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白菜と休日
〈材料付、教則DVD付、すぐ始められるそば打ちセット〉
十一月の日曜日の午後、リビングのソファに座って僕は、今届いたばかりの段ボールを見てワクワクしていた。
家で自分の打ったそばが食べられる。楽しみ。
そこに、ぶるるるう、と原付バイクのエンジン音が聞こえ、僕は思わず段ボールをソファの裏に隠した。
妻の順子が市民農園から帰ってきたのだった。
「ただいま」
「おかえり」
つなぎを着た順子は両手にコンビニ袋を提げている。
中身は野菜だ。
「ゆかりは?」
「友達の家で勉強するんだって。出かけた」
「受験勉強なんて人とできるもんなのかね」
「いいじゃんか。友達との交流も含めて受験勉強。中学生活だってあと少ししかないしさ」
順子は「ふふ」と小さく笑い、コンビニ袋を左右の手から床に下ろすと、片方の袋から立派な白菜を抱えて僕に見せたのだった。
「どう?」
「すごい。ずっしり重そう。きれいな白菜」
「私が本気出せばこんなもんだよ。シャワー浴びてくるね」
順子は着替えを持って風呂場に向かい、僕は野菜を冷蔵庫にしまうべく、ソファを立った。
人参、ブロッコリー、春菊、ほうれん草。
どれも出来のいい野菜を野菜庫に。
白菜は大きくてちょっと入らない。
僕はしみじみ虫食いのないその見事な白菜を眺めた。
そもそも去年、市民農園の抽選に当たって、畑を始めたのは僕だったのだ。
農具を買い、本を買って勉強して、僕は休みの度に勇んで農園へ行き、畑仕事にいそしんだ。
しかし、物事はそううまくはいかない。
去年の春から夏にかけ、僕の農園では殆ど何も収穫できず、秋には白菜が全滅した。そして、今年も春から殆ど何も収穫できないことに、順子がついに業を煮やしたのだった。
この夏から彼女が僕の代わりに畑をやるようになり、その途端、この収量を得ることができたのだ。
「さっぱりした」
そう言いながら順子が部屋に戻ってきた。
もうシャワーから出たのか、早いな。
ジャージに着替えた順子は、頭をバスタオルで拭き、僕が入れた麦茶を飲むとソファに倒れこんだ。
「白菜はさ、ちゃんと防虫ネットをかけた上で、虫のチェックをしないと。俊一さん、ネットもかけなかったでしょ。蝶の幼虫、蛾の幼虫、いろんなものがつくんだ。私、朝早く行って毎日、虫を捕殺してたからね」
「そうだな。でもね」
「白菜は特に、柔らかくて肉厚でおいしいんだよ。虫にとっても御馳走」
「でもさ、虫にも少しぐらいはさ」
「そんなこと言って畑をやろうとする。でも、去年みたいに白菜、全部白骨化させちゃったら意味ないでしょ。虫の餌を栽培してるわけじゃないんだから」
言ってることはわかるよ。
「俊一さんさ。これは遊びなんだって言ってるけどね」
「遊びだよ。楽しみとしてやってる」
「でも、遊びだって真剣じゃないと面白くないでしょ。野球とかサッカーとか、あんなに熱くなるのは、遊びでも真剣にやってるからだよ」
「知ってる」
「あの戦艦のプラモだってさ」
順子はテレビラックの上に飾ってある全長60センチの戦艦大和を指さした。これは僕が買って途中で投げ出し、順子が完成させたものだった。
「あのパステル画だって」
戦艦大和の上には、やっぱり順子が描いた果物と瓶が並んだ絵が貼ってある。これも僕が通信教育で始めて途中で投げ出したものだった。
「ちゃんとやろうよ。勿体ないよ」
順子。言いづらいけどさ、僕、そんなにちゃんとやりたくないんだよ。
公認会計士としての毎日の仕事。
決して間違えも投げ出してもいけない業務の日常の中で、休みの日ぐらい僕は間違えてもいいことをしたい。途中で投げ出してもいいことをしたい。
「順子。遊びには二種類ある」
「ん?」
「ビルはきっちり設計すると地震の時にぽっきり折れる。でも、揺れるとたわむような構造にしてあると折れない。そういうの遊びって言うよね」
「あ。ああ」
「僕は折れたくないから」
「わかった。理解した」
僕はソファの裏に隠したそば打ちセットの段ボールを取り出した。
「わ。また買ったんだ」
「うん。そば打ちやるよ。手作りそば作る」
「いつでもバトンタッチするから、心置きなく」
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