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「すみません、差し支えなければ、事情を伺いたいのですが」
女性が拉致されたとしか聞かされていない、そして男は金で買ったとわめき散らしていた、少々事態が飲み込めないのは否めない。
悠希は天音を気づかい、背中を撫で顔を覗き込んだ。天音は俯き、何度か唇をパクパクと動かしてから、ようやく言葉を紡ぐ。
「あの……会わせたい人がいると……知人に言われて……来ました……」
こんなことをされても「母が」という言葉は出せなかった、母は知人にすり替えた。
「知人、ですか」
それがどれほどの関係なのか、それはホテルスタッフが詮索することではないだろう。
「──警察に届けますか?」
スタッフが慎重に聞いたのは、未遂だろうと思ってのことだ。優しく問われ、天音はずいぶん考えてから首を横に振った。
母の顔が脳裏を横切った。母に売られたのは事実だが、腐っても母だ、その母が犯罪者となり逮捕されるのは心が痛い。
「……天音ちゃん……」
悠希には天音の逡巡は分かる、こらえ切れず天音を抱きしめた。
「……あの方の話しぶりですと、他に被害者も多そうですね」
悠希がうなずく、先日横浜の百貨店で周子に会った時に一緒にいた少女を思い出せた。どう見ても浮かない顔をしていたのは、こんな仕事をさせられていたのでは──。
「でも、私どもから通報しても、犯罪と成立するかどうか──」
未遂でも被害者が未成年ならば即通報の案件だが、天音ではまずは被害者の気持ちを優先した。
「罰を与えたいならば、お辛いでしょうが、警察に届け出を──迷っているなら、せめて病院か専門機関にかかるのが良いかもしれません」
天音は悠希の腕の中でうなずいた、性暴力を受けた時の対処方は学んでいる。
「ブラウスはわたくしのものでよければ差し上げます。そのジャケットはお返しくださいませ。ご都合がよい時にお持ちください、郵送でも構いません」
返事をし礼を述べたのは悠希だった、天音の背を優しく撫で続ける。
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