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ピー、ピーという甲高い音を響かせながら、銀色のプリウスがバックしている。コインパーキングから出る最中である。カラスのカー助はそれを「二十分二百円」と書かれた看板の上から見ていた。赤いテールランプが点滅するのを、彼はぼんやりと眺めていた。
(キラキラしていて綺麗だよなぁ)
そんなことを思いながら彼は車のあたりに視線を泳がせていた。
(……なんだアイツ)
彼はおかしなものを目に留めた。駐車場に侵入し、そのままゆっくりとプリウスの側まで近寄っていく人影がある。大体三十歳ほどの中肉中背の男性で、グレーのジャージ上下と目立たない格好をしている。不思議な事に彼は動いているプリウスが近づいてもまるで意に介さないように歩を進めており、それどころかその車が進むと分かり切っているのに、進行方向にずかずかと入り込んで行くのだ。
「バカ!危ないッ!」
カー助がそう叫ぶのも空しく、その男の体がプリウスと接触し、彼は尻餅をついた。
「はぁ。バカがさぁ。ちゃんと周りを確認しないからだよ。」
ジャージの男に呆れを隠せない様子でカー助はつぶやいた。尻餅をついた男は尻を擦りながら、動きを止めたプリウスに向かって大声で怒鳴った。
「おい!出てこい!話がある!」
そういって男はずかずかと車の運転席の方まで歩いていき、窓ガラスを手のひらでバンバンと叩いた。しきりに汚い言葉を織り交ぜながら、ぶつかってこられた事への怒りを露わにしている。運転席から人が出てくるなり、男は、
「よくも俺にぶつかってくれたな!どうやって責任を取るつもりだ!」
と運転手を恫喝している。まるで悪意あって車がぶつかってきたと言わんばかりのすさまじい剣幕をぶつける男に腰が引けているのか、相手の方はへこへこと頭を下げるばかりである。
(別にあいつは悪かないのにな。周りも見ずにふらふら歩いてきたてめえが悪いんだろうが)
カー助はそう吐き捨てた。テールランプは点滅をやめ、目の前の光景にいい加減虫が好かない気持ちでいっぱいになったカー助は、鈍色の空に高く飛び上がって、彼方へと飛んで行った。
去り際になっても、男の怒号はびりびりと響き渡り続けた。
「っつうことがあったんだけどさ」
カー助は不満げに漏らした。先ほどの場面を思い出して、カー助は奴の頭でもつついてやれば良かったと苦々しげにぼやく。
「あー、それは当たり屋ですな」
それにカーナビは答えた。カーナビはカー助の親友である。短い嘴と長い指が特徴的で、カラス界隈ではかなり有名な物知りだ。人間に関した知識において右に出るものはいないとされる生き字引的な存在である。
「あ・た・り・や?」
「そう、当たり屋です」
呆けた顔でくりかえすカー助に然りとカーナビは答えた。
「なんだそりゃ」
「当たり屋とは、簡単に言えば、故意に車に自分の体を接触させるなどして、自身に不利益が生じたと主張し、金銭などを不法に要求する行為のことを指します」
「……もうちょっと噛み砕いて説明してくれよ」
「そうですね、ケガした等いちゃもんを付けてカツアゲする行為です」
「理解した」
カー助は先の男の姿を思い出した。金を巻き上げるためにわざとぶつかったのだとすれば、あの不審な様子にも合点がいく。カー助は少し感心した。
「へぇー。人間はいろんなこと考えるな」
「そうですね。それほど通貨というものは価値のある物なんでしょうな」
カーナビはそういった後、短く「カー」と一声を挙げた。
時分はすっかり夕暮れ時である。
カーナビとの話のあと、カー助は山の奥の巣に帰った。彼の巣の中にはキラキラと光るものが散逸しており、ビー玉や目玉クリップ、瓶の蓋にギャルからもぎ取ったネイルなどが力いっぱいに散らかっていた。カー助は光るものの収集家として、少し有名である。
(ああやって金をせしめる方法もあるんだな)
カー助は巣に体をうずめてじっくりと昼間の光景を反芻した。考えれば考えるほど不思議な事だとカー助は思った。
(金目当てにぶつかってきたあの男が得をして、なんの罪もない運転手が損をしなきゃいけねえんだもな)
そういって嘴のあたりをゆがめ、眉間にしわを寄せた。
(人間ってわかんねえもんだ)
遠くの町を眺めると、夕暮れに照らされて橙一色である。ちんまりとした車やバイクの類が、複雑に入り組んだ道路をちょろちょろと動き回っている。あちこちの信号機の色がめぐるましく変わっていくのをぼんやりと眺めながら、
(あの一体一体が、あの野郎にとっちゃ鴨なんだもんな。割のいい商売だぜ)
そう考え、ふとカー助は思いあたった。
(まて、カーナビは確かに違法だとは言っていたが、もしぶつかられたら人間は金を払っちまうらしいな)
当たり屋の男に怒鳴られながら、心細そうなか細い声で謝罪をする運転手の姿を思い浮かべながら、カー助は思考を動かしていった。
(じゃあ、一回ぶつかっちまえば、何かしらの金品を一時的にこっちのものにできるわけだ)
次第にカー助はほくそ笑む。自分の計画が確かなものであることを確認する。
(普通の人間ならそこでお巡りさんにパクられてそこで終いだが、おれはカラスと来ている)
カー助は巣から飛び出て、巣の縁に乗っかった。日が落ちつつある街並みを眺望して、カー助は結論をはじき出す。
(お咎めなしで、おれは金品を手に入れられる)
空に向かって羽を広げ、一声を挙げる。
冷たい山おろしの風が木々の間を吹き抜ける。木の葉を舞い上がらせる乾いた風が、暗い暗い冬の夜の知らせのようであった。
町に繰り出すと、もうすっかりあたりは暗くなっており、街灯がちらほらと灯り始めるころになっていた。
閑静な住宅街で、あまり車通りが多くない通りを見つけてカー助は降り立った。赤い屋根を持つ家のベランダに留まって、きょろきょろとあたりを見渡す。
街灯に照らされる、きれいに舗装された道路はほの青白い色を呈していた。カー助には、冷たく怜悧なアスファルトが妙に恐ろしく感ぜられた。
(今日は月が無いからな。暗くてかなわん)
夜目が効かないカラスの性質をカー助は恨めしく感じた。
しきりに首を動かして、周囲を気にしていると、
少し離れたところから、ガソリン車の排気音がかすかに聞えてきた。
(来たッ!)
ヘッドライトが煌々と暗闇を引き裂いて、その合間を滑るように走っている黒々としたアルファードがカー助の元へ近づいている。
「しめた」と小さくつぶやいて、ベランダから飛び降りたカー助は、位置エネルギーを利用した滑らかな加速とともに地面すれすれまで降下して、アルファードのバンパーの前に躍り出た。
(やった!滑り込んだ!)
カー助が歓喜を感じた瞬間、二トンを上回る鉄の塊がカー助の体を跳ね飛ばした。一たまりもなかった。
放り出されたカー助だったものが冷たいアスファルトに強かに打ち付けられた。力なく地面に伏せられた翼の上をタイヤが転がると、土気色のタイヤ跡が残った。
街灯の光は依然として青白い光を投げかける。
すっかり夜の帳が下りきった町の中で、ポツンとカー助の遺体だけを照らすような、寂しいスポットライトであるように、ただ煌々と闇を照らしていた。
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