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33 その頃の文也はトイレの個室で蹲っていた。 蓋をしたままの便座に座り大きなため息を吐いていた。 前々から聖には困っていたのだが、宝井が世話を焼いてくれていたおかげで笑い話程度で済んでいた。ボディータッチが多いのは諦めていたし、大の男が腰を引き寄せられたくらいで騒ぐのも恥ずかしい。 そこへまさかの藍が絡んでくる事になるとは…。 文也は眼鏡を外し眉間を摘んだ。 一体何が楽しくてこんなどこにでも居る中年を弄ぶというんだ。 文也は眼鏡をかけ直し、便座から立ち上がった。 そして、手首についたキスマークを撫で、またもう一度ため息を吐いた。 身が持たない… 純粋な感想に胃が引き攣れる気がした。 いつまでも油を売っているわけにもいかないので、文也はスーツの襟を正し、会議室へ向かった。 会議室にはコーヒーのいい香りが立ちこめている。 関と宝井が準備してくれたようで、二人はすでにカップのコーヒーを旨そうに啜っていた。 「おっ戻ったな…って…大丈夫か?文也」 宝井は苦笑いに近い文也の顔色を心配する。 「大丈夫です。あれ?二人は?」 「まだですよ。一緒じゃないんですか?」 関が不思議そうな顔をする。宝井はそこで色々と理解したようで肩を竦めた。 「おまえは資料整理しててくれ。俺が見てくる」 宝井は文也の肩をポンと叩き会議室を出た。 しかし、すぐに二人と鉢合わせすると、会議室に戻ってきた。 「すんませぇん!ちょっと車にハサミ取りに行ってました」 「そうだったんですね。」 「あれ?坂巻さんは?」 聖は会議室を見渡して呟く。 「坂巻さんならインストラクターの女子とお茶しに行きましたよ」 「あっの人はホンッマに自由やな…」 「まぁまぁ、富永さんが居れば説明会は進みますから。お願いしますよ」 宝井はそう言って、トリートメントの説明を続けさせた。 説明会が終わり、文也が申し出たハサミを受け取り、一日が過ぎた。 坂巻は両手に美容インストラクターの女子を連れて時間ピッタリに戻ってくるという神業で聖を呆れさせ、駐車場までの道のりを女の子との自慢話に付き合わせた。 宝井も文也も慣れたものだったが、関と藍はまるで理解出来ず相槌もほどほどだ。 「じゃ、また発注の際は宜しく頼むね!」 上機嫌の坂巻が助手席に乗り込む。 運転席に乗り込む前に、聖は藍を見つめ、「また飲みにでも」と笑った。 「…えぇ、是非」 藍は終始固い表情で、聖はそれを面白がっているようだった。 「ではまた!今日はお邪魔しました!」 朗らかに挨拶をして車に乗り込んだ聖。 車が駐車場を出るまで四人は頭を下げて見送った。 「はぁ〜…ったくあの狸親父め…経費でお茶してんじゃねぇよ」 車が見えなくなった途端に宝井は伸びをしながら悪態をつく。 「でもタイミング的に聖さんが来てくれて助かりました。ハサミ…早く用意してあげたかったから」 文也は去った車の方向をボンヤリ眺めながら呟いた。 「なら良かった。富永さん来ると疲れんだよなぁ〜、おまえももうちょっとガード強めで頼むわぁ」 ボヤくように文也に声をかけ、背中をパンと叩くと、宝井は社屋に戻っていく。 それを追うように小走りで関が宝井を追う。 立体駐車場の暗がりに僅かにスロープの方から夕陽が差し込んでいる。 文也のブラウンの髪がオレンジの光を受けて透き通るようにキラキラ光る。藍は我慢出来ず背後にそっと歩みより、優しく文也を抱きしめた。
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