05)果てのない引力

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05)果てのない引力

碧のステージ。 今日、世に誕生した「新人歌手」は、濃いデニムのスーツに白シャツという、カジュアルながらも品のあるスタイルに身を包み、ステージに立つ。 潤の前座として立つとはいえ「天空から与えられし碧い声」と紹介された実力派新人歌手の評判は、決して低いものではなかった。 碧がステージに出た瞬間、観客は響めき、碧は反応に動揺する。 潤のライブは、客の年齢層が碧と比べて高く、今迄と違う反応も碧の動揺も高くしていた。 (どうしよう…このままでは歌えない…) 足が震えてくる。 マイクスタンドに手をかけた瞬間、心の中で「歌え!」と強く唱え、歌い始める。 これは、碧が緊張したときの「おまじない」でもある。 一瞬で「歌手 空羽碧」に変身した。 観客席全体を見渡し、ただ前を見て歌う。 碧は客席の一番後ろも超え、兎に角伝える事に必死で無我夢中で歌っていた。 観客の大半は潤目当てだ。 だけど、目立たない存在でも、まだ見ぬ人達にも伝えることができるんだーー どうか、夢の翼に乗せて、響きますようにーー デビュー曲「Glad meet to you あなたに逢えてよかった」 自作の詞を、想いを込めて歌いあげる。 誰もいない 暗闇 何も見えない 細道 それでも僕は 時を超えて あなただけを 探してきた 生きてきて 良かった あなたに出会えたことがすべて… Glad meet to you… その歌詞は、潤に出会った道標そのもので、歌いながら特別な感情が芽生えていた。 碧の透明感のある優しい声は、力強さに姿を変えて客席中に響くーー しかしどんなに必死に歌い伝えても、碧のステージには、これといった反応はなかった。 まばらな拍手があった程度だった。 物販には今日発売の碧のシングルが売られていたが、売り上げは芳しいものではなかった。 いくら伝えても、届かない事もあるのかなーー 碧は反応の乏しさに落胆した。 観客は潤のステージを観にきたのであって、もしかしたら、俺の出番は早く終わってほしいと思ったかもしれないな… 落胆する碧の細い肩を、剛毅は軽く叩く。 「お疲れさん、潤のステージ観ようや」 気を取り直し、剛毅と共に関係者用の観客席に向かった。 潤のステージ。 ドラムの叩き語りから始まる。 その名の通り、歌いながらドラムを叩くという至難の業だが、潤は難なく熟す。 華奢な身体から湧く、力強いドラムビート、柔らかで靭気な声。 碧はその迫力に驚く。 挨拶に行ったときの落ち着いた佇まいと物憂げな雰囲気とは裏腹に、ステージ上の潤は激しい様子で一気に観客を引き寄せる。その強い引力に碧も惹きつけられる。 嫋やかなようで、激しい様。 儚げで、靭い。 優しげな声とは裏腹に、歌う姿は闘志を剥き出しにしている様子だ。 潤の凛とした姿に、観客も一気に引き寄せられた。 穏やかで訥朴な雰囲気の中に秘められた靭気と艶気も潤の魅力でもあり、唯一無二の引力の強さも備えられていた。 そして「夢の翼」も歌われた。 碧が幼い頃から親しみ、人生の指針となった歌を、口パクで一緒に歌う。 時折、声に出して歌いそうになるのをなんとか堪える。 碧もこんな風になりたいと思うと同時に、潤に対して今迄の憧れとは違う、ある感情が芽生えた瞬間ーー 碧は苦しくなり、胸を押さえる。 「大丈夫か?碧?」 碧の異変に気づいた剛毅は気遣いの言葉をかける。 「剛毅さん、ごめん、大丈夫だよ…」 碧はそれだけを言うのがやっとだった。 体調不良とは違う苦しさ。 それが何なのかがわからない。 碧はライブが終わってからも、ライブのとは違う、どこか高揚した気持ちがずっと残っていた。  ライブ終了後、碧は潤に意を決して会いに行く。 この感情が何なのかがわからないけど… 潤に逢いたい気持ちが、時間が経つにつれ強くなってくる。 そして、ライブ終了後、誰にも気づかれることなく、お互いを見つけたーー それは潤も同じで、碧を無我夢中で探していたのだ。 まるで、繋いだ手を離さない為に。 「潤さん…」 碧は自分で発した言葉に驚いた。 確かライブ前は「雨音さん」と呼んでいたはずなのに、つい馴れ馴れしく… 「ご、ごめんなさ…」 言い終わらないうちに、潤は碧の右手に何かを入れ、微笑んでその場を去った。 碧は潤の手の一瞬の温もりに、鼓動が高鳴り、すぐに癒される気がした。 碧は我に帰り、潤が渡したものを見つめて更に驚く。 それは、潤自身の電話番号とメールアドレス、そして未来をつなぐメッセージもあった。 やや達筆で丁寧な字で綴られている。 空羽 碧 様 今日はありがとう。お疲れ様。 ただただ、素晴らしかった。 俺は喋れないけど、 君とLINEかメールで続きを話したい。 俺の連絡先。 君が良かったら、連絡してほしい。 返事は遅くなる事はあるけど、必ずするから。 これからも頑張って。            雨音 潤 これは宝物だーー 大切にしたい… 碧は潤の手紙を無くさないよう、楽屋に帰りショルダーバッグの底に入れ、大事に持ち帰った。
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