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会社の人間がほとんど居なくなった居酒屋の前で関は文也を乗せるタクシーを捕まえた。
「どうぞ」
「ありがとう…あ、そうだ。方向が一緒なら乗って行きなよ」
文也はタクシーの座席を空ける。
「…そうですか?じゃ、お言葉に甘えて」
関の心の内は正直なところ興味だった。
藍との適度な雑談のおかげで、文也の情報が断片的に入り、尚更興味をそそったのだ。
年齢が37歳あたり。綺麗な顔をしているせいかまだまだ20代に見えなくもない。
銀縁の眼鏡が神経質そうに映るのに、藍を佐野の元へ送り出す笑顔は温かく、クるものがあった。
関は昔から当たり前のようにモテてきたせいか、恋愛対象に男女の垣根がないに等しい。学生時代は男にもしばしば告白され、興味が湧けば付き合う事もあった。クールに見えて実は根が熱い。探究心の強いタイプだ。
関は藍の様子を一日中観察していたところ、どうやらこの上司に気があるであろう事が薄っすらと確信のないままに感じとれていた。
いや、ダダ漏れだろ、ありゃ…
心で呟き、隣に座る文也に視線をやった。
それに気づいた文也が小首を傾げながら微笑む。
「どうかした?」
「いや…何でもありません」
「そう…疲れただろ?…今日は帰ってゆっくり休まなきゃ」
窓に肘をついて頬杖をつく物憂げな文也の様子に関はドキッとする色気を感じた。
文也はといえばこの初日が相当に衝撃の連続で精神的ダメージが大き過ぎ、余力はゼロに近い状態だ。
「俺、全力でいきますよ」
そんな中、文也は藍の言葉を思い出して、はぁ…っとため息を落とす。
「高橋さん?大丈夫っすか?」
「あっ!ごめんっ!飲み過ぎちゃったみたいだ…普段あまり飲まないから…ダメだね、後輩の前で疲れきってちゃ」
「いえ…ダメとかじゃ…なんかいちいち色っぽいから困るだけです」
「っ?!…せ、関くん?何言って」
「高橋さん…なんかエロいっすよ」
文也は顔色一つ変えず真っ直ぐこちらを見つめるイケメンに声が出なくなっていた。
真っ赤になった顔を俯かせる。
「大人をからかうもんじゃないよ」
「…変な事言いますね。」
「え?」
「俺もちゃんと、大人ですよ。」
色素の薄い瞳がジッと文也を捉えた。
ドキッと心臓が跳ねる。
自分が藍に言った過去の台詞が、また過ぎる。
"もっと大人になって、お互いに良い人が居ない状態で、どこかで出会えたら…その時に、藍くんの気持ちが変わってなかったら、また聞かせてくれない?"
「…気持ち…変わってません」
藍が文也へ返事を返したのでさえ記憶が新し過ぎて混乱気味だ。
そもそも文也はゲイでもなければ過去の恋愛経験でも男とどうにかなった試しがない。相手が同性だという事は考えもしなかった事だ。
4年以上も前に泣きながら告白されたのは、ある意味良い思い出となっていたのに。
「そ、そうだね。子供扱いして悪かったよ。」
「…いえ…俺が軽率でした。高橋さんは、上司ですし…すみません。生意気言って。」
「…気にしてないよ。あ、次の角、曲がったら止めてください」
タクシーが停車して、文也は車を降りる。
ドアに手を掛け、中の関を覗き込み、「送って貰って悪かったね。ありがとう。また明日から頑張ろうね」と声をかけた。
「俺の方こそ!タクシー代まで頂いて…ありがとうございます。また…明日」
「うん。気をつけて。運転手さん、宜しくお願いします」
車体から一歩離れると、ドアが閉まり、また大通りに向けてタクシーは走り出した。
文也はその滲んでいくように見えるテールランプを見つめる。
15歳も年の離れた相手に感情を振り回されるのは体に毒だ。
文也はそう胸の中で吐き捨てて肩をすくめた。
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