31)過去への憎悪

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31)過去への憎悪

碧もデビュー1年が過ぎ、シングルや1stアルバムの売れ行きも好調になってゆく。 伸びやかで切なくも力強い声が発する想いは、多くの人に伝わっていった。 碧自身初のホールライブは大盛況に終わり、数ヶ月後にはツアーを開催する旨伝えると、観客席は大歓声にあふれた。 (こんな俺の曲を聴いてくれて…喜んでくれて、ありがとう…) 碧は感極まり、ライブ終了時に謝意を伝えるときには涙が溢れていた。 次のツアーも多くの人に伝えたい、頑張らなくちゃ! 碧は希望に胸を膨らませ、ステージを降りた。 碧が歓喜と決意に溢れる陰で、不穏な空気が流れ始めていた。 碧のライブ終了後、何やらスタッフが一組の客と揉めているのを、剛毅は目撃した。 碧は観に来ていた潤と、一緒に楽屋にいる。 どうやらこの客が、関係者以外立ち入り禁止エリアに入ってきてスタッフに注意を受けるが、逆ギレの状態になり取り付く島もない。 「おい、どうした…」 剛毅がスタッフと客の仲裁に入る。 その客を見た瞬間、血色ばみ怒りで全身が震えるのを感じた。 なんと、碧の両親だったのだ。 剛毅はスタッフに、ここは俺に任せろ、とだけ伝えた。 実は碧と両親は、縁を切っている。 碧が歌手デビューするとき、両親は碧にはっきりと絶縁状を渡し、両親から離れたかった碧は納得した上で自宅を離れた。 法的には親子関係の解消はできないが、碧は心理的虐待を理由とした戸籍の分籍、相続放棄もしていて、形式上は絶縁状態になっている。 「空羽さん、どうもご無沙汰しています」 剛毅は怒りを抑えながらも、頭を下げた。 この両親の、碧に対する慇懃無礼な行為は忘れていない。 「随分遅い参観ですね。私が6年生を受け持ったの頃はご両親がいらした記憶がないのですが。今更如何されましたか?」 剛毅は皮肉たっぷりに挨拶したが、両親はすぐに対抗する。 「あら、大宮先生、お久しぶりです。教師を途中でリタイアされた分際で随分な口を叩くものですね」 リタイヤではなく転職なんだけどなーー 応戦する両親に対し、剛毅は言葉を飲み込んで、 「で、関係者以外立ち入り禁止の場所に来てまで、何のご用ですか?」 「碧に会わせてほしい!碧は私達の子だから!」 あまりにも直球のような要求に、剛毅は面食らった。こいつら、どの口で『碧は私達の子』と言ってるんだ。 「空羽さん、ここは関係者以外立ち入り禁止です。お引き取りください」 剛毅は怒りを抑えながらも、落ち着いて対応する。しかし碧の両親は怯まない。 「碧は私達の息子で関係者だ!」 「しかしあなた方は碧と縁を切ってるでしょう。部外者です。ファンの皆さんはルール守ってるのに、あなた方が破れば碧の名前に泥を塗りますよ。さぁお引き取りください」 剛毅が何とか追い出そうとしたところに、運悪く、碧と潤が現れた。 碧は両親の姿を見た瞬間、表情は怯え、全身が震え呼吸が苦しくなってきた。 『お前なんか、空羽家の恥だ!』 『このくらいの事ができないのね!下手くそ!』 『お前なんか生きる価値ない!死ね!』 学校で虐められ、家では罵られる日々を思い出し、全身が痛くなる。 「碧…久しぶりだな」 父親と母親は、優しい眼差しを碧に向ける。 碧は背筋が凍る思いがして、笑えなかった。 小さい頃、こんな優しそうにされたことはない。 いつも「お前は屑!」「お前みたいな奴は俺たちの恥だ!」「生まれてこなきゃよかったんだよ!」と散々言ってきたくせに! 「碧、立派になったなぁ。流石私達の息子だ。小さい頃は全く何もできず、恥ずかしい存在だったのになぁ」 「本当に碧は、私達の誇りだわ」 碧には両親の手のひら返しが、非常に苦痛だった。 傍の潤の表情が、一瞬のうちに険しくなった。 碧は、小さい頃はこんな仕打ちを受けていたのかーー これは、幼い頃の懐かしい思い出を語っているのとは明らかに違う。 碧の反応と両親の言葉だけで、碧がどんな少年時代を送ってきたか全てを察し、あらためて恵まれない日々を過ごしてきたと実感した。 