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「らっしゃいませ〜」
覇気のある歓迎を受け入店する。
歓迎会は藍と関以外にも数名の新人社員が参加しており、居酒屋にしては大きな広間に案内された。
「ではっ!我が社の期待の新星達にっ!かんぱーい!」
宝井が課長らしく祝いの音頭をとり、歓迎会は始まった。
オレンジの照明器具に深い色味のニスが塗られた木の長机。
座布団が等間隔に敷かれ、小皿や割り箸が並んでいる。
新人と新人の間に上司を挟んだ形で座ったもんだから、文也は当たり前のように両サイドに自分の教育担当である藍と関に挟まれていた。関の隣には宝井が胡座をかいてビールジョッキを煽っている。
「遠慮しないで沢山食べて飲むんだよ」
文也は二人にそう言うと、グラスに入ったジントニックを傾けた。
「高橋さん…ビールじゃないんですね」
藍ははにかんだように微笑みながら文也を覗き込んだ。
「ハハ、おじさんなのに苦いビールは未だに苦手なんだ。藍くんは?ビール好き?」
藍の真っ黒な瞳に見つめられて文也は慌てて話題を相手の事にすり替えた。
「俺ですか?俺はまぁ、飲めなくはないですね。大学で散々飲み会があったんで」
文也はへぇ〜と相槌を打ちながら、そりゃこんなにイケメンなんだから合コンや、サークル活動なんかではさぞ引っ張りだこだったんだろうなぁとまた酒の入ったグラスを煽った。
いつもよりピッチが上がっていたのは恐らくそんなやりとりが何度か続いたせいだろう。
1時間もした頃には、いつも潰れたりしない文也はフラフラと舟を漕いでいた。
「おい、文也、大丈夫かよ、何で新人じゃなくお前が潰れてんだ。ったく」
宝井は関の身体の前から身を乗り出し文也のスーツを引っ張る。
「おいっ文也っ!文也っ!」
「課長、俺が沢山喋ったから付き合ってくれて!大丈夫です!俺、見てますから」
藍は文也の頭を抱きしめるように肩に寝かせた。
「そうかぁ?悪りぃなぁ、いつもはシャンとした奴なんだぜ…初日からこっちが緊張してどうすんだか」
豪快に笑う宝井は藍に文也を任せて反対側の新人に向き直ってしまった。
関がチラッと藍の表情を伺う。
ぐっすり気持ち良さそうに寝息を立てる文也の髪に手を置きながら幸せそうな微笑を浮かべている様に見えた。
「なぁ…」
関はそんな藍に声をかけた。
「ん?」
「ぁ…いや…高橋さん…重くないか?後ろに寝かせてもいんじゃねぇの?」
「うん…でも、寒いだろうし、こうしてるとあったかいだろうから…俺なら大丈夫」
関はふぅん…と気のない返事をして、日本酒の入ったお猪口をクイッと傾けた。
「関は…強いの?お酒」
藍はニコッと柔らかな笑顔で空になった関のお猪口に視線をやる。
「あぁ…まぁ…弱くはねぇな。榎木は?」
「俺は人並みかな、もっぱらビールくらいしか飲まないし、日本酒とかカッコイイよね」
藍の言葉にお猪口を持つ手を見下ろし、首を傾げた。
「かっこいい…のか?」
「かっこいいよ!関は雰囲気もカッコいいから、きっと凄くモテるだろうね」
関は文也の頭を肩に寝かせたままの藍を眺めフンと鼻を鳴らした。
「おまえだって十分モテそうじゃん…彼女とか居ないのかよ」
そう言いながら露骨に文也を見てしまう。
二人の関係は聞いた限り、知り合い以上友達未満といった感じだが、どうもそんな雰囲気には見えない。
関の質問に藍は苦笑いして天を仰いだ。
「彼女かぁ…ハハ、俺、結構拗らせてるからそういうのないなぁ」
明るい藍が何だか切なげに笑うもんだから、関は悪い事を聞いた気分になり、徳利に入った酒をお猪口に注ぎ勢いよく飲み干した。
「関は?彼女、居るの?」
プハァッと酒を飲み干したと同時に問いかけられ、キツいアルコールが逆流した関は盛大に咳き込む。
「ッゴホッ!ゴホッ!いっいねぇよっ!」
「え〜勿体無いなぁ〜」
「だからぁ〜、榎木が言うな!」
「何何ィ〜?新人くん達ぃ〜彼女居ないだってぇ〜??聞き捨てならんなぁ〜」
瓶ビールと薄いグラスを両手にした女性がフラフラと近づいてきた。
彼女は文也の同期の佐野浩子(さのひろこ)。年の割に美容業界にいるおかげか肌艶が良かった。髪は肩までのセミロングでいかにも男受けしそうなサラサラストレートの黒髪だ。
「あ、どうも。営業課配属の榎木藍ですっ!」
「同じく営業課の関悠二です。よろしくお願いします」
二人の新人は明らかに絡み酒の佐野を前に若干引き攣っていた。
彼女はペタンと目の前に座り込み、瓶ビールとグラスを前に突き出して二人を睨む。
「ムゥ〜!高橋くんったらっ!両手にイケメンな上に眠りこけるとは何事だっ!!」
