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1 アラフォー世代…とでも言うのだろうか。 40歳が近づいてくる毎日とは、恐ろしい程に毎日変わり映えなく、それはまるで夕暮れの静寂のように褪せた現実が横たわる日々だった。 別段変わった事は起こらない高橋文也の前には、いつものバス停があり、そこに排気ガスを撒きながら型の古い乗り慣れたバスが流れ込んで来る。 プシューッとエアー音が大きくなり、折戸が開く。 前から降りて行く人を横目に文也はその古びたバスに乗り込んだ。 最近では一人掛けの席が空いていて、そこに向かってまっしぐらだ。 仕事で疲れた身体は年のせいか、もう吊り革に掴まって酷使出来るほど頑丈ではなかった。 「はぁ…疲れた」 文也は思わず声になって出た本音に手で口を塞いだ。 前の席に座っていたOLっぽい女性が眉間に皺を寄せてチラリと文也を嗜めた。 思わず手で口を塞いだまま、小さくすみませんと会釈してしまう。女性は何もなかったように前を向き、文也はどっと疲れて大きな窓ガラスにコツンと頭を寝かせた。 ガタガタと揺れる振動でいつも掛けている銀縁のメガネが鼻先に向かってズレていく。 それを中指でクイと押し上げ、薄暗くなって来た外をガラス越しに眺めたら、疲労し切った中年男性がボンヤリと景色に混じって影を落とした。 文也はそんな自分の疲労した姿に苦笑いを浮かべながら、いつぞやの記憶に軽く目を閉じた。 春。桜があちこちで満開だった。 真新しい制服を着た、いかにも新入生といった風貌の青年が、隣の席で顔面蒼白だったのを思い出す。彼は定期を忘れ、更には財布さえ持っていなかった。文也はそんな青年に声をかけて、お金を貸したのだ。今思い出しても、色褪せない程に鮮明に思い出せる。 文也は眼鏡を指先で押し上げ、ふふっと小さくほくそ笑んだ。 とても可愛い好青年で、その日からまるですっかり懐いた子犬のように文也と交流を持つようになった。 あの春の日から、二年半が経った頃、文也はその青年から話があると持ちかけられた。 物悲しい落ち葉が舞う夜だった。 青年の名前は榎木藍くん。彼が高校三年生の秋、文也に持ちかけられた話は、告白だった。 バスの揺れが落ち着いて、文也は自分の膝に置いた鞄をギュッと抱え込む。 「君は高校生で、僕はサラリーマンだから…かな」 自分が彼に言い放った言葉を思い出す。 そっと瞼を閉じると、藍くんの顔が浮かんだ。 彼は必死で懸命で、誠実だった。 その時の告白で沢山泣かせてしまって、ハンカチを手渡し、缶コーヒーを渡したっけ…。 あの時、僕は本心であんな事を言ったんだろうか? 文也は小さなため息を吐いて懐かしい記憶にまた目を閉じた。 あれから4年と少しが経ったんだなぁ… 文也はもう一度頼りないため息を吐き出して、いつも降りるバス停で下車した。
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