碧は両親の言葉が本音ではない、馬鹿にされていると察し、怒りを露わにした。 「あんた、今更どの口が言うんだよ!あんたが俺に出ていけって言ったんじゃねぇか!」 「あんたから縁を切ったくせに!お前なんかお荷物だ、歌手なんて恥ずかしいって!」 「俺が生きる気力無くした所を救ってくれたのは、剛毅さんと潤さんなんだよ!あんた達じゃねぇ!」 「もう二度と来るな!迷惑だ!」 「あんた達の顔なんか見たくねぇよ!」 碧は烈火の如く怒った。 (今の俺は、子供の頃に泣き虫だった碧じゃない!) 碧の反抗に両親は戸惑ったが、すぐに言い返す。 「碧、親になんて口きくんだ!30歳にもなって!」 「お父さんとお母さんが働いてたから、あなたは学校に行けて、食べていけたのよ?それでもその態度って、随分親不孝な態度ね!」 「食わしてもらった分際で!逆らうな!この屑!」 「あんたら…」 潤は剛毅を止め、眼で制す。 そして、耳打ちした。 (剛毅、俺は碧の両親と話をしたい) (碧も、俺の育ての親に挨拶した) (俺も挨拶したいし、どうしても伝えなければならない事がある) 「空羽さん、残念ですが…」 潤は落ち着いた口調で話し始め、一旦間を置いて続ける。 「ここは、帰られた方が良いと思います」 潤の言葉に、碧の両親は刃向かう。 「なんだ!あんたは!有名な歌手だからって、人の親に口出すな!」 「雨音潤か…聞いたことある歌手だな。君は、碧の何なのかね?」 父親は狡猾そうな様子で潤を見つめる。その目つきは、潤を見下している様にも見える。その問いかけは、ただならぬ関係なら容赦しないぞ、という意味にも取れる。 実は、碧の両親は二人とも潤と同じ歳である。 しかし同じ歳でも、こんなに性格が違うものなのか。 考え方や人柄の違いかもしれない。 明らかに、俺の両親は汚い。 それは、瞳にも表れている。 両親の瞳は澱み、醜悪な色をしているが、 潤の瞳は無垢で、綺麗な色をしている。 碧は両親と潤を見比べて、漠然と思っていた。 「兎に角、アカの他人が、私達と子供のやりとりに口を出すな!」 碧の父親の恫喝にも、潤は怯まない。 「何を仰いますか?碧は既に成人していて、扶養義務は既にない。意思表明は自由と思います。そして碧はあなた方と縁を切り、戸籍の分籍もしています。更に碧は、財産の相続放棄もしている」 潤は少し間を置いて、諭すように続けた。 「それが何を意味するか、当然ご存知ですよね? 学費がどうこう仰いますが、未成年の子供を、親は育てる義務があります。民法にも規定がある事は、大学教授のあなた方なら、よくご存知のはずです」 「私は、義務を振り翳して子供への無礼をはたらく人間とその行為が、一番悲しいです」 「そして、悲しみの裏には怒りがあるのですよ」 「あなた方がいくら改心しても、碧に向けた過去は消えませんよ」 潤は厳しい口調で諭し、眼の光は強かった。 碧の両親は口を噤む。 潤は表情を少し和らげて、続けた。 「今日はもう、遅いのでお帰り下さい」 「お互いが会う気持ちがなければ、会わない方がいいです」 「嫌がる相手に強要する事は、心の刃を向けることになりますからね」 潤は終始穏やかな口調で話したが、最後は語気を強めた。 碧の両親は、毅然と佇む潤に返す言葉が無く、口惜しい気持ちを堪えながらその場を去った。 「潤さん、剛毅さん、ごめ…」 碧はそれきり言葉にならず、その場で崩れ、潤と剛毅が支える。 過度の精神的緊張で、気を失ってしまったのだ。 (怖かった…) (また俺は、ダメな奴になってしまうの…) 碧は夢の世界で、無数の人間に傷つけられ、涙を流していた。 もう生きてても、仕方ないんだ。 俺は死んだほうがいいんだーー その時。 優しさの中に、力強さを感じる声が響いてきた。 (碧の歌に、想いに励まされた人はたくさんいるんだ! そして俺にとっては、碧はかけがえのない人なんだーー) (だから、生きてて。一緒に生きて!) 綺麗な瞳が、碧に力靭さへと誘う。 (潤さん…一緒に生きよう…) 弱々しく離れかけた二つの手は、再び絆を強くするかのように繋いだーー
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