冷感と拳銃と

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冷感と拳銃と

    ◇    ◇    ◇  空と海と大地がずっと遠くの――彼方で交錯するこの世界は、どこか現実世界とは異なる空気を孕んでいました。  時間という概念が凍結したこの場所には太陽も月もありません。  それでも風だけは吹いておりました。  全身を突き刺すように鋭い痛覚を伴ったそれは、「死の風」とでも表現をすればいいでしょうか。  自分はどうしてこんなところにいるのでしょうか。  あぁ、誰か助けて……。  お母さん……お姉ちゃん――。  すぐ傍ニ居っるンだヨネ?  どウしテ、コチラを向イテくれナイノ?  ソウカ……モウ、オネエチャンニトッテ、自分ハ要ラナイ子ナンダ。     ◇    ◇    ◇  私の目の前に敷かれているのは、ずいぶんといばらの道らしい――。  そんな風に感じたのは中2の頃だ。  純然たる苦難の連続。  それだけで「いばら」を自称しているわけではない。  確かに女手ひとつで育ててくれた母親と、それ以外で数少ない肉親の妹を交通事故で同時に亡くした時はそれなりに絶望もしたし、神という存在を恨みもした。  けれどその痛みが消えなくとも、時間が和らげてはくれるだろう。それに現代日本において、確率論的に交通遺児が別段特別だとは思わない。だから家族を根こそぎ失ったこと自体が「いばら」と称する理由足り得なかった。  問題は別にある。  事故の際の物理的な脳への衝撃か?  それとも精神的ショックなのか?  理由なんてどうだっていい。  何にしても見えるのだ――この世の理では説明できない物体が。  家で、学校で、街中で。  ありとあらゆる環境でうごめくそれに、既存の名詞を当てはめるとするなら、間違いなく「幽霊」であろう。  個体一つ一つが各々の特徴を持っており、別個体どうしで100パーセント同一の性質を持つそれは見られない。強いて共通点を挙げるとすれば、半透明で光が透き通るということ。あとは、向こうがこちらに、こちらが向こうに干渉できないということ。  要するに無害は無害。  でも、見えてはいけないそれが、常に自分の視界に映るのだ。加えて誰かに症状を訴えたとて、到底信じてはもらえそうもない。  こんなことがずっと続くものだから、私の精神状態は日を追うごとに悪くなる。 「あなたの悲しみと強い未練が、お母さんや妹さんの魂を常世に留めてしまったのでしょう。そしてあなた自身の魂も常世と幽世の境界が曖昧になっています。かなり危険な状態なので、一刻も早く未練を断ち切り、自立をする必要があるでしょう」  遠回しに「お前が悪いんだぞ」と言ってきたのは有名な霊媒師。こっちは藁にも縋る思いで、信じてもいない相手にお金を出したっていうのに。強い憤りを覚えた。それと同時に、やっぱりこういうのはロクな商売じゃないんだと。  ひどく落胆した。  そんな私を嘲笑うかのように、今日も無数の霊体が眼前を横切る。 「ゴメンナサイ……そういうつもりじゃなかったんです。  母の温もりを、姉妹の思い出を――もっと感じて、もっと残しておきたかっただけなんです。だから幽霊でもいいから会いたいって。だから……その……出来心だったんです」  浮かぶのは自責の念。  口にするのは反省の弁。  一体誰に向けたものだろうか。  わからない。  わからない。  葬式を始めとする事後処理に追われる日々の中で、夢を見ることが多くなった。その大抵は母や妹が出てくる。そのうち、夢の方が現実なんじゃないかと思い始めてきた。夢だからか多少の矛盾はある。けれど祭壇に並ぶ骨壺や自由奔放に飛び交う霊が見える世界線に比べたら、その矛盾でさえ取るに足らないくらいに小さなことだった。  あのインチキ霊媒師の説明はある意味正しかったのかもしれない。  精神が常世と幽世の狭間で浮くに浮けず、沈むに沈めない感覚を持ったまま1ヶ月とちょっと。49日法要の日を迎えた。  読経に焼香、説法、そして納骨式に食事会……一連の流れを無事に済ませ、参列者を見送る。叔父さんに声をかけられたのはその後、業者と片付けをしていたときだった。 「葵依(あおい)ちゃん、ちょっといいかな?」 「あ、叔父さん……今日はどうもありがとうございました。母も茜音(あかね)も喜んでいると思います」 「それはどのくらい本気で思ってる?」 