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「あ、あのっ!!」
「はい?ああ、巡査さん。いつもご苦労様です。」
…2月14日。
おそらく花屋で一番、赤い薔薇が売れるであろう、聖バレンタインデー。
忙しそうに花の世話をする拓実に、仕事帰りの寺沢竹史は、思い切って声をかける。
柔らかく応対する拓実に、竹史はゴクンと息を呑んで、言葉を紡ぐ。
「あ、あああああのっ!!は、ははっ、花っを、くれます、か?!」
「ええ。勿論ですよ。どんなお花にしますか?」
その問いに、しどろもどろだった竹史の顔が、凛々しく一変する。
「バラを、下さい。真っ赤な綺麗なものを。数は、7本…」
*
「あ!巡査さん!お帰りなさい!!」
長屋の小径に入ると、絢音が積もった雪で愛らしい猫だるまを作っていて、竹史はそんな彼女を可愛いと思いながら、一足一足、ゆっくりと近づく。
「寒いでしょ。お家、入ったらどうです?」
「ふふっ。雪遊びは、暇つぶし。本当は、待ってたの。巡査さんを…」
「じ、自分を…?」
ドキドキと、心音が速くなる。
そんな自分の心の動揺を知ってか知らずか、絢音はゆっくり立ち上がり、ブルーのリボンの掛けられた小さな箱を竹史に差し出す。
「はい。ハッピーバレンタイン。巡査さん。」
藤次さんにはないしょね。と、口元に指を当てイタズラっぽく笑う彼女。
そう。
愛した人には、夫がいる。
その愛の絆に負けないくらい、自分も思って来た。愛してきた。
けど…
「(…お前ももう良い歳だろ?上目指すなら、身を固めろよ。)」
鞄の中の、見合い写真と先輩警官の言葉が、頭によぎる。
そう。
いつまでも、こんな子宮のような居心地の良い世界に居ては、守られていては、自分は何もできない。
出なきゃ、進まなきゃ、
絢音を…愛した女を、何者からも、護る為に。
だから…
「自分…見合いします。」
「あらー素敵じゃない。じゃあ、その綺麗なお花は、お相手の方から?」
じゃあチョコレートは貰ったらダメかしらと笑う絢音を、竹史は強く抱きしめる。
「じ、巡査さん?!」
「…でした。」
「えっ?!」
狼狽する絢音とそっと距離を取り、竹史は涙を堪えて微笑み、秘めていた気持ちを口にする。
「ずっと言えなかったけど、好きでした…これが自分の、最初で最後の、贈り物です。」
「じ、巡査」
「竹史と、呼んでくれ。一度で、良いから…」
「た、竹史、さん…」
辿々しく紡がれた愛しい女の声で、初めて名を呼ばれた。
ずっと、壁越しに感じていた、触れたかった身体に触れ、服越しにだが暖かな温もりを感じた。
もう、充分だ…
想いを込めたバラの花束を絢音に託すと、竹史は振り返ることなく長屋に入り、その場にへたり込む。
「竹史さん…」
嗚咽を殺して泣いていると、扉越しに聞こえた、愛する人の声。
「…ありがとう。気持ち、嬉しかった。どうか、どうか、幸せに、なってね。」
「…ッ!!絢音っ!!!」
叫び、弾かれたように立ち上がり扉を開けたが、既に絢音の姿はなく、代わりに、受け取り損ねていたチョコレートが、梅の花香るハンカチに包まれ、置かれていた。
*
…それから数年後。
竹史は念願の京都府警本部の刑事課捜査一課に配属された。
「よう。お前さんが、今日からの新人かい?」
ハンチングを深く被り直しながら、ベテラン松下祐武の言葉に、竹史は背筋をピンと張る。
「はい!若輩者ですが、よろしくお願いします!!」
「おう!元気いいなぁ、じゃあ、早速臨場だ!行くぞ!!」
「はい!!」
そうして颯爽と部屋を出ていく竹史のスーツの内ポケットには、未だに返せないでいる、絢音のハンカチ…
あの逢瀬の後、絢音に会うつもりもなかったし、絢音も、家にも派出所にも、会いに来なかった。
そうこうしてる間に見合いで結婚し、引っ越した為、益々疎遠になった。
だから、何度も捨てよう、忘れようと思った。
けど、やっぱり、
心のどこかで、彼女に会いたい気持ちがあり、どこかでふらりと出会った時に渡そうと肌身離さずつけていたら、いつしかかけがえのない御守りになった。
ひょっとしたら、銃弾すらも守ってくれるかな?
そんな事を考えながら、竹史は笑って、絢音のいるこの街を、京都を護って行こうと、気持ちを新たに、駆けて行った…
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