。 「男の人を愛したこと」なんかより、もっと神様に言い訳ができない。 彼女をだまして、裏切って、その夫と関係していたんだから……。 僕はあの人に、ニーナに嫉妬してた。メチャクチャにね。 けっして口には出さないようにしていたよ。 でも心の中は……もう、目も当てられないくらいだったさ。 時々。 本当に、時折。 スタンの髪に服に――僕はあのバラの香水の移り香を嗅ぎ取った。 そんな時は、張り裂けそうな胸の内がポロリと言葉になることもあった。 僕のシフトが、日中オフだった日。 スタンがダウンタウンに仕事に来ていた中を抜け出して、僕の部屋に来た。 そのブルーサージからは、バラの香りがしていた。 腹立たしさと嫉妬で、頭に血が上った。 おかげで、ひどく欲情したよ。 僕はスタンの身体中を、愛して尽くして、そして犯しまくった。 それでも、激しい嫉妬心は収まらなかった。 それが露わになるのを何とかしてごまかそうと、ベッドで僕は、こんな風にスタンに訊ねた。 「ねえ、あの時さ。何を観た帰りだったの?」 「何の話だ?」 スタンが額に押し当てた手の指の隙間から、僕を見る。 「劇場街で、最初に会った時だよ……冬に」 「……ああ」 スタンは面倒くさそうに、鼻で笑う。「もう忘れた」 「そんな馬鹿な。『スタンレイ=ストーン・コールド』がそんなに簡単に物を忘れるもんか」 僕は食い下がった。 「興味もないことをいちいち覚えていることほどの無駄もあるまい」 スタンが、シガーのパックに手を伸ばす。 「ミュージカル、嫌いなの? スタン」 「別に、好きでも嫌いでも。あれはニーナの趣味だ」 ライターの蓋を音を立てて閉じ、スタンは煙をひと息吐き出した。 「……優しいんだね」 「何がだ?」 「奥さんに、優しくしてるんだ……」 語尾がトゲトゲしくなるのを、僕は隠せなかった。 「たまには機嫌を取っておかないと面倒だから、仕方なくだ」 スタンがくわえ煙草のまま、皮肉っぽく微笑する。 僕は思わず、押し黙ってしまった。 すると、スタンの方が口を開いた。 「何だ? どうした?」 「……僕の……機嫌も取ってるの?」 なにいってるんだろう、僕? そう思った。 「俺に『お前の機嫌を取る』必要が?」 スタンはこう答えると、小さく声を立てて笑った。 その笑い声を聴いたらさ。 僕はこんなみっともない感情に左右されてる自分が嫌になったし、なんだかバカバカしくも思えた。 それで、少しだけ声を明るくして、僕はこう云った。 「確かにさ……スタンとミュージカルって、なんだか変な取り合わせだね」 これを聞くと、スタンは軽く眉を引き上げた。 「変? それも心外だな。コーポラル・ミシェル? 大抵は退屈するが、たまに面白いコトもある」 「たまに? 例えば、どんな?」 好奇心を刺激された。 「舞台の上で、好みタイプの男優が跳んだりはねたりしてるような時かな」 スタンが涼しげにこう言うので、僕は思わず噴き出してしまったよ。 アイスブルーのスタンの瞳に、ふと、おだやかな光が宿った。 「やっと笑ったな」 「え?」 「今のは、お前の機嫌を取ってみた」 スタンが、あのオルゴールの中にシガーを放る。 「お前がむくれてると、セックスをするのが難儀になるからな、ジャック」 「ひど……」 怒りの声を上げようとした、僕のくちびるを、スタンがくちびるで封じた。 そして、僕たちは熱いキスを交わした。 まるで「至上の恋人同士」みたいにさ。 実際は、そんなわけないよね。 片方には、奥さんがいる―― でもその時。 僕は、スタンを奥さんから「奪い取った」ような気持ちでいたよ。 いま、スタンは僕のもの! ってな感じさ? 憎んでた。 たった一度、僕と握手しただけの、なんの罪もない女性を。 そう。 僕は「憎んでいた」。彼女(ニーナ)を。 でもだからって、僕は「あんな事」になって欲しかったわけじゃないんだ。 絶対に違う。 ……ううん、待って。どうだろう? 本当に。 一度も、僕は「それ」を望まなかった? ほんの僅かも? 一瞬も? もし、そうなら。 今、僕の心に、こんな罪悪感のようなものがあるはずない。 こんなコトになった理由の一端が、もしかしたら僕にもあるのかもしれないなんて。 そんな「自分を責める気持ち」が、僕の中に湧き上がることなんかないはずだよ? 僕は望んだことがあるはずだ、彼女が消え失せてしまうことを―― バカだ、僕は。そして、最低だ。 こんなになってもまだ、スタンを愛してる。
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