「え、まぁ……それなりに……です」  作った笑みで答える私に対して、叔父さんの表情はどこか悲しそうだった。 「……姉さんと茜音ちゃんのことは残念だったよ。多分、本人たちも相当無念だったろうね」 「……ですかね?」 「だけど今はこれからのことを考えないと」 「これから……?」  叔父さんに言われるまで、これからのことなんて考えもしていなかった。現実から目を逸らしながら、その場に踏みとどまることで一杯一杯。明日すら直視することができていなかったのだから。 「僕が引き取ろうと思うんだけど、君としてはどうかな?」 「……」  私は答えに詰まる。  どうしたらいいのか自分自身判断できないでいた。  そんな状態の私に叔父さんは優しく話す。 「そうだよなぁ……いきなり言われてもわかんないよな。ただ、幸い僕は独り身だし、神職だから自宅が職場なんだよね。あと君と同い年の子がいるから結構いいと思うんだけど」  それはただの同情、そして事務的な今後の話からくる言葉じゃない。素直に私自身、今後どうしたいかを真剣に訊いてくれているのだと思う。  優しい。  身寄りを亡くしてからこれだけ純な優しさを向けられたのは初めてなような気がした。  そんな叔父さんの気持ちは嬉しい。嬉しいけど、今は目の前のことで精いっぱいだ。明日のこと、今後のことを見据えられる精神的余力は無いと言っても過言ではなかった。 「……」  行き場のない視線を遠くに逸らすと、また誰かの霊が天井に貼りついて笑っていた。 「君には見えるんじゃないかな……あれが」  予想だにしていなかったその問いに、今まで一度も合わせなかった視線が自然と叔父さんの方へ向く。 「あぁ、やっぱりね……なかなか相談のはけ口、なかったんじゃないかな」  この一言で全てを決めた。  自分はこの人と一緒に生きていこうと。  この人のことをお義父(とう)さんと呼ぼうと。    あれから1年と少しが過ぎた高1の秋――今でも福井の田舎で3人暮らしをしている。義父と、義兄弟っぽいのと。  決して楽しいことばかりではないけれど。なんとか面白おかしく笑っていられるようにはなった。  過去の全てが割り切れたかと言えばそんなことはない。むしろこれからも過去に目を背けたまま進んで行く。それがたぶん私の……西名(にしな)葵依の生き方だ。 「ご飯できたよー」  そこそこ大きな声で2人を呼ぶ。  自宅と社務所を兼ねる日本家屋は、部屋の数こそ多いが防音面は完全にガバ。ちょっと声量を増やせば壁、障子、襖、果ては天井板を突き抜けて二階の部屋まで届く。  だからここの住人は誰かに用があるとき、基本こんな風に呼び出している。上手くいけば自分は動かずに済むし、相手は勝手に来てくれる一石二鳥。されど、届かなければ大声を出したあげく、呼びに行かなければならない二重苦。  ある種の運試し。さて、今日はどう出るか……?  物音ひとつなし。  配膳が終わるまで待ってみるもやっぱり動きの気配なし。 「今日はハズレか」  ため息交じりに漏らすとふたりを呼びに行く。  急な階段。手すりを伝いながら一段一段のぼり二階へ。  二階も長い廊下と部屋が多数ある。まず攻めるのは階段の正面にある部屋から。  そこの襖には様々なお札が貼ってあって思わず「事故物件かな?」と問いたくなる。それ以前にここは神社の境内……お札の必要性が素人目ではイマイチ理解できない。少なくとも霊の存在は見当たらない。  まぁ、いいや。事故風部屋の主は私より在住歴が長い。来たときにはすでにあったんだ。今さらそんなことを訊いたってどうしようもないじゃないか。  そうだそうだと顔をペチペチ叩き、元来の目的を思い出す。  2回ノックしてから襖を開け、中へ入ろうとした刹那、怒声が飛んできた。 「動くな、西名ッ!! 動くと水銀レバーが作動するぞッ!」 「水銀スイッチ? どうしてまたそんなの作るかな……」  水銀スイッチ――別名・水銀レバーはその名が示す通り、水銀を用いた開閉器の一種。構造としては、ガラス容器に入っている微量の水銀が傾きや振動などによって移動し、容器内の一端に設けられた電気接点端子に触れることで作動する……といったものだ。  一昔前はよく使われていたそうだけど、今では水銀の有毒性から代替品が普及しているとか。だから現代においてほとんど耳にすることのない代物。