02)夢の翼

1/1
前へ
/71ページ
次へ

02)夢の翼

碧は自己肯定感が低いまま、6年生に進級した。 担任教師は「大宮 剛毅(おおみや ごうき)」 碧が6年生になったと同時に余所から赴任し、30歳と若手の教師だが、碧の苦手な体育会系の熱血タイプだった。 碧は一見威厳のある剛毅に怯え、剛毅もまた碧に翻弄される形になった。 碧は授業中に当てられると、緊張して言葉が吃る。クラスメイトの嘲笑と、剛毅の沈黙が碧には痛かった。 「この先生も嫌い!どうせ俺の事はわかってくれない!」 碧は剛毅に最初から嫌悪感を示し、徹底的に避け、授業中に飛び出す事もあった。 その度に剛毅は必死に碧の後を追い、教室に戻す日々が続いた。 しかし碧の苦手意識に反して、剛毅は碧の強みを探していた。 剛毅は今迄の担任教師から、碧が発達障害である事など様々引き継いでいた。 (碧は真面目な子なんだ…あのままでは生きる事がさらに辛くなる。自信を持って生きていけたら) 剛毅は絶望感に満ちた表情の碧を思い出しながら、信頼関係を模索する日々が続いた。 碧の小学校では、6年生は毎年、秋になると市内の合唱大会に出場する事になっており、碧も例外ではなかった。 歌は雨音 潤(あまね じゅん)の「夢の翼」。 AOR(アダルト・オリエンタル・ロック)を代表する歌手の曲だが、歌詞は心から子供達の未来を想うものであった。 合唱の大サビの部分の前にソロパートが入るが、とりあえず全員で歌ってみる。 あどけない声に混ざり、1人だけ力強い、清らかな声がある事に剛毅は気づいた。 雨音潤にも引けを取らないような、魅力のある声。 「おいちょっと待て。今歌ってたの誰?」 「碧の方から聴こえるんだけど」 「えー?あの碧がー?」 「でも俺も碧の方から聞こえたよ」 クラスメイトがざわつく中、剛毅は碧に指示を出した。 「碧、ちょっと歌ってみ」 碧は緊張しながらも、下を向いて声を出す。 少し震えてはいたが、音程のはずれのない、綺麗な伸びやかな声。 「碧、すげーなー!」 「めっちゃ声綺麗じゃん!」 日頃、碧を軽蔑していた同級生ですらも感嘆の声をあげる。 それ程、碧の声は特別だったのだ。 ソロパートを碧1人でこなす事になり、剛毅や 喉に負担がないよう、調整して練習する。 夢が届くよう 小さな手を広げて 大きな未来に 僕らの道を照らして 夢の翼を放つよ… 潤が子供達の前途に願いを込めて作った詩を、碧は丁寧に歌い上げる。 合唱大会当日 碧はソロパートを心を込めて歌う。 心を無にして、目を閉じて歌った。 未来に想いが届くように。 子供達の清らかな歌声、 碧の想いのこもった歌声に、 会場からは割れんばかりの拍手がおこる。 碧は初めて、生きる喜びを実感したと共に、 歌は幸せを齎すことを初めて知ったーー 碧に歌の才能があると思った剛毅は、合唱団に入団を勧めたが、大人数に耐えられない碧は練習を抜け出したり、練習時間が予定よりオーバーする事に癇癪をおこし、しょっちゅう練習が中断する事態になってしまった。 「碧、何が嫌だったんよ…」 「だって…あの大勢の雰囲気が嫌なんだもん…」 たまりかねた剛毅は合唱団をあきらめさせる事にした。 そして、一対一のボーカルスクールをある事を知る。 なんと、潤のボイトレを担当している講師だ。 その講師は幸いも碧の特性を理解し、碧の練習スケジュールを1ヶ月、1週間、1回毎に確認し、混乱がないように努める。 試行錯誤しながらも焦らずに彼の歌声の魅力を引き出し、伸ばす事に専念した。 「碧くん、いいじゃないか!素晴らしい」 碧は徐々に歌う才能を開花させ、小学校卒業2ヶ月前のジュニアボーカルコンクールにて、特別賞を頂いた。 「碧!やったぜ!」 両親は応援すら来なかったが、剛毅や講師は碧の受賞に心の底から喜んだ。 碧は生まれて初めて、心から笑った。 夢が届くよう 小さな手を広げて 大きな未来に 僕らの道を照らして 夢の翼を放って… 碧は反芻するように、歌う自信をつけるきっかけとなった歌詞を繰り返した。 雨音潤が心を込めて作った詞を、丁寧に呟きながら歌う。 この歌詞を呟くと、不思議と力が湧いてくるのだった。 月日が流れ、3月。 碧は小学校卒業式を迎えた。 何をするにも困難だらけの小学校生活から、大きな「可能性」を胸に秘めた状態で、晴れの日を迎えた。 碧は式が終わると、剛毅に花束を渡した。 「剛毅先生の事は、一生忘れません」 「俺が花束とは、柄にもねぇな」 剛毅は照れたような笑った。 10数年後、2人が思わぬ形で再会を果たすとは、この時は知る術もなかった。 そして碧は、「夢の翼」を歌う歌手「雨音 潤」のことが、いつの間にか気になっていた。 顔を知らずとも、不思議な声の持ち主。 まるで絹に包まれた、嫋やかなようで靭さも秘められた、特別な声。 その声は、碧を虜にさせ、人生の指針となっていた。 「この人が…俺に力をくれたんだね」 潤の曲は都会的で大人の雰囲気のものが多かったが、歌詞の意味はわからなくとも、聴く度に心が癒されていた。 まるで、傷が癒えて心が安らぐようにーー きっとこの歌を歌う人は、優しい人なんだ… 碧は潤の事を、漠然と想像していた。 そしていつか、こんな風に歌えたら…と思うようになっていた。
/71ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加