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11 パンッと両手を顔の前で打ち、佐野はクルンと回り、宝井に向き直った。 「そうそう!今日はね、新人研修入れろって上から言われて来たの。」 「今日?」 「今日!」 宝井は頬杖をついた歪んだ顔の眉間に皺を寄せた。 「早くねぇか?まだ商品説明が半分と…文也、昨日この資料までだな?」 「はい…あと、後半の数枚ですね」 宝井は文也の言葉に資料をペラペラとめくった。 「まぁ…これくらいなら詰め込むか…お前たちかなり優秀そうだしな」 文也は宝井のニヤリと笑った笑顔を見てカチャッと眼鏡を指先で押し上げた。 宝井のスパルタが始まったせいだ。 例年、この勢いで新入社員を追い込み、脱落者が出る。本人曰く、最初から甘いのが当たり前だとかえって後がキツくなるもんだ、というのが持論らしい。 さぁて、詰め込まれる知識と、やらなければならない仕事をこれからこなしていけるかな?と言わんばかりの鋭い目が二人の新人に向けられる。 「じゃ、私は先行くわね。二人とも準備が出来たら高橋くんと5階実習フロアに来て。高橋くん、宜しくぅ〜」 佐野は文也にヒラヒラ手を振り、やっぱりまだ二日酔いが残る気怠げな足取りのまま営業課を立ち去った。 「文也ちょっといいか」 宝井が文也を呼ぶ。 席を立ち、宝井の元へ行く文也を藍はジッと見ていた。 ガンガンする頭は確かに憂鬱な一日の始まりを知らせるが、文也の背中を眺めているだけで、どこか癒されるような気になる。 「おい…おいっ…榎木っ!」 「えっ?あっ何??」 「ボーッとしてないでさっさと準備しろよ」 関に指摘され、藍は自分がまだ鞄さえ片付けていない事に気づいた。 「あっあぁ!ありがとう」 慌てて机を片し、資料を手に文也を待つ。 文也は宝井からの指示を受けて一日の流れを把握した後、二人に向き直り笑顔を向けた。 「おはよう、二人とも。」 「「おはようございます!」」 「では、今から昨日も紹介した5階実習フロアに行くから…あぁ…ジャケットは置いて行こうか」 「「はい」」 二人はジャケットを脱ぎ、デスクの椅子にかけた。 文也も同じようにジャケットを置いて歩き出す。 後ろから歩いてついていく藍は、ワイシャツ姿の文也を見つめながら微笑んだ。 上背はあるのに、本当に華奢だな…抱きしめたら折れそう… 藍がそんな風に朝から熱烈な視線を向けていたせいか隣を歩く関が「ヴンっ!」と咳払いした。 「関くん大丈夫?」 文也がその咳払いで振り返る。 顔の緩んでいた藍は拳を口元に当てて視線を逸らせた。 「あぁ…大丈夫っス」 「そっか。…藍くん?まだ顔、赤いね…佐野、酒強いから…ごめんねぇ、初日から無理させて」 歩きながら昨日の飲み会の話をする文也。正直なところ、自分も酔い潰れた姿を見せているし、この話題を引っ張るのも考えものだと小さく溜息をついた。 「大丈夫ですっ…あのっ昨日、高橋さんは大丈夫でしたか?」 文也は立ち止まり藍を振り返った。 「あぁ…僕は関くんがタクシーで送ってくれたから大丈夫だったよ。関くん、あれからちゃんと帰れた?」 「はい、問題なく。昨日はありがとうございました」 「良いよ。気にしないで。」 その会話を聞きながら藍はムッと関を睨んだ。 エレベーターに乗り込んでから、トンと軽く肩を当て、関を振り向かす。 「何だよ」 藍は文也の背中を見つめてから関に視線を移し小声で呟いた。 「何?昨日はありがとうございましたって…」 関は眉根を上げ「はぁ?」と言ってから少し考え、ニヤリと笑った。 「な〜いしょ」 「ちょっ!関っ!」 「どうかした?」 背中で煩い二人を振り返る文也は首を傾げた。 関が一番に「何でもありません」と返事をして、ドンと藍の脇腹を肘で突いた。 タイミングよくエレベーターが開き、5階フロアに出る。 昨日社内案内で見た、一番美容室に近い作りの場所だ。壁伝いにシャンプー代が10台並んでいる。 反対側の壁側にはセット面とチェアがセットでずらり。 キッチンのようなステンレスの台がある場所にはカラー剤やシャンプー、パーマ液やトリートメントそれこそ実験スペースのように商材が並ぶ。 ディーラーである以上知らないは通らない。しかし、膨大な量の商材を前に二人はゴクリと喉を鳴らし震えた。 「緊張してる?」 ハハッと二人の表情を察知した文也が笑った。 「大丈夫だよ。今日はね、主力商品の体感。シャンプーとかぁ…あと、カラー剤が新しく上がって来たらしいから、もしかしたら実験されるかもだけど怖い事ないから」 新人二人はそれを聞いて脱力する。まさかここにある物全ての把握かと戦慄が走っていたからだ。 そこへ佐野が白衣姿で現れた。155センチと小柄な彼女はカツカツと高めのヒールを鳴らして近づいてくる。 「いらっしゃい」 「宜しく頼むよ」 文也が佐野に挨拶すると、佐野が出てきた方向から種類の異なる派手な女子が三人現れた。 「高橋さぁ〜ん!久しぶり!元気でしたっ?」 「やだぁ〜!今年豊作じゃん」 「めちゃくちゃイケメンだわっ!」 次々と男三人を取り囲みながら好き勝手喋り出す女子達。 三人は背中を寄せ合い団子にされながら詰めよられる。 「げ、元気です!元気!綾瀬さんも相変わらずお綺麗で」 文也は一番化粧が濃い女性に愛想笑いした。 「やっだぁ〜っ!高橋さんたら正直なんだからぁ〜っ!」 バシッと腕を叩かれてハハッと引き攣り笑いが溢れる。 パンパン! 手を打つ音がして、佐野が喋り始めた。 「はぁ〜い!雑談はその辺りにして、綾瀬は高橋くんお願い。南ちゃんは藍くんね!え〜っと」 佐野は人差し指を唇に当てて関を見つめた。 「あ、関です。」 「ごめん!酔ってて名前うろ覚えだった!そうだそうだ!クールビューティー関だ!」 「…なんスか?それ…」 「アハハ、あだ名?みたいな?まぁ、良いじゃない!クールビューティー関は鮎川ちゃんで!さっ!始めようか!」 「ちょ、待って!僕も?」 「上着脱いでるし、ついでだから」 佐野はニッと笑い、親指を突き出した。 「上着は実習フロアに上がる時は邪魔になるからだよっ!僕は」 「営業はビシッとしてないとダメでしょ!ほらっ高橋くんカラー伸びてるよ!綾瀬ちゃん頼んだねぇ〜」 佐野はそう言い残しフロアを出て行った。
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