強いて耳にする機会があるとすれば、サスペンス作品なんかで、爆弾魔が起爆トリガーとして使用しているくらい。  自分の予備知識もそこに由来するのだが、当然お目にかかるのは初めてだ。 「今コード切るから待ってろ。動いたら俺もお前も一巻の終わりだぞ。あとついでに義父(とう)さんもな」 「ついでで爆死する義父(とう)さんよ……」  ぼやきながら周囲を見渡す。  四畳半の部屋に転がっていたのは複数丁の拳銃に催涙スプレー、サバイバルナイフ――概ね一般民家にあって良いそれではない。  パチン、パチンとコードをペンチで切断する音が数回した。それに続けて「もういいぞ」と低い声が。 「なんか……まだ暴発しそうだからこっち来て」 「何だ?」  廊下まで呼び出すと、彼は作業用のゴーグルをつけたまま現れた。 「軍曹……お願いだからもう少し安全に配慮して」 「なに、ここが吹っ飛べばみんな仲良くあの世行だ。問題ない」 「むしろ心配しかないんだけど……」  そうなりたくないから念を押しているのに。  平然とトンデモ理論を返してくる彼は名鳥(なとり)睦記(むつき)。  無口、不愛想、無鉄砲の三拍子が揃った彼は、ここに住み込みながら除霊業をやっている。決して若きテロリストではないそう(ぱっと見、危ない人であることに変わりはないと思う)。畳に散らばる重火器も対霊体用に特化した武器だと本人は主張している。曰く「悪霊も近代化している」のだとか。  こんな調子だから私は彼のことを軍曹と呼ぶ。  大尉でも大佐でも、ましてや大将でもない。軍曹は軍曹、それ以上でもそれ以下でもないのだ。他者へ理不尽をまかり通らせながら、自ら武装し先陣を切るその姿……何をどの角度から見ても、どれだけ奇をてらっても軍曹という評価が適当だと思っている。 「それで何の用だ? 俺は忙しいんだが……よもやお小言を言いに来たわけじゃあるまい?」 「まぁ、お小言はついでだよね。で、早く来ないと伸びるよ?」 「飯か」 「うん。ついでに義父(とう)さん呼んできて。その間にお供えしてくるから」 「わかった。すぐ行く」  義父(とう)さんのことは軍曹に任せ、一足先に台所へ戻る。  夕餉とは別で用意していたお供え物一色。日本酒や水、塩に卵、洗い米の入った陶器をお盆に載せ、それらをこぼさないよう慎重に本殿へと運ぶ。  ちなみにこの神社が祀っているのは、古くからこの土地を治めている蛇の神様……いわゆる土地神と呼ばれる類の神様だ。  本殿の扉を開けると中は真っ暗で何も見えなかった。  お供え物と一緒に持ってきたマッチで祭壇脇のロウソクに火を灯す。これで視界は一気に広がった。  でも薄暗がりにぼんやりと浮かぶ祭壇は正直不気味だ。加えてこの空間を支配する独特の空気もそれに拍車をかける。  早く戻りたいな……。  そんなことを思い浮かべながらお供え物を並べていく。  全てを置き終え、最後に手を合わせたその瞬間、私は何か得体の知れない取り込まれる気がした。直後、視界が真っ暗になり、次々と見たこともない情景が流れ込んできた。  豊穣、集落、幽世、川、冬、循環――そして私を見つめているのは……大蛇?  ハッキリとは見えなかった。  でも太くて長いあの姿はきっと。 「――っは⁉」  不意に意識が戻ったとき、立っていられないほどの息苦しさを感じた。全身から汗がぶわーっと噴き出し、ひどい頭痛もする。  思わずその場に座り込んだ。  そして胸に手を当て、逸る呼吸を整えようと大きく息を吸って吐く。  落ち着くまでに数分かかった。 「ふー……」  最後にもう一度大きく深を吐いてから立ち上がる。その際に少し辺りを見回した。ところが、そこには何もいなくて、ロウソクの炎がゆらゆらと燃えているだけだった。  いつぞや見た夢に近い感覚に底知れぬ恐怖感を覚えた私は、逃げるようにその場を後にした。  居間に戻るともう2人とも食べ始めていた。  本殿とは違う、光の空間に少しばかり安堵する。  そんな私を軍曹がちらりと見て「早くしないと伸びるぞ」と呟く。それはついさっき私が彼に言ったものだ。「伸びる」という言葉が指す通り、今日の夕餉はうどん。さっき蛇っぽいの見たから、あんまり食べたくないな。 「お供えだろ? そんな時間かかるもんか?」 「それが、ちょっと不思議な体験をしまして――」  義父(とう)さんの問いに私はさっきの体験を全部話した。身体が吸い込まれるような感覚がしたことや目の前に白い蛇みたいな生き物が見えたこと、突然の発作に見舞われたことなど全てだ。 