781人が本棚に入れています
本棚に追加
24
24
四人はビルから出て、歩道を歩き角を曲がった。宝井が説明した通りの場所に古い建物が見える。
屋号が入った釣り行灯や暖簾、店舗の外壁は相当な老舗感を醸し出していて、蕎麦屋といえど決して安そうには見えない。
「ここの蕎麦は美味いからハマるぞ」
暖簾に手をかけた宝井が大人の顔で微笑んだ。
藍はその格好良さにキュッと唇を結ぶ。
自分だって相当に大人のつもりでいたが、こんな風に美味い店をエスコート出来るかと言えば違う気がした。文也が当たり前のようにピッタリ後ろに寄り添ってみえるのがまた堪らない敗北感だった。
席を案内されると、宝井の隣に文也が座り、文也の向かいに藍が座って、藍の隣には関が腰を下ろした。
藍は分かりやすく向かいに座る文也に熱い視線を注いでしまう。
宝井はやり手の営業マンなので周りを把握するのはお手のものだ。
「おい榎木、高橋に何か付いてるか?そんな目で見てたら穴が空くぞ」
藍は真っ赤になり慌てた。
「すっ!すみません!こないだ染めたカラーが良く似合ってるなぁって!高橋さんっ!すみません!」
「おー勉強熱心なこった。確かに、今回のカラーは発色がなぁ〜、これは売れるぞ」
宝井は簡単に隣に座る文也の髪を躊躇なく摘んだ。
「あっ」
藍が妙な声を出す。
関は我慢出来ずにククッと笑った。
関には藍の気持ちが筒抜けだからだ。
「?どうした?」
宝井が変な顔で首を傾げる。
「いや、何でもっ…何でもありません」
シュンと俯く藍を見て、向かいに座る文也は本当に犬みたいだと苦笑いした。
そこからは、楽しく昼食…なはずだったのだが、藍は宝井の文也に対する過剰なコミュニケーションにいちいち反応する事となり随分疲れ果てていた。
「ハァー美味かった!おまえら腹いっぱいになったか?」
宝井がスタイルは良い癖に親父くさく腹をさすりながら新人二人を見渡した。
「はいっ!めちゃくちゃ美味かったです!」
「美味かったっス。」
「よしよし!そうだろう!また来よう!」
「「はいっ!」」
二人の返事を聞いて、文也が席を立った。
「失礼、お手洗い」
そう言って背を向けた文也の少し後を藍も追いかけた。
手を洗っていた文也を見つけ藍はそっと近づいた。
「あ、藍くん」
「高橋さん、美味かったですね」
「うん、ここはね、夜とかは高いんだよ、昼が安いわけでも無いんだけどね。凄く有名だから、本当に美味いよ。」
「はい!こういう敷居が高そうなお店、初めてです。」
「うん、これから少しずつ覚えて行くよ。まだ社会人一年目だもんな」
「…また子供扱いする」
藍はスッと手を伸ばして文也の髪に触れた。
「藍くんっ…ひ、人が来るよ」
「宝井課長ばっか狡いです。あんなに簡単に触らせて…」
「ず、狡いって…そんな」
真っ赤になる文也を見て、藍は少しだけ満足だった。
自分は少なからず、触れれば赤面する程度には意識されているんだと確認出来たからだ。
「…高橋さん…好きだよ」
文也はまっすぐ見つめてくる藍から視線を逸らし、自分の革靴を見つめながら、唇を噛んだ。
「君は…僕を揶揄ってるわけじゃないのか?」
「まさか…7年越しの片思いですよ?冗談でもそんな事言わないで下さい」
残念そうに呟く藍に慌てて顔を上げた文也は思わず彼の腕に手をかけてしまい。
「ちっ!違うんだ…ごめん。ただ、こんなおじさんの何が良いんだか…って…」
「俺の目の前におじさんなんていませんけど?」
いつも温厚で優しい眼差しの藍の瞳は鋭く輝き、壁に追いやられていた文也はどうしたらいいのか分からなく強く目を閉じた。
すると、カチャッと眼鏡が押し上げられ鼻パッドの部分が音を立てる。
ビクッと体がすくんで、ゆっくり目を開くと、藍は愛おしそうな顔をしながら文也の眼鏡を軽く押し上げ、それを眺めていた。
「…藍くん?」
「あぁ…すみません…この、眼鏡を押し上げた時の音…高橋さんが初めて俺にキスしてくれた時に…つい思い出しちゃうんです…ドキドキもしますし、… 振られて辛かった苦い思いも…全部思い出すんです」
文也は藍を見上げた。
「…僕も…覚えてる。…あんな事…多感な年頃の君にすべきじゃなかったよね…」
「よしてください…後悔してるみたいに言って欲しくない…俺の…大切な思い出なんです」
藍が唇をキュッと結ぶもんだから、文也はいたたまれなくなりまた俯いてしまった。
「…ごめんなさい…困らすつもりは…先に戻っててください。俺、お手洗い済ましてから戻りますね」
ニッコリ笑う藍に、文也は小さく頷きトイレを後にした。
最初のコメントを投稿しよう!