プンプンする佐野に藍は文也の頭を一瞥してから「高橋さんは今日俺達の教育で疲れたんだと思います。凄く熱心で…ねぇ、関!」
「へ?あ、あぁ」
「あらぁ〜そぉーなんだぁ〜。さぁっそく良い後輩に恵まれちゃって…羨ましいったらないなぁ〜…君たちっ!高橋くんの事宜しくねっ!この人、こんな綺麗な顔してハイスペックのくせにプライベートガッタガタなんだからぁ〜」
グラスに瓶ビールをガツンとぶつけながらビールを注ぐ佐野。
もう少しで溢れてしまいそうなところを宝井が見かねて止めに来た。
「おい、佐野!新人に絡むなっ!悪いっ!こいつ文也、あ、高橋と同期の佐野浩子!絡み酒で有名だから気をつけて」
「ちょおっと課長っ!!やめてくださいよ〜!人を可哀想な独身女みたいに言うのはぁ〜」
「俺はそこまで言ってねぇわっ!ったくどいつもこいつも」
関が肩を竦めると、藍が肩に寝かせた文也の前髪をそっとよけながら呟いた。
「高橋さん…プライベート、ガタガタなんですか?」
その表情に宝井はゴクッと息を飲んだ。
心底心配そうな藍の表情と、妙な男の色気のせいだろう。
「佐野が言ってんのは女関係の話だよ…随分一人が長いから同期の佐野が世話を焼いてるだけ!片っ端から断ってるけどなぁ、コイツは…」
宝井はそう説明して、苦笑いしてみせた。
「高橋さん…彼女居ないんですね」
藍は何とも言えない顔で呟いた。
「榎木くんて、高橋くんと知り合いか何かなの?ガードカチカチの高橋くんがこんなんなっちゃってんの珍しいよぉ〜」
佐野が眠りこける文也の眉間にグラスをコツンと当てて見せた。
「ぅゔん…」
「アハッ!起きたなっ!高橋くんっ!」
「あれ…佐野…ん?僕…ぅわああっ!ごっ!ごっ!ごめんっ!藍くんっ!!」
文也は自分がもたれかかっていた身体が藍だと気付き飛び起きた。
「大丈夫ですよ。」
大丈夫じゃないよっ!僕は一体何てことをっ!初日だぞっ!歓迎会だぞっ!新人の肩借りて眠るとかっっっ!!!
文也は額を抑えながらフラフラ立ち上がった。
「ご、ごめんね、ちょっとお手洗い」
「大丈夫ですか!高橋さんっ!」
座敷を出ようとする文也に藍が駆け寄る。
「わ、悪かったよ。僕は大丈夫だから、ほら、皆んなと飲んできな」
「…です。」
「え?」
「嫌です。」
藍は文也の腕を掴んでトイレがある細い通路の方へ引っ張った。
「ちょっ!藍くんっ!」
藍はふらつく文也を壁に押さえつけた。
見つめられた瞳の深い黒に自分の赤らんだ情けない顔が映る。
「…高橋さん…覚えてますよね?」
「な、何の事だよ」
フイと視線を逸らす。
「貴方はサラリーマンで…俺も…今日からサラリーマンです」
チラッと藍を見る文也は唇を噛み締めていた。
「もっと大人になって、お互いに良い人が居ない状態で、どこかで出会えたら…その時に、藍くんの気持ちが変わってなかったら、また聞かせてくれない?…高橋さんは…俺にそう言いましたよね?」
「…は、離してくれ」
「…高橋さん…今、彼女居ないんですよね」
文也は上目遣いに藍を睨む。
「…気持ち…変わってません」
「藍くん…」
「好きです。俺、全力でいきますよ」
「なっ…」
フルフルと震える身体には力なんて全く入らず、押さえつけられた腕を振り解けない。
「おーい…何やってんだぁ〜」
座敷の方から宝井がこちらに向かって来た。
パッと手を離した藍は宝井に向けて笑顔で答えた。
「高橋さんが気分悪いって言うもんでちょっと様子を見てました。…高橋さん、もう大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫」
「榎木ぃ〜、おまえ頼りになるなぁ〜、コイツ仕事は出来るんだけど、ちょっと抜けてるとこあるから」
「先輩っ!」
慌てる文也が可愛くて藍はニッコリ微笑んだ。
「大丈夫です!高橋さんの事は俺に任せてください!」
「おー、頼もしいねぇっ!」
宝井はふざけながらトイレに消えて行った。
「藍くん、僕は」
「今ダメでも…俺は諦めませんから…じゃ、俺先に席に戻ってますね」
その広い背中を酔った頭でぼんやり見送る。
「諦めないって…何言ってんだよ」
ズルズルと壁伝いにしゃがみ込み頭を抱えた。
そこへトイレから出て来た宝井が顔を顰めて文也を覗き込む。
「おい…おまえ今日大丈夫か?…何当てられたみたいな顔してんだよ」
宝井の言葉は文也にとって今一番聞きたくないものだった。
「あっ当てられてませんっ!トイレっ!」
文也は勢いよく立ち上がりトイレに入った。
残された宝井は何だか訳が分からず頭を掻きながら首を傾げた。
「アイツなに苛々してんだ?…らしくねぇな」
そう呟いて、座敷に戻った。
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