「葵依、お社様が見えたんだな!」 「お社様……ですか?」 「そうだ。俺も神主長いことやってきたが、そんなに見たことない。初めてお目にかかれたのだって何年も経ってからだ。もしかしてお社様に気に入られたんじゃないか?」 「そんなことってあるんですね」  まぁ、それが本当なら悪い気はしない……かな。  感覚友達だったかもしれない。  あんなに怖い思いをしたのに、それはどこへ行ってしまったのか。いや、たぶん正常性バイアスがかかっていただけだろう。心の奥底では危機感、焦燥感を持っていたはずだ。  彼がいなかったら、このまま目を背けていた気がする。でも軍曹はそれを許さなかった。 「お前はこの土地を離れた方が良い。神職でもないのに神に好かれていいことはない」  持っていた箸を強く机に叩き付け、彼はそう言い放った。 「な、何でまた?」 「神っていうのはお前が思ってる以上に勝手気ままで自由。そして人間とは違う法則で動いてる存在だ。だからその愛が故に不幸をもたらすことだって往々にしてある。そういうもんなんだよ」 「無理だよ。現状、ここしか居場所がないんだから」 「だったらその力とのつきあい方を見つけることだな」  真面目に言っている。  いや、彼からすれば全て真面目に言っているつもりだろう。水銀スイッチにしたって、トンデモ理論にしたって。そうじゃない。今彼が私に伝えたいこと。それはまさに「命を守るための忠告」であったように思う。  だけど……そんなこと急に言われたって。 「確かに睦記の言う通り、神は勝手気ままな存在だ。だがその勝手気ままさ故に、一度見たからといって好かれているともわからん」  義父(とお)さんが「まぁ、まぁ」といった感じで割って入った。 「楽観的ですね」  それでも軍曹は食い下がる。 「力とのつきあい方に関しては俺も協力しよう。とはいえ秋祭りも近い。だから俺が葵依と一緒にいられる時間も多くは取れない。睦記、頼めないか?」 「構いませんよ」  後半、軍曹と義父(とお)さんのやり取りについて行けなくて、完全に置いてきぼりを喰らっていた。けどどことなく状況が芳しくないことはわかる。この先、運命はどのように動くだろうか?  不穏な空気が漂う夕食終わり、とにかく今日はもう休もうと自室の襖を開ける。するとそこには思わぬ先客がいた。 「おぬしか、あのお方が言っておられたのは」  脊髄反射で襖を閉じる。  えっと……見間違いだったろうか。何か……大きめの蛇みたいなのが喋った。しかもばっちり目まで合ったし。  声も見た目も幻と呼ぶにはあまりにも立体感があった。  一旦両目を手の甲で擦り、再び襖を開けてみる。 「どうじゃ? 驚いたか?」  やっぱりそれはいた。 「そりゃあ……まぁ……誰だって驚くよね。アナコンダ級の蛇が日本語喋ってたら。それにちょっと透けてるし……」 「ならばお主にサイズを合わせてやろう」  途端、胴体が青白く発光し、人間くらいの大きさになる。それでも蛇としては十分大きすぎる方だけど。 「横文字使うんだ」 「ワタシは御使いであって神そのものではない。それ故に人間との関わりも深いのでな」 「へ~、御使いのあなたが私の前に現れたってことは、やっぱり気に入ってもらえたのかな?」 「おぉ、そうじゃった! おぬしの友達にも見えるようにしてやろう。そうでないと何かと不便であろう?」 「いや、不便しないけど」  さすが人外。人の話を全くもって聞かない……というかそれ以前に、こんなの他人に見せられないよ。 「何を言っておる。おぬしと同じようにここに住んでおるあやつのことじゃよ」  義父さんは神職だからたぶん違う。となると――? 「軍曹……えっと、睦記のこと?」  ついついあだ名が出てしまう。なぜなら軍曹とは基本的に家だけのつき合い。学校は全然違うから他人に彼のことを話す機会がほぼ無い。だから時々本名を忘れそうになる。 「ワタシがわざわざ人間の名前など覚えとるわけがなかろう……あの種子島を持っとるやつのことじゃ」  た……種子島? そんなものを持っている人、この家にいたっけ? ちょっと何言っているかわからないです。 「うちには種子島なんて持ってる人……」 「おるじゃろうが! お主はその歳で種子島も知らんのか? ホレ、最近のは随分とスマートになっておるようじゃが?」  スマートな種子島。