根っこ

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 私は日記が並んでいる棚へ近づいた。いけないことだとは承知していたが、私は一番手前の一冊を手にとり、答え合わせをするような気持ちでページをめくった。  今日は調子がいいので、久しぶりに日記を書こうと思います。  最近は体調が悪く、唯一の取柄だった家事もろくにできません。  そんな私に、夫はいつも不器用ながら手料理を振舞ってくれます。  いろんなお世話もしてくれます。  ありがとう。  庭へ出て、桜の木にジョウロで水をやりました。  元気になあれ。そう思いながら水をやりました。  そんな必要はないのに。  なぜだか無性にそうしたかったのです。  ごめんなさい。  うちの庭には一本の桜の木がある。結婚して半年ほど経ったころ、私が知り合いからもらってきた苗木が成長したものだ。当時は私の腰くらいまでしかなかったのに、今では立派に成長し、二階建ての我が家と同じくらいの高さにまでなっていた。ここまで大きくなってしまえば、病気や虫にやられない限り勝手に生き続けるだろう。その日、今日は気分がいいからと縁側から庭へ降りた妻の姿を懐かしみながら、私はそう思った。    夫が定年退職し、家で一緒にいる時間が増えました。  家にいると鬱陶しいとか、気を使うとか、そういう感情が生まれるものかと思っていましたが、何も思いません。  気付けばどちらからともなく隣に座って思い思いの時間の過ごし方をしています。  こんなに広い一軒家なのに、なんで二人でくっついているんでしょうか。  改めて意識してみましたが、特別な感情は湧きません。  定年退職した私は、たっぷりと家での時間を過ごした。もともと仕事が趣味のような私は、家ですることもなくテレビを見て過ごした。そういえば、いつも私が居間でテレビを見ていると、湯呑を二つ持ってきてお茶を入れてくれて、隣に腰かけてきたなあ。あのお茶をもう一度飲むことはできないのだと思うと、寂しくなった。お茶のもつ熱量と妻の体温が一度に奪われたような感覚だった。  妻が書斎で本を読んでいる姿を見たのも、定年退職してからだった。それまでも妻が本をたくさん読んでいるらしいことは知っていたし、書斎にこもっている時間が多いことは知っていた。だが妻は、私の前でその姿を見せなかった。 そのことが、私の中に一抹の不安を抱かせた。  なぜ妻は、私が休みの日には書斎に入らないのだろう。もっと自分の時間を自由に使えばいいのに。思えば、私は妻のことをどれくらい知っているだろう。  義父が亡くなりました。  父、義母、母に続いて4回目の葬儀。  何回やっても慣れません。  病院とのやり取りも、葬儀屋とのやり取りも保険屋もお坊さんも。  親戚や知り合いの連絡先を調べて、伝えて、香典をいくらもらったとかも管理して。  バタバタしてるうちに時間とお金が消えていく感覚です。  改めて思い返すとそんな気がします。  特に義父は会社の社長だったので、連絡する相手が多くて弱りました。  少し茶色くなった名刺の束が出てきたときは、見なかったことにして抽斗に戻してしまいました。  私が死んだら、どれくらいの人が来てくれるでしょうか。  夫はうまく立ち回れるでしょうか。  仕事しかしたことがない人だし、無理だろうなあ。  今のうちに段取りと連絡先をまとめておかないと。  仕事しかしたことがない人。そんな風に思っていたのか。当然だろうな……。  書斎の静けさが胸に響いた。
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