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02)夢の翼
碧は自己肯定感が低いまま、6年生に進級した。
担任教師は「大宮 剛毅(おおみや ごうき)」
碧が6年生になったと同時に余所から赴任し、30歳と若手の教師だが、碧の苦手な体育会系の熱血タイプだった。
碧は一見威厳のある剛毅に怯え、剛毅もまた碧に翻弄される形になった。
碧は授業中に当てられると、緊張して言葉が吃る。クラスメイトの嘲笑と、剛毅の沈黙が碧には痛かった。
「この先生も嫌い!どうせ俺の事はわかってくれない!」
碧は剛毅に最初から嫌悪感を示し、徹底的に避け、授業中に飛び出す事もあった。
その度に剛毅は必死に碧の後を追い、教室に戻す日々が続いた。
しかし碧の苦手意識に反して、剛毅は碧の強みを探していた。
剛毅は今迄の担任教師から、碧が発達障害である事など様々引き継いでいた。
(碧は真面目な子なんだ…あのままでは生きる事がさらに辛くなる。自信を持って生きていけたら)
剛毅は絶望感に満ちた表情の碧を思い出しながら、信頼関係を模索する日々が続いた。
碧の小学校では、6年生は毎年、秋になると市内の合唱大会に出場する事になっており、碧も例外ではなかった。
歌は雨音 潤(あまね じゅん)の「夢の翼」。
AOR(アダルト・オリエンタル・ロック)を代表する歌手の曲だが、歌詞は心から子供達の未来を想うものであった。
合唱の大サビの部分の前にソロパートが入るが、とりあえず全員で歌ってみる。
あどけない声に混ざり、1人だけ力強い、清らかな声がある事に剛毅は気づいた。
雨音潤にも引けを取らないような、魅力のある声。
「おいちょっと待て。今歌ってたの誰?」
「碧の方から聴こえるんだけど」
「えー?あの碧がー?」
「でも俺も碧の方から聞こえたよ」
クラスメイトがざわつく中、剛毅は碧に指示を出した。
「碧、ちょっと歌ってみ」
碧は緊張しながらも、下を向いて声を出す。
少し震えてはいたが、音程のはずれのない、綺麗な伸びやかな声。
「碧、すげーなー!」
「めっちゃ声綺麗じゃん!」
日頃、碧を軽蔑していた同級生ですらも感嘆の声をあげる。
それ程、碧の声は特別だったのだ。
ソロパートを碧1人でこなす事になり、剛毅や
喉に負担がないよう、調整して練習する。
夢が届くよう
小さな手を広げて
大きな未来に
僕らの道を照らして
夢の翼を放つよ…
潤が子供達の前途に願いを込めて作った詩を、碧は丁寧に歌い上げる。
合唱大会当日
碧はソロパートを心を込めて歌う。
心を無にして、目を閉じて歌った。
未来に想いが届くように。
子供達の清らかな歌声、
碧の想いのこもった歌声に、
会場からは割れんばかりの拍手がおこる。
碧は初めて、生きる喜びを実感したと共に、
歌は幸せを齎すことを初めて知ったーー
碧に歌の才能があると思った剛毅は、合唱団に入団を勧めたが、大人数に耐えられない碧は練習を抜け出したり、練習時間が予定よりオーバーする事に癇癪をおこし、しょっちゅう練習が中断する事態になってしまった。
「碧、何が嫌だったんよ…」
「だって…あの大勢の雰囲気が嫌なんだもん…」
たまりかねた剛毅は合唱団をあきらめさせる事にした。
そして、一対一のボーカルスクールをある事を知る。
なんと、潤のボイトレを担当している講師だ。
その講師は幸いも碧の特性を理解し、碧の練習スケジュールを1ヶ月、1週間、1回毎に確認し、混乱がないように努める。
試行錯誤しながらも焦らずに彼の歌声の魅力を引き出し、伸ばす事に専念した。
「碧くん、いいじゃないか!素晴らしい」
碧は徐々に歌う才能を開花させ、小学校卒業2ヶ月前のジュニアボーカルコンクールにて、特別賞を頂いた。
「碧!やったぜ!」
両親は応援すら来なかったが、剛毅や講師は碧の受賞に心の底から喜んだ。
碧は生まれて初めて、心から笑った。
夢が届くよう
小さな手を広げて
大きな未来に
僕らの道を照らして
夢の翼を放って…
碧は反芻するように、歌う自信をつけるきっかけとなった歌詞を繰り返した。
雨音潤が心を込めて作った詞を、丁寧に呟きながら歌う。
この歌詞を呟くと、不思議と力が湧いてくるのだった。
月日が流れ、3月。
碧は小学校卒業式を迎えた。
何をするにも困難だらけの小学校生活から、大きな「可能性」を胸に秘めた状態で、晴れの日を迎えた。
碧は式が終わると、剛毅に花束を渡した。
「剛毅先生の事は、一生忘れません」
「俺が花束とは、柄にもねぇな」
剛毅は照れたような笑った。
10数年後、2人が思わぬ形で再会を果たすとは、この時は知る術もなかった。
そして碧は、「夢の翼」を歌う歌手「雨音 潤」のことが、いつの間にか気になっていた。
顔を知らずとも、不思議な声の持ち主。
まるで絹に包まれた、嫋やかなようで靭さも秘められた、特別な声。
その声は、碧を虜にさせ、人生の指針となっていた。
「この人が…俺に力をくれたんだね」
潤の曲は都会的で大人の雰囲気のものが多かったが、歌詞の意味はわからなくとも、聴く度に心が癒されていた。
まるで、傷が癒えて心が安らぐようにーー
きっとこの歌を歌う人は、優しい人なんだ…
碧は潤の事を、漠然と想像していた。
そしていつか、こんな風に歌えたら…と思うようになっていた。
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