そんなパワーワード初めて聞いた。ともあれ、それはどうやら時代によって変化するものらしい……あ、もしかして鉄砲か。だとしたら――。 「あなたの知識の偏りは何ですか?」 「とにかくそやつじゃ」  誤魔化した。  妙に上から目線だったり、都合が悪くなると話を聞かなくなったり――ふたりも言っていたけど本当に自由気ままだ。  とにかくご指名が入った当人を呼びに行ってこようか。 「軍曹、なんか蛇っぽいのが部屋に出てきたんだけど」  襖をノックしながら軍曹にそう呼びかける。 「思った以上に早かったな。ちょっと待ってろ」  彼は襖越しにそういうと、一分もしないうちにサングラスのようなものをかけて出てきた。 「家の中なのにサングラス?」  すかさず尋ねる。 「大丈夫だ。問題ない」 「いや、何が?」  謎のサングラスをかけたまま私の部屋の前まで来ると、無遠慮に襖を開ける。そして御使いと衝撃のご対面――というほどお互い驚いている様子もなかった。 「ほぅ、やはり見えておらなんだか」  御使いは軍曹の方をジッと睨めつけながら、相変わらずの上から目線で言う。 「え、軍曹見えてないの? 除霊してるんでしょ」 「除霊協会から依頼は受けてるが、俺自身が霊能力者なわけではない。霊視ゴーグルとかで認識し、特殊な加工がされた武器で除霊をしている」 「あれって軍曹の力じゃないんだ。てっきり霊力が詰め込めるように加工された武器を使ってるんだと思ってた」 「猟師がみんな自分で銃を作ってるわけじゃないだろう。そういうとこだろ」  わかりやすいとは程遠い例え。でも完全に的を外した感がある訳でもなく、微妙に伝わってきたような、こなかったようなというのが正直なところだ。 「で、お前はお社様の御使いか?」 「只人が随分な口の効き様じゃな」 「俺は無宗教だ。神ならともかく、神子の付き人として送り込まれるような下っ端の御使いにまで敬意を払うつもりはない」 「これは面白いことを言う。だが許してやろう。確かにワタシはまだ300年ほどしか生きていないが、貴様のような小僧を相手にわざわざ騒ぎ立てるほど器が小さい訳でもない」  勝手に言い争いを始める1人と1匹。どっちもどっちで大人気ない。こういうのは放っておくに限るんだけど……いかんせんここは私の部屋だ。どちらも早いところお引き取り願おう。 「喧嘩は外でやって!」  間に割って入り、大声で叫ぶ。自分でもこれくらい出せるんだと思うくらいの声量。多分、人生で一番大きかったと思う。 「悪かった」 「人間とは難儀よのぉ」  そんな私に何を思ったかはわからないけれど、軍曹も御使いもスッと身を引いた。  本当にわからない。  運命の針は今、どちらに傾くか相当迷っているご様子で。  できればこのまま何事もなく過ぎ去ることを願うのみ。  翌朝、御使いは私の所へ現れなかった。  代わりに軍曹が何の前触れもなくやってきた。  それはちょうど学校へ行こうと制服に着替えている真っ最中。彼は低い声で「入るぞ」と言うと、間髪入れずに襖を開ける。 「ッ……!!」 「何だ、着替え中か」  真顔で言うんじゃない! 少しは動揺しろ!  顔色一つ変えない彼に心の中でそう叫ぶ。 「……見たらわかるよね? 部屋に入る前にノックして!」 「わかった」  あっさりと引き下がり部屋を出ていいた。別段悪びれるとかそういう様子もなく。ラッキースケベ展開をラッキースケベにしない。何の下心もない。でもそれがかえってむかつく。 「入るぞ」  出ていったと思ったら、閉めると同時にノックをしてくる。  違うよ……誰が「やり直せ」なんて言ったんだ。 「まだ終わってない!」  早すぎるノックに大声で襖を殴る。  するとやっと静かになった。  まったく……昨日の今日だ。短期間でどれだけ喉を酷使すればいいんだか。  しばらくして着替え終わると、再び襖に向かって声をかける。 「もう良いよ」 「入るぞ」  ずっと待っていたみたいだ。さっきと表情は何ひとつ変えず、どかどかと入ってきた。 「長いな」 「勝手に来てよく言うよ……」 「そんなことより――」 「そんなことで済ませない!」 「……悪かった。それで要件だが、今日か明日か除霊に行くから。西名も準備しとけよ」 「何で除霊につきあわないといけないのさ」 「しょうがないだろ。義父(とう)さんに言われたんだから。今俺は西名を守らないといけないんだ」 「……わかった」 「あと――」 「何?」 