お母さんといっしょにいたい

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お母さんといっしょにいたい

 屋敷に戻り、足の手当てが済んだユウナギは、兄トバリの執務室にいた。  心細い時、悔しい時は、心を穏やかにするために彼が必要なのだ。  何を話すでもなく、ただ隣にいるだけでいいので、トバリは書写をしていた。  そこにコツバメがやってくる。 「落ち着いたか?」 「ええ。今日はあなたのおかげで助かった。でも、どうして」 「おぬしがあの者とあの場にいるとなぜ分かったか? それとも、あの女がおぬしを狙う者だとなぜ分かったか?」 「両方」  コツバメは、仕方ない話してやろうといった顔。 「もし、おぬしを狙う者が兄者の言っておった国からの間者だとしたら……やはり侍女に紛れるのだろうと思った」 「確かに怪しい男が私の周りをうろついたら、即、串刺しにしかねない人がそばにいるわ」 「なので、試しにやってみようと……虎と狼の布を用意し、侍女全員あの箱に座らせるよう誘導した」  あの遊戯の予行に侍女を使おうと言ったのは、そういえば彼女だった。 「正直それほど期待はしておらなんだが、意外と分かりやすくてな。あの女……狼の箱に座ろうとして不自然だったのじゃ。どうしても虎を尻で踏んづけるわけにはいかなかったんじゃろうな」 「もし彼女がすぐに敗退していたら……?」  コツバメはユウナギの顔を下から覗き込んだ。  人とはたいてい負けず嫌いなものじゃ。遊びであってもな。と前置きし。 「奴は最後の方まで残っていたじゃろ? なんでか分かるか? 多少調節して周っていたようだし、箱と箱の間に立っていても迷いが生じないから早く動けたのじゃ」 「なるほど」 「そして箱が少なくなった時、狼に座れず立ちぼうけておってのう。こうなれば、分かる者には分かる」  さらにその後の行動を述べる。 「予行の後、奴はコソコソとこの敷地を出た。敷地内では注意深くしておったが、出た後は林へ一直線に駆けて行きよった。私も林の入口までは追ったが、わざわざ危険を冒して入らなくても、何か企てていることは分かったので、戻って兄者に見張りを用意しておくよう言っておいた」 「ナツヒじゃなくて兄様?」 「弟は話したらその場で殺してしまうやもと思うてな」  本人が耳にしたら、そこまで直情型じゃねえよ! って怒りそうだなぁと、思い浮かべた。 「あの侍女は1年以上前からここで働いていたはず……」  ユウナギは悲しくなった。 「昨日今日始まった戦ではないということじゃ。これから本格化するかもしれぬ。じゃがとりあえず、もうよそ者の気配は感じられぬ。安心せよ」 「私の力不足です」  静かに書写を続けていたトバリが口を開いた。 「兄様のせいじゃないわ」 「ならば、私は兄者と約束したとおり、家に帰るのじゃ」 「え?」 「布を用意した時、これが上手くいったら私を家に帰せと兄者に話した。承知したよの?」 「ええ。明朝、馬車を用意しましょう」 「ちょっと待って。帰ったら……」  コツバメはその小さな手をユウナギの口に当てて、言葉を遮った。 「私も母上のそばにいたいのじゃ」  微笑んでいるのに寂しげな彼女の表情。それは今日あの親子たちを、手を振って見送っていた時と同じものだと気付く。 「……何かあったら必ず私に連絡して。今後は何も偽らないで。そして時々ここに遊びに来て! 約束してくれるなら……」  しぶしぶ、といった顔で少女を見つめた。 「もちろん」  年相応の、可愛らしい笑顔を返された。  明朝まだ薄暗い頃、ユウナギとナツヒに見送られ少女は(むら)に帰っていった。  馬車に乗り込む時、 「ちょいと耳を貸せ」 と言い、彼女はユウナギにこそこそと何やらを話した。
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