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なんで地元の俺が案内されているんだろう――― そう思いながら、岸田は朱色と金色で彩られた四川料理店の前に佇んでいた。「昼飯を付き合え」と言った当の本人は東京出身。なのに、迷うことなく構内を歩き、エスカレーターを使い、地下街を通り抜けて とあるオフィスビルの一角までやってきた。
「辛いの大丈夫?…… って、もう連れて来ちゃったけど」
「ここ、来たことがあるんです?」
「出張で訪れた時、クライアントさんが連れて行ってくれたんだ。手頃な値段なのに旨くて雰囲気が良かったから覚えてた」
その返事に『本当だろうか?』と首を傾げる岸田。こんなディープな場所、何も見ずにスイスイ行けるものなのか?
この義兄、美男ではないけれど職業柄クリエイティブで博学。身なりにも気づかってモテる部類に入る。姉との間に子はおらず、互いを縛りつけない夫婦関係のようなので、妻の知らない所で遊んでいるのかも――― と勘繰りながら中に入って更に驚いた。室井は予約を取っていた、しかも個室を。二人掛けの円卓がやっと収まるような密室に通された岸田は思わず後退った。
「コートは壁にかけてね」と言われて おずおず脱ぐと、それを奪われハンガーに吊るされる。気持ちを落ち着かせるために天井からぶら下がった色鮮やかなランタンを眺めていたら「どう、気に入った?」と尋ねられた。
「ち、小さくて可愛い部屋ですね」
「デートには打って付けつけの場所さ」
デートと言われて動揺した岸田が「自分が相手ですみません」と、シドロモドロに答えると「だって、そうじゃない?」と微笑まれ、思わず生唾を飲み込んだ。
そんな岸田の動揺を知ってか知らでか、室井はメニューを広げて目を走らせると
「昼飯済んだ?」
「まだです」
「なら良かった。ここ、重慶火鍋が有名なんだけど、それでいい?」
「構いません」
「あとお勧めなのが…… 麻婆豆腐と茄子の挽肉詰め揚げ、それと冷菜も欲しいな」
室井が次々と決めていく様をあっけにとられていたら「よく飲みに行くの?」と尋ねられた。
「スタッフとは歓送迎会くらいだけど、店長会議後の飲み会とか市の薬剤師会の懇親会で月に1~2回ってところかな。義兄さんは?」
「俺はしょっちゅう。でも、今日は怜君と飲めて嬉しいよ」
その言葉に岸田は目が点になる。こんな真っ昼間から飲むつもりなのか?
室井はメニューの最後を開いて飲物を選び始めた。「最初はビールで乾杯だな」と上機嫌に言われると断りづらい。「これから用事でもあるの?」と聞かれて否定できない岸田は諦めモードに突入した。
――― どうせ帰ってもやることないし、今日は彼に付き合うか
「怜君とさしで飲むのって久しぶりだな」と室井が岸田のグラスにビールをつぎ足すと、瓶を受け取った岸田がそそぎ返す。空になると すかさず注文。この店一押しの火鍋は汗が噴き出すほど辛さで2本目も瞬く間に飲み干してしまった。「相変わらず強いねぇ」「義兄さんには負けますって」と言い合う二人は、親戚の集まりでも最後までダラダラ飲むクチだった。
岸田はいい具合に酔っぱらい、ここへ来た時の緊張感