「あと、前から気になってたんだが、そこの写真に写ってるのは友達か?」  軍曹がそう言って指をさしたのは机の上の写真立て。左下には5年前の日付がプリントされている。そこで無邪気な笑顔を浮かべている2人は、まだ未来を知らない私と茜音。 「人の領域によくもまぁ、ズケズケと」 「言いたくないなら言わなくていい。別に西名がどんな過去を持っていようが、そこまで興味はない」  毒を吐きながらも別に隠すつもりはなかった。 「……妹だよ」  ボソッと告げる。  そのとき思い出した――そういえばここへ来てから、茜音の話なんてほとんどしてなかったっけ。 「そうか。連れて来なかったのか?」 「来たよ――生きてればね」 「そうか。お前もしんどいんだな」 「ある意味ね」  それでも母さんや茜音が死んだときに比べれば、だいぶ楽になったよ。確かに軍曹は無茶な人だけど。その無茶がどこか頼もしくて、なんだか双子の兄みたいだ。  おかげで辛かったあの過去を思い出すことが比較的少なくなった。  感謝しているよ……軍曹――こんなこと本人には絶対言えないけどね。  窓から差し込む朝陽がほんの少しだけ、未来を明るくしてくれているように思えた。  大丈夫だから、今日もなんてことない毎日を生きるよ――ね、茜音。  夕方、学校から帰って来ると、軍曹が仁王立ちで待ち構えていた。 「霊が大量発生する予兆を捉えた。今から行くぞ」 「えっ、今から!?」 「そうだ。生憎義父さんは町内会の寄り合いに行っててな。それで俺もこれから出るとなると、西名をひとりにはできんだろ」  確かに準備をしておけとは言われていたけれども。帰宅するなり出かけることになるとまでは思っていなかった。 「……わかった。着替えてくるから待ってて」 「駄目だ。時間がない」  即答だった。  きっと朝のように待たされると考えたのだろう。制服には不相応な風呂敷を私に背負わせると、「早くしろ」と急かしてくる。私は黙って彼の背中を追った。  かれこれ1時間くらいは歩いただろうか。  人里離れた山の中をひたすら歩いていた。  陽は完全に落ち、軍曹の持つ懐中電灯だけが獣道の先を照らす。  やっぱり無理を言ってでも着替えてくるべきだった。半分登山……それを制服、特にローファーなんかでするものじゃない。  そんな私の後悔なんてつゆ知らず、軍曹は自分の歩幅を変えない。  着替えさせてくれなくて、重い荷物まで預けて。そのクセして、当の彼は動きやすそうな戦闘服、それも手ぶらだ。 「軍曹、これ何が入っているの? 馬鹿みたいに重いんだよね」  訳も分からず背負わされた風呂敷の中身。妙に重く、肌触りが硬いそれについて尋ねる。 「それは秘密兵器だ」 「ひみつへーき?」 「あぁ、悪霊を一網打尽にするためのな」  秘密兵器に一網打尽。返ってきたのはいかにも男の子が好きそうな四字熟語の詰め合わせ。 「そもそも軍曹手ぶらだよね。持ってくれたっていいのに」  ついに不満が漏れた。それに対して軍曹は冷淡だった。 「駄目だ。大して役に立たないお前を連れてきてやったんだ」  やっぱり今朝のは前言撤回。軍曹は軍曹であって、大尉でも大佐でもない。絶対に昇進などさせてやるものか。  心中でそう誓う私に彼は「まぁ、もう少しだ。それに――」とつけ加える。 「俺だって手ぶらなわけじゃない。防弾チョッキ、拳銃三丁にその弾丸、スタンガン、手榴弾、仕込みナイフ――これだけ装備はしている。身軽そうでも、実はそんなに身軽ではないんだ」  言われてみれば服のシルエットが所々膨らんで見える。嘘ではないんだろう。けど、釈然としない。 「そんなに武装してたら、いつか捕まりそう……たぶん銃刀法違反で」 「そんなわけないだろう。持っているのはあくまで霊体用。傍から見ればエアガンの一種だ」 「まぁ、捕まらなくても職質はされそうだよね」 「そのときはこれを見せるしかないだろうな」  唐突に立ち止まると、胸ポケットからカードのようなものを取り出すと、それを懐中電灯の光を当てる。 「全日本除霊協会会員証? うさんくさぁ……」  写真付きの会員証に対して、本音は留まるところを知らなかった。 「バカを言うな。一応公式組織なんだ」 「一応……なんだ」 「当該警察官が知っているかどうかは別だがな」 「やっぱりアウトじゃん」 「見つかなければ問題はない」 「結局そうなるんだ」 「もういいだろう? 時間がないんだ。