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  タクシーに乗り、僕たちは夫妻の宿泊しているダウンタウンのホテルにやって来た。 超高級ではないが、僕も見知っているくらいのホテルで、特に、ケベコワ料理のメインダイニングが有名だった。 夫妻は、そのメインダイニングに向かっていった。 実はレストランなんかに入るのは、その時が初めてだった。 学校帰りの服装のままだし、僕はちょっとどぎまぎした。でも、案内係はそんなことまるっきりお構いなしみたいに、ジョーンズ夫妻を窓際の上席に案内した。 メニューについて、僕はジョーンズ夫妻から、ひとしきり質問ぜめにされたっけ。 それで、やっと注文が終わり、ディナーが始まった。 料理自体は、施設でもなじみのあるものばかりだった。でも、さすがに味は違った。 というか、今まで食べたことある料理と同じ名前で呼ぶのが、レストランに申し訳ないくらいに美味しかった。 ディナーの間、夫妻はいろんな話をしてくれた。そして、僕にもたくさん質問した。 リック・ジョーンズは大学で心理学を研究していて、アナはシニア・ハイの教頭をやっているとのことだった。 これまでに引き取った子たちの写真も見せてもらった。 今、彼等がどんな仕事についているかとか、結婚して子供がいるだとか、そんな話も聞いた。 ジョーンズ夫妻は、少なくともこれまで七、八人の面倒はみたようで、彼等は正式に夫妻の養子になったわけではなく、独立できるまで同居し、支援をする関係とのことだった。 ふたりは、主に施設や学校についての感想を尋ねてきた。 「では、君は施設の暮らしにこれまで、特に不満を抱いたことはなかったんだね?」 リック・ジョーンズが云った。 「はい、物心ついた頃からいる場所でなので……大きくなって入所した子は、色々と思うこともあったようですが」 僕はクレーム・グラッセの載った暖かいタルト・オ・ポムを食べる合間にそう答えた。 「それにしても、不思議ね……」 アナ・ジョーンズがカフェオレを飲みながら、ふと思いついたように口を開く。 「こんな云い方、なんだけど。あなたみたいに見た目だって、性格だって可愛らしい子を引き取りたいという人がいなかったなんて」 リック・ジョーンズも口を挟んだ。 「確かに。ミスタ・シャヴァリエに君の写真を見せてもらったが、小さい頃なんか、金色の髪に緑色の瞳で。まるで、天使のようだったね」 そんなこと云われても困ってしまう。 僕が「売れ残り」であることは事実なんだし……。 でも、だからといって、僕はそのことに、特に引け目を感じたりしているわけじゃない。 貰われたはいいけれど、行った先で折り合いが悪く、散々苦労している様子を手紙にしてくれた子だって幾人もいた。 一方、僕はというと、当時いた場所にそんな不満はなかったわけだし。 返答に困って、黙々とデセールを食べている僕を見て、ふたりはすぐに僕に謝罪した。 そんな夫妻の真摯な態度に、僕はさらに面食らってしまう。 そして、つい口を滑らせてこう聞いてしまった。 「あの。さっき云ってたショーンって、誰ですか」 僕には夫妻が、一瞬、視線を見合わせたかのように見えた。 実際は、ふたりともそれぞれにカフェに口をつけたり、タルトにフォークを立てたりしていたのだけど……。 「ショーンは我々の息子だ」 口にしたタルトを飲み込んでから、リック・ジョーンズがさりげなく答えた。 でも、僕はその時にはもう「マズいこと」を訊いてしまったに違いないと確信していた。 「ショーンは十三の時に亡くなったの。交通事故だったわ」 アナはカフェオレのカップから口を離すとこう云った。リックのと違って、その声は明らかに震えていた。 リックが、妻の手をそっと握って頷く。 僕はといえば、今すぐにでも、その場から消えてなくなりたいような気分になっていた。 「あなたをショーンの代りにしたいと思って引き取りたいといっているんじゃないわ。ジャック=バティスト、これまでだって誰もそんなつもりでは、引き取ったりしていないのよ」 アナは、夫の手を握り返しながら続けていった。