白菜と休日

1/1
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

白菜と休日

〈材料付、教則DVD付、すぐ始められるそば打ちセット〉 十一月の日曜日の午後、リビングのソファに座って僕は、今届いたばかりの段ボールを見てワクワクしていた。 家で自分の打ったそばが食べられる。楽しみ。 そこに、ぶるるるう、と原付バイクのエンジン音が聞こえ、僕は思わず段ボールをソファの裏に隠した。 妻の順子が市民農園から帰ってきたのだった。 「ただいま」 「おかえり」 つなぎを着た順子は両手にコンビニ袋を提げている。 中身は野菜だ。 「ゆかりは?」 「友達の家で勉強するんだって。出かけた」 「受験勉強なんて人とできるもんなのかね」 「いいじゃんか。友達との交流も含めて受験勉強。中学生活だってあと少ししかないしさ」 順子は「ふふ」と小さく笑い、コンビニ袋を左右の手から床に下ろすと、片方の袋から立派な白菜を抱えて僕に見せたのだった。 「どう?」 「すごい。ずっしり重そう。きれいな白菜」 「私が本気出せばこんなもんだよ。シャワー浴びてくるね」 順子は着替えを持って風呂場に向かい、僕は野菜を冷蔵庫にしまうべく、ソファを立った。 人参、ブロッコリー、春菊、ほうれん草。 どれも出来のいい野菜を野菜庫に。 白菜は大きくてちょっと入らない。 僕はしみじみ虫食いのないその見事な白菜を眺めた。 そもそも去年、市民農園の抽選に当たって、畑を始めたのは僕だったのだ。 農具を買い、本を買って勉強して、僕は休みの度に勇んで農園へ行き、畑仕事にいそしんだ。 しかし、物事はそううまくはいかない。 去年の春から夏にかけ、僕の農園では殆ど何も収穫できず、秋には白菜が全滅した。そして、今年も春から殆ど何も収穫できないことに、順子がついに業を煮やしたのだった。 この夏から彼女が僕の代わりに畑をやるようになり、その途端、この収量を得ることができたのだ。 「さっぱりした」 そう言いながら順子が部屋に戻ってきた。 もうシャワーから出たのか、早いな。 ジャージに着替えた順子は、頭をバスタオルで拭き、僕が入れた麦茶を飲むとソファに倒れこんだ。 「白菜はさ、ちゃんと防虫ネットをかけた上で、虫のチェックをしないと。俊一さん、ネットもかけなかったでしょ。蝶の幼虫、蛾の幼虫、いろんなものがつくんだ。私、朝早く行って毎日、虫を捕殺してたからね」 「そうだな。でもね」 「白菜は特に、柔らかくて肉厚でおいしいんだよ。虫にとっても御馳走」 「でもさ、虫にも少しぐらいはさ」 「そんなこと言って畑をやろうとする。でも、去年みたいに白菜、全部白骨化させちゃったら意味ないでしょ。虫の餌を栽培してるわけじゃないんだから」 言ってることはわかるよ。 「俊一さんさ。これは遊びなんだって言ってるけどね」 「遊びだよ。楽しみとしてやってる」 「でも、遊びだって真剣じゃないと面白くないでしょ。野球とかサッカーとか、あんなに熱くなるのは、遊びでも真剣にやってるからだよ」 「知ってる」 「あの戦艦のプラモだってさ」 順子はテレビラックの上に飾ってある全長60センチの戦艦大和を指さした。これは僕が買って途中で投げ出し、順子が完成させたものだった。 「あのパステル画だって」 戦艦大和の上には、やっぱり順子が描いた果物と瓶が並んだ絵が貼ってある。これも僕が通信教育で始めて途中で投げ出したものだった。 「ちゃんとやろうよ。勿体ないよ」 順子。言いづらいけどさ、僕、そんなにちゃんとやりたくないんだよ。 公認会計士としての毎日の仕事。 決して間違えも投げ出してもいけない業務の日常の中で、休みの日ぐらい僕は間違えてもいいことをしたい。途中で投げ出してもいいことをしたい。 「順子。遊びには二種類ある」 「ん?」 「ビルはきっちり設計すると地震の時にぽっきり折れる。でも、揺れるとたわむような構造にしてあると折れない。そういうの遊びって言うよね」 「あ。ああ」 「僕は折れたくないから」 「わかった。理解した」 僕はソファの裏に隠したそば打ちセットの段ボールを取り出した。 「わ。また買ったんだ」 「うん。そば打ちやるよ。手作りそば作る」 「いつでもバトンタッチするから、心置きなく」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!