行くぞ」  スッと会員証を引き、胸ポケットにしまうと再び歩き始める。 「うん……あとどれくらいで着きそうなの?」 「もうすぐだ。問題ない」  私の問いに対する答えはあまりにも短く、さらに曖昧なものだった。  体感すぐ。  確かにそんなに歩かなかった。  山の中腹の少し開けた場所に出ると、軍曹は歩みを止める。  その瞬間、やっとこのわけのわからない荷物から解放されると期待した。  しかし、風呂敷を地面に置く私に彼は次の指示を飛ばす。 「よーし到着だ。早速その荷物を適当な場所に設置してこい。くれぐれも偏るなよ」  家から数えて1時間半。やっと辿り着いたっていうのに、一休みもさせてくれないのか。 「軍曹は何するのさ!」 「バカめ、作業中に悪霊が出てきたらどうする! 結界を張っておくんだよ。とにかく行ってくるんだ」 「ちょっと休ませてよ……」 「普段から鍛えてないからだぞ。まぁ、わかった。1分間待つ」  あなたは鍛えているかもしれないけど、私はごくごく一般人、素人。そこまで鍛えているわけがない。それでたった1分間って……1時間半に対してこのインターバルはほぼ無いと言っても良いのでは? 「……時間だ」  容赦ない鬼軍曹はストップウォッチを片手に言う。 「わかったよ」  仕方がなし、半ば諦めの表情を浮かべながら風呂敷を背負う。 「あぁ、暗いからこれ持っていけ。あと無線も」  彼は懐中電灯と小型の無線機を差し出す。こういうあたり、無茶苦茶は言うけど根っからの根性論ではないところが伺える。だからこそ余計にたちが悪いのだ。 「ありがとう。ところで軍曹。結局この荷物って何なの? 正体が分からなきゃ設置のしようも……」 「それか? 対悪霊用地雷だ。といっても埋める必要はない。その点は安心しろ」 「……」  心配するポイントはそこじゃない。  ただ、もう突っ込む気力すら残っていなかった。  周囲をぐるっと歩きながら、秘密兵器を置いて回る。だいたい一周するくらいで全部使い切った。軍曹に報告しようと無線機を手に取る。ところが軍曹の指示の方がわずかに先だった。 「今から2分後に結界を解く。巻き込まれたくなかったら最初の地点まで戻ってこい! あとその地雷は対悪霊用だが人体に害がないとは限らないぞ」  返事は待たず一方的に終わる会話。交信時間はわずかに10秒――どうしてアイツは私の挙動一つ一つを待てないのだろうか。それに……制服で、ローファーで、山道を走れって……アイツ正気か? いや、たぶん気など狂っていない。だからこそ彼は鬼軍曹なんだ。  悪口なら泉のように溢れ出してくる。でもそれは私の命を守ってくれやしない。無茶だとはわかっても走るしかないのだ。  あの軍曹のことだ。きっちりストップウォッチで測っているだろう。万が一にも誤差はない。  周囲は未だに静寂。それは嵐の前の静けさ。だからこそ恐怖心を煽って来る。その感覚は例えるなら、何かに追われているそれに近い。いわゆる火事場の馬鹿力。多分、今ここで50メートル走をしたら、自己最速タイムが出ると思う。  一心不乱で走って、ようやく軍曹のもとへたどり着いたとき、遠くで爆発音がした。 「はぁ、はぁ……まに……あった」  乱れたきった呼吸の中で安堵の声を漏らす。  そんな私を見て軍曹は一言。 「ご苦労だった」 「それだけッ⁉」  労いというにはあまりにもお粗末すぎる。 「まぁ、あとは数が減るのを待つだけだ。その間に呼吸を整えておけ」  息を整えておけということはまだ続きがあるんだ……。 「あのさ、善良な霊が混ざっている可能性はないの?」  素朴な疑問。それに対して用意されていた答えは――。 「動く奴はみな悪霊だ。そして――」  いきなり手榴弾を手に取り、なんのためらいのなくピンを抜くと、私の後方へ向かって投げた。 「動かない奴はよく訓練された悪霊だ」 「それもう、悪霊しかいないじゃんね」  爆発と同時に放たれたのは、やっぱりトンデモ理論だった。 「そろそろ掃討に行くぞ。あとこれを持っておけ」  投げるように渡されたのは拳銃。 「護身用だ、弾は入ってる。あと対悪霊用だから反動や音については気にしなくていい。そうだな、さしずめ撃ったら霊が消滅するエアガンとでも思っておけばいい」  思ったより軽い。それが素直な感想だった。  私はその銃を握りしめて軍曹のあとについて行く。  そこからはまさに蹂躙。地雷を生き延びた悪霊を片っ端から銃で撃ち抜いていく。