目には涙まで浮かんでいるように見えた。 「……ごめんなさい、アナ」 僕はこう云うしかなかった。 別にアナが云うような、「そこまでのこと」を考えていたわけじゃなかったのだけど。 「いいえ」 アナは首を振って涙を追いやるようにすると、再び、教師らしい冷静な口調に戻って云った。 「最初に紛らわしいことを云ったのはわたしですもの。あなたが謝ることじゃないわ、ジャック=バティスト。本当にやさしい子」 こういう事態には、ただ黙って相手の云いたいことを聞いたままでいるのが、一番まっとうな方法だってことを、その年頃の僕は、もうすでに知っていた。 「わたし達は二人で働いているから、経済的に多少のゆとりはあるけれど、そんなに贅沢はさせてあげられないの」 アナが、僕にお構いなく話を続けた。 「共同生活の上で少しの約束事は持ってもらうつもり。でも、あなたを支配したり、拘束したりするつもりはないわ。これまでの子たちとも対等な人間としての関係を結んできたし、あなたともそうできると思っている」 僕はタルトを食べ終え、紅茶を飲み終えてしまい、他にどうすることも出来ないので、とりあえずアナの目を控えめに見つめながら、話を聞いていた。 そして、リックが話を引き取った。 「どうだろう? 我々と一緒に暮らしてみることを考えてもらえないかな」 リックがじっとこっちを見つめるので、返事を求められているのだなと解釈した。 「僕で……良いんでしょうか?」 リックとアナは、今度は本当に顔を見合わせて、もちろんだと請合った。 「急な申出だし、もちろん直ぐに返事をもらえるとは思ってないのよ」 アナが続ける。 「トロントに住むとなると、学校の友達とも離れることになってしまうしね」 リックが付け足すように云った。 これは後になって、何となくわかったことなんだけどね。 リックとアナは、僕が当時通っていた学校を離れなければならなくなることを、とても心配していたみたいだ。 成績レベルが高くて、モントリオール大の難関学部やパリの国立大に進む生徒がほとんど、といった学校だったから。 でも、僕の方はといえば、そんなことには何の未練の感じていなかった。 この話を受けないという選択肢があるなんて全く考えていなかったので、僕はその場で、こう即答した。 「是非そうさせてください、時期はいつでもいいです」ってね。   ジョーンズ夫妻に送ってもらって、僕が施設に帰ったのはもう、随分夜も遅くなってからだったと思う。 施設長は帰宅していたので、夫妻はそのままホテルに帰っていったが、翌日から僕の周りで早速、話が動き出したようだった。 夫妻は僕の意見を尊重したいと云ってくれていたけど、最終的には施設と学校の都合で、二ヶ月後の学年末に施設を出て、転校することに決まった。 夫妻から「引越しの手伝いが必要ならば出向くから」と連絡があったけど、そんな必要はなかった。 私的なスペースなどほとんど持たない僕ら施設の子供たちに、さほどの荷物があるわけもない。 出発の前の晩、僕は教会のベル神父様のところへ挨拶に行った。 神父様は相変わらず若々しくて、僕が最初に膝に乗せてもらった時と、ちっとも変わらないように見えた。 「ジャック=バティスト」 神父様は、跪く僕に、こう呼びかけてから云った。 「ここを離れても、お前がいつも御心とともにあるように祈っているよ」 「その言葉」は―― 僕が「教えに背いている」ということをあらためて思い起こさせた。そして僕は、「それ」をベル神父様に告解することもできない。 「お前は良く礼拝に来てくれていた、あちらでも、その良い習慣を続けられるよう、私も力添えをしよう」 そう云って、神父様は僕の額の上に掌を乗せた。 それは祝福の按手というよりは、最初にお目にかかった時の、僕の頭を撫でるようなものだった。 「お前がここに来たときのことを思い出す」 神父様はそうおっしゃると、僕の額にそっとキスをした。 「随分と大きくなったものだな、ジャック」
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