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看護師からバストバンドを締められた岸田は「うっ……」と唸り声を上げた。胸を圧迫され呼吸がしづらいが、着けると痛みが緩和する。『これで身動きがとれる』そう安堵したのも束の間、原のニヤけ顔が視野に入り『他人事だと思って』と、腹が立ってきた。
あれから原は岸田の痛がり方を尋常じゃないと言って強制的に救急指定病院へ連れて行った。運よく整形外科医の診察を受けることが出来、今こうして処置を受けている。
「家で装着する時は今のように息を吐き切ったところで締めてくださいね」
「はい」
「寝る時は外して構いませんが、痛みが強くなるようだったら緩めにつけてください」
「わかりました」
「巻くときは肌着の上からつけてくださいね。地肌に巻くと皮膚トラブルの原因になるので」
「そうします」
処置を終えた岸田は原と共に会計へ向かった。「ほんと君らしくないよね、玄関で すっころぶなんて」と呆れる恋人に真実を明かせないのは心苦しいが、あの一件は墓場まで持っていくつもり。なので、「心配かけてすみません」と頭を下げた。
「お母さんに申し訳ないことをしましたね。でも、なんと言って帰って来たんですか?」
「『恋人が怪我をした』と正直に。『それは仕方ない』と快く送り出してくれたよ」
勿論相手が男だということは伏せているだろうが、母親に自分の存在を明らかにしてくれていることが面映ゆい。
「結構きつめに締めてたけど、痛みはどんな感じ?」
「つけると楽です。肋骨もヒビで済んで3~4週間で治ると言われて安心しました」
「咳もくしゃみも笑うのも控えなきゃいけないから大変だ」
「それより、しばらくお預けになるのが悲しい」
「お預け? なにが?」
無言で見つめる岸田の言わんとしていることがわかった原は、辺りに人がいないことを確かめて こう言った。
「大丈夫、楽しむ方法は他にもある。うんと可愛がってあげるよ」
付き合い始めの頃は男同士の交わりが不慣れだと言っていた彼だが、今では翻弄させる術を身に着けてくれたことに、岸田が顔を上気させていたら―――
「そう言えば、あれってどうしたの?」
【あれ】と言われてドキリとする。唯一の心当たりといえば……
――― 義兄さんの痕跡は消したはず…… って言うか、使ったものはコーヒーカップくらいなのに、なんで?
「な、何かありました?」
「台所にあった缶ビールと日本酒。冷蔵庫にはワインとシャンパンもあったよね。一気に酒が増えてたから驚いた」
「あ……」と、言ったまま固まる岸田。
原がいない正月は酒三昧で過ごすつもりでいた。しかし、室井の訪問と思いがけぬ怪我、そして原の1日前倒しの帰省のために殆ど飲むことが出来なかった。
「酒豪だってことは知ってたけど、俺が留守中 飲み続けるつもりだったの?」
【あれ】が室井を指したものではなかったことに安堵したのも束の間、別件で窮地に立たされる岸田。
「えっと、一人で過ごすのが寂しかったから……」
「怜ってさ、何でも酒で紛らわそうとするよね。初めて君んちに行ったとき、部屋中にビールの空き缶が転がってたのを思い出しちゃった」
そう…… あの時、岸田は失恋した憂さを晴らすために酒に溺れて体調を崩し、処方された薬を届けにやって来た原に その有様を見られた。
「顔に似合わず飲兵衛なんだから。やっぱ南九州の人間だよな」
「アルコール耐性遺伝子の保有率全国第2位ですから、あの県は」
「さすが博学ぅ~♪ じゃなくて、飲み過ぎは体に良くないからね」
「はい……」
「一緒にいる時はあんまり飲まないけど、遠慮してたんだな」
「まあ、少しだけ……」
「だから、俺のいない時に憂さを晴らしたんだ」
図星を刺された岸田は しょげかえった。怪我した上に恋人からお小言を言われて最悪だ。
そんな岸田を横目で見た原はニヤリとした。
「飲み過ぎは良くないけど遠慮するのは窮屈だよね。じゃあ、いつも半分こしていた晩酌のビール、350mlから500mlにしようか?」
「いいですって」
「そのくらい増やしたって大丈夫。我慢するとストレスが溜まるしね。そうだ、帰ったら あのシャンパン開けよう。お節をあてにして飲んだら きっと最高だよ。もうついでに赤ワインもいっちゃう? 今日は元旦だしさ」
そう言って屈託なく笑う恋人が有難くて愛おしいのだけれども……
――― その【半分こ】の概念、そっちをどうにかしてっ!
そう歯痒く思う岸田であった。
――― end
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