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  米国にある世界終末時計がひと月を切ったという日本政府のアナウンスで目が覚めた。  まだ明け切れぬ空に消防署の警報が鳴り響き、続いて午後の宇宙船の出発時刻のリマインドと地球に残る人への避難を呼びかける。  リビングへ行くと妻が小さな黒いリュックに最後の荷物を押し込んでジッパーを無理やり引っ張っていた。宇宙船に持ち込める荷物は国から支給されたこの小さなリュックひとつだけだ。 「それ、置いて行ったほうがいいんじゃない。写真なら携帯にあるだろ」  黒いリュックははち切れんばかりに膨らんでいて、彼女が押し込んでいるぶ厚いアルバムはどう見ても入りそうにない。 「アルバムじゃないとダメなの。これならこのまま棚に飾れるし。ひとりぼっちじゃソウくんが来るまで気持ちがもたないもの」  妻はいい年をしていつも新婚みたいなことを言う。  残念なことにアルバムは縦にしても横にしても何処か一辺が必ず飛び出した。 「火星につけばすぐに子供達と合流できるし、入りきらないものは保安検査で没収されて捨てられるだけだよ。どうしても必要なら俺が後で持っていくから、ほら、出して」 「、、、分かった」  妻は子どもみたいに口を尖らせて、ふぅと息を吐き出しながら渋々とリュックからアルバムを取り出した。 「じゅあ、お気に入りの写真だけ持っていく」  30年前に挙げた結婚式の写真がベリっと音を立てて台紙から剥がされた。ペリっペリっペリっと軽快なリズムで写真が次々に()がされていく。  写真なんて携帯電話の中にいくらでもあるだろうに、、、。  パッキングが終わると昼食を兼ねた遅い朝食を摂った。食事と言っても白ご飯にインスタント味噌汁、缶詰めが二缶だけの質素な非常食だ。 「そろそろ、迎えが来る時間だな」  食事が終わっても一向に腰をあげない妻を(うなが)すように立ち上がった。  「今度一緒にコーヒーが飲めるのはいつかしら」  名残り惜しそうにマグカップを回しながら妻がため息をつく。 「なんか怖いな。宇宙船って酔ったりしないのかな。ソウくんと同じ船だったらいいのに」 「乗れるだけでもラッキーだよ。乗りたくても乗れない人だって沢山いるんだから」 「そうだよね」  妻の背中を押しながら玄関まで荷物を運ぶと、細い腕が首に巻き付いてぎゅうっと柔らかく抱きしめられた。 「じゃあ、火星でね。待ってるね」 「ああ、それまで元気でな」  迎えの大型バスが到着の合図に短いクラクションを鳴らし、妻はようやく腕を解いた。  見送りはここまでで良いと言われ、マンションのベランダから妻の小さな背中に手を振り見送った。 「ごめんな。今まで本当にありがとう」  できる限りの笑顔で届かない言葉を呟いて、吐き出しの窓をピシャリと閉じた。    
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