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「陛下、恐れながら申し上げます」
「オスカー、なんだ? 申してみよ」
私がへたりこんだままオスカーさんを見上げると、彼はチラリと私を見て、小さく頷く。まるで、心配するなとでもいうように。
威圧感のある人だけど、この人はきっと騎士道精神に溢れた人なんだろう。
期待を込めて見守っていると、オスカーさんは王様に向かって一礼し、言葉を発した。
「この者は、アマルフィア王国に召喚されたばかりで、この国のことを何一つ知りません。そういった状況で、いくら住まいや生活費を与えたところで途方に暮れましょう」
「うむ。では、どうする?」
オスカーさんは、驚くべきことを言ってのけた。
「この国に慣れ、一人で生活できるようになるまで、ジュール家で預からせていただきたく存じます」
ジュール家? もしかして、オスカーさんの家!?
「ほう。ジュール公爵家で面倒を見るというなら、異論はない。好きにするがよい」
「はっ」
オスカーさんは王様に深々を礼をし、私を振り返る。
「君は当面の間、我が家で面倒を見よう」
「えっと……」
私を召喚したフィルさんが責任を放棄したというのに、この人は面倒を見るというのだろうか。ちょっと面倒見がよすぎない?
オスカーさんの申し出はとてもありがたいけれど、でもそれより!
「あの、元の世界に帰していただくのが一番ありがたいんですけど……」
好意を無にするようで申し訳ないと思いつつもそう言うと、オスカーさんは非情な一言を放った。
「君を元の世界に帰すことはできない」
「え……?」
待って。元の世界に帰せないって、どういうこと!?
「だって、この世界に召喚できたなら、元に戻すことだって可能なはず……!」
オスカーさんは、静かに首を横に振る。
「異世界から聖女を召喚できるのは、最上位魔法師のフィルだけだ。彼の力をもってしても、元の世界に帰すことは不可能」
「そんな……」
勝手に召喚しておいて「間違いでしたごめんなさい、元の世界には帰せません」だとぅ!?
「そんな! 困りますっ!」
「だから、王家から住まいと金銭を与えられたんだ。だが、君はこの国のことを全く知らないだろう? それでうちで預かって、一人でも生活できるよう……」
「困ります! ……嫌だ。元の世界に帰して」
オスカーさんが困ったように眉を下げている。
どうしてあなたがそんな顔をするの? 困っているのは私だ。泣きたいくらい困っているのは私なのだ。
帰せないというのに帰せという私は、彼らからすると駄々っ子のようなものだろう。でも、いきなり知らない世界に連れてこられたこっちの身にもなってほしい。
怖い。怖いよ。
「早く、目覚まし鳴って」
「アオ」
「これは夢だから! 早く目覚めなきゃ!」
ボロボロと涙が零れる。
立ち上がれない。力が入らない。目の前がぼやけて何も見えない。さっきまで聞こえていたたくさんの人のざわめきも、今はもう聞こえない。
私は聖女じゃなかった。召喚は失敗だった。
興味を失った人たちは皆、すでにここからいなくなっているのだろう。
「私は聖女なんかじゃない。でもそれは、私のせいじゃない……!」
「あぁ、そうだ」
これまでよりもほんの少し柔らかい声がした後、私の身体がふわりと浮く。
「きゃあっ!」
「アオのせいではない。召喚したことも、元の世界に帰せないことも、全てこちらの都合であり責任だ。だから、君がこちらの世界で新しい人生を歩めるよう、俺が精一杯支える」
私はオスカーさんに抱き上げられていた。所謂、お姫様抱っこだ。
これが現実の世界なら、恥ずかしくて暴れただろう。でも、今の私にそんな気力は残っていなかった。
重いだろうけど、知らない。私はもう一歩も動けないのだ。どこへでも連れて行けばいい。
オスカーさんは、そのままゆっくりと歩いていく。
私を抱えているというのに、その足取りはしっかりしていて、少しのふらつきもない。
「ジュール家は君を歓迎する」
「……突然、得体の知れない人間を連れて帰って、歓迎なんて」
「判定石は否と出たが、君は確かに闇雨をやませた。この国の英雄と言ってもいい。歓迎しないわけがない」
ヤミサメをやませた? 私が?
よくわからないけれど、考えることにも疲れてしまった。
そっと目を閉じると、オスカーさんの低い声が耳元で聞こえた。
「家に着くまで眠るといい」
オスカーさんが一歩を踏み出すごとに、僅かに揺れる。
その揺れが心地よくて、私は現実逃避するかのように深い眠りに誘われていった。
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