33)碧と潤(月燈)

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33)碧と潤(月燈)

潤は、碧の体力が回復したことを見計らい、藤棚にある温泉に誘った。 「行く行く!」 楽しみにしていた碧は、心から喜んた。 降り頻るように咲く紫の藤に囲まれた温泉。 柔らかいお湯が混々と湧き出ているところを潤が見つけ、様々手を施し体を癒す温泉として誕生した。 紫の花は湯けむりに包まれ、ゆらゆらと揺れていた。 まるで大地の雫で潤うように。 潤が藤の木を利用して手作りした浴槽。 花が咲かない幹を、浴槽として甦らせたのだ。 本来、藤の幹は浴槽には向かないが、何故か潤には加工して浴槽に生まれ変えることができた。 その浴槽には、柔らかなお湯が張られている。 「碧、色々準備するから、ちょっと先に入ってて。すぐに来るから」 碧は髪や身体を洗って、湯船に浸かった。 潤はお湯を溜める間に、先に身体を洗い、再び上がってタオルの準備をしていた。 碧は身体や髪を洗い、藤の浴槽にゆっくりとつかる。 なめらかで、肌触りのよい柔らかなお湯。 まるで、潤に抱かれているような感覚だーー それは愛する人と抱き合いながら蕩ける瞬間にも、癒されて安らぐ瞬間にも感じられた。 碧が微睡みそうになった瞬間、背後から優しい声が。 「碧…」 碧は背後から優しく響く声に振り向くと、息を呑んだ。 一人の華奢でしなやかな雰囲気の「女性」が、湯船に降りてきた。 その姿は紛れもなく、女性の姿をした「潤」だったーー 潤は、藤の湯船入る瞬間に天衣無縫をそっと外し、優しい姿を碧の前に見せた。 まるで、天女が纏っていた羽衣をはらりと舞うように。 長くしなやかな黒髪は、きれいに一つにまとめられ、華奢な頸に月の光が照らされていた。 一糸纏わぬその姿は、大人の艶気が漂う中に、少女の優しさを秘めた雰囲気。 歴史を刻んだ風貌の中に輝く、綺麗な瞳。 藤は嫋やかな女性の姿に例えられるが、優艶な姿をした「女性」は、まさに藤そのものだった。 碧はその雰囲気に言葉を失った。 「潤さん、きれい…」 それっきり何も言葉を発せず、泣いた。 こんな綺麗な「女性」を、今迄見た事がない… 潤は、碧の頭を優しく撫でながら、 「碧、どうしたの…」 碧はただ感極まって、潤を見ることができない。 以前、潤の姿を初めて見たときは、衝撃を受けてまともに見る事ができなかったのに、今回は見ることすら罪に思えてくるーー 今夜は満月。 月燈が、紫や白の藤を照らす。 碧と潤の背中の藤も、月燈に照らされ、色艶を帯びていく。 「潤さん、月も藤も綺麗だね…」 碧は傍らの潤を見ながら呟き、続けようとしたその口を止めた。 月を眺める潤の姿を見て、一瞬のうちに心が凍る思いがした。 (潤さんが、消えそうだ…) 碧には潤が、月燈に染まり消えゆくように見えていた。 まるで満月の晩に、輝夜姫が月に還るように。 目の前の愛しい人が、だんだん薄れゆくような。 (潤さんが消えるのは、嫌だ!) 「碧?」 碧は潤に驚かれる迄、自分が潤を抱きしめている事に気づかなかった。 碧は潤の華奢な身体を、背後から強く抱きしめていた。 慌てて身を離す碧。 「ご、ごめん…潤さん…びっくりしたよね」 碧は潤から身体ごと目を逸らし、うつむいた。 「潤さんが…消えそうな感じがして…」 碧は言いながら、身体が震えが止まらなかった。 温かい、柔らかなお湯に浸かっているのに、心身が冷えていく。 「碧…」 潤は碧の震える身体をそっと包んだ。 聖母マリアが生まれたての子供を抱くように。 いつもとは違う、柔らかな感覚ーー 碧は潤に包まれ、子供のように安らいでいた。 しだいに二人は、癒しからお互いを求める気持ちに変化していく。 二人は、親子ではない。 愛し合っている二人なのだからーー 「碧、抱きしめててほしい…」 「碧から離れるのは、嫌だから…」 「俺が消えるなら、碧も一緒にいてほしい…」 皮肉にも月燈は衰えない。 儚くも靭い光で、二色の藤を照らす。 碧には潤の姿が、更に薄れゆく様に感じていた。 碧は月燈から潤を守る様に、抱き返した。 包まなければ華奢で嫋やかな潤の姿は、儚く消えゆく。 月燈は、二人の姿を消しているのではない。 二人を何者にも穢されないようにしているのだーー 月燈に護られていると気付いた碧と潤は、自然に唇を重ね合った。 抱き合って口づけ、絡まっているだけで、二人は気を失いそうになる。 (このままでは逆上せてしまう…) 碧は我に返り、潤を抱きかかえ湯船を出る。 その瞬間、二人は藤と月燈に包まれ、身体がふわりと浮いた。 藤と月燈に包まれ、碧と潤は優しく、激しく求め合う。 碧は潤のしなやかな首筋、柔らかな胸元に、そっと長い指で触れ、口づける。 その度に潤の甘い声が響く。 「碧…」 潤は碧を求めようとせがむが、言葉にならない。 碧は潤に応えるように、しなやかな身体を包みながら、心を溶かしてゆく。 潤の心地よい息遣いを、耳元で感じる碧。 碧もまた、潤に溺れていく。 まるで、藤の花弁に包まれ、濡れゆくようにーー 碧も潤も愛撫し合い、お互いを感じるたびに、気を失いそうになる。 だけど大切な気持ちは、届いてほしい。 「愛してる…」 二人は微睡みながらも、瞳を合わせ同時に囁いた。 愛が届くと更に、温もりの波に溺れていく。 (このまま、死んでもいいかもーー) お互いの鼓動を感じ合いながら、漠然と考えていた。 もし結ばれたままなら、どれだけ幸せだろう… 二人の背中の藤から、花弁が舞った。 碧みを帯びた白い藤と紫の藤が 雨のように降り頻るように、二人を潤すーー 「潤さん…あなたの中に…」 碧が言い終わらないうちに、二人の瞳が合い、伝え合う。 「碧、おいで…」 潤の誘いに、碧は瞳で頷く。 碧は潤の中に、ゆっくり入ってゆく。 碧が愛に縋るように そして、潤に引き込まれるようにーー 碧も潤も躊躇う事なく、溶け合っていく。 潤の声が、碧の全身に、心に響く。 二人を守る様に咲き乱れる藤と 二人の背中の藤が、鮮やかに揺れ、時折淫らに絡み、溶け合っていく。 (碧…全部、俺の中に…) 潤の言葉は、心の声となって碧に響く。 碧の激しい愛に濡れて、言葉にならない。 それは、碧も同じだった。 (潤さん…俺を全部…受け止めて…) 碧の命の雫が、潤の中に溶けた瞬間 白と紫の藤は、命の喜びの光を放った。 白と紫の穢れなき花弁が、泡沫の様に舞い、二人を包むーー
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