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表編 春香視点 婚約破棄
「あー……悪い。セカンドは春香の方なんだわ。オレの本命は、こっち。だから――オレと別れてくれ」
仕事を終えて、くたくたになってアパートのドアを開けたら、五年付き合って、結婚の約束までした恋人が、女を連れ込んでいた。
「嘘でしょ……」
早乙女春香{さおとめ・はるか}は持っていた買い物袋をどさりと落とした。衝撃で生卵が無残に割れ、黄身がどろりと流れている。
春香はショックで指先が冷たくなっていく。今夜は恋人が好きなオムライスを作る予定だったのだ。
(巧{たくみ}くんが浮気していたなんて……)
――全然気がつかなかった……。え、いつから? 私……裏切られていたの?
彼氏である毒島巧{ぶすじま・たくみ}はバツが悪そうな顔をして、ぼさぼさの髪を掻いた。その目は下を向いていて、春香と視線を合わせようとしない。狭いアパートのベッドで、上半身裸の男女は、明らかに行為の最中といった雰囲気で、言い逃れは出来そうになかった。相手の女は初めて見る顔だ。
「し、信じてたのに……巧くんの、こと……」
春香の大きな瞳にみるみる涙が溜まっていく。
巧とは、同じ、星空{ほしぞら}銀行隅町{すみまち}支店に勤めていた。
同年入行の彼は春香と同い年の二十七歳で、初めて出来た彼氏だった。春香から好きになって、だめで元で告白したら、運良くオッケーしてもらえたのだ。「暇だから」という寂しい理由だったけれど、でも春香はそれでも良かったし、初めての恋人だったので、舞い上がっていた。付き合っているうちに少しずつ情が湧き、いずれ好きになってもらえるに違いないと、楽天的に考えていたのだ。
(でも浮気された……)
交際は順調だと思っていたのに、どこで間違えたのだろう。
巧は顔がよく、社交的で、ノリも軽い方だ。女友達も多く、自由を愛している。
だから春香は必要以上に束縛しないよう気をつけていたつもりなのに、こんな結末になるなんて、想像していなかった。
(酷い、ひどいよ)
――私はこんなに好きだったのに……。
「ど、どうして? 私の何が悪かったの……? 良くないところがあるなら、直すから。お願い、教えて」
「えー……。だって春香、ヤらせてくれないんだもん」
溜息をついて、巧が言った。
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