そこに自分の出る幕なんてなく、ただ彼が1人で片づけていくのを見ているだけだった。  これが本当の軍曹――名鳥睦記。  私は本気で除霊をしている彼を初めて見た。  全てがひと段落し、辺りに再び平穏が戻ってきたそのときだった――。 「伏せろ!」  帰り支度をしていた軍曹が突然振り返って私を突き飛ばす。  私には何が起きたのかさっぱりわからなかった。  起き上がってみると目の前にあったはずの木が、まるで雷にでも打たれたかのように焼け焦げていた。  突き飛ばした軍曹はというと、銃口を謎のエネルギー帯に向けて構えている。  自分は戦闘のプロじゃないけど、それでも良くない状況であることはすぐに理解できた。 「久しぶりだね……お姉ちゃん」  えっ⁉ そんなことってあるのか? でもこの声は間違いない。妹の……茜音の声だ。  エネルギー帯はどんどんと人型へと変化していく。そして完全に形が整った瞬間、私の抱いた可能性は確証へと変わった。 「茜音……どうして?」  まるで悪夢でも見ているようだった。  だってそれはこの1年間、向き合うことを避けてきた辛い過去の延長線だから。できればもう二度と思い出したくないと思っていたことだったから。 「ずいぶんと楽しそうだね、お姉ちゃん。こっちは事故のときからずっと止まったままなのに! 1人だけ前に進んで……ずるいよ」 「違う――」  一生懸命それを否定しようとしたけれど、言葉が上手く出てこなかった。何をどう言ったら良いのかわからない。  無意識のうちに私は……妹に銃口を向けていた。  それは除霊しなきゃと思ったからじゃない。きっとアレが茜音であることを否定したかったんだ。  でも……引き金を引くことなんてできなかった。 「下がれ! 撃てないなら銃を構えるな! 殺れないなら俺が殺る」  そう言って私を押しのける彼の声が遠くに聞こえた。 「ねぇ、お姉ちゃん。こっちへおいでよ。私と一緒にどこまでも、どこまでも遠くへ逝こうよ!」  楽しそうな、恨めしそうな茜音の声。  それが驚くほど残酷だった。  そして手のひらを私の方へかざし――次の瞬間『それ』はきた。光の雨は視界全体を覆い空気が破裂する音と衝撃波が私の身体めがけて突っ込んでくる。  意識が刈り取られる寸前、目の前には白い鱗が映っていた。  目を開けると、視界の先は見慣れた天井。 「まったく危ないとこじゃったの。私が助けてやらなんだら2人とも死んどったぞ」 「ぐん、そう……あ、いや、睦記は?」 「あやつはここに張ってある結界の補強に行ったぞ」 「あぁ、そう」 「そういえばあやつ、凝りもせずまだあの霊のことを考えとる。さっきも、『どうにかあの霊を成仏させられぬものか』と訊いてきたぞ」  あぁ、彼には迷惑をかけてしまったな。これは身内のことだからあんまり巻き込みたくはなかったんだけど……。 「しかし、結局のところは未練を断ち切る必要があるのじゃから、別に神官でも僧侶でもないあやつにはまず無理じゃろう。その上、あの娘はお主と同じように潜在的な霊能力を持っておった者じゃ。霊になったことによって、さらに力も増しておる。お主の義父とてできるかどうか……」  御使いは一呼吸を置いて、こちらを見ながら告げる。 「もしできるとしたら、あの娘と強いつながりを持つお前さんだけじゃ」 「別に忘れてたわけじゃないんだ。ただ……思い出すのが辛かっただけなんだ」  その言葉は御使いに向けたわけでも、いや、誰に向けたわけでもなかった。強いて言うなら今まで目を背けてきた自分に対する言い訳。 「でも覚悟はできてんだろ?」  振り向くと軍曹が柱にもたれかかっていた。 「聴いておったのか」 「三流使い魔が余計なことを言いやがって。本当はコイツが寝てる間に決着をつけたかったんだが」 「御使いと言え、エセ除霊師」 「相手は強力な霊能力者の霊――サイコゴーストだ。放置をするわけにはいかない。だがどう解決するかまでは協会に指定されてる訳でもない。お前はどうしたい?」 「行くよ」  私は即答した。  目を背けてばっかりだったけれど、もう大丈夫。もう絶対に迷わないよ。だって立ち向かう勇気を君たちがくれたから……だから――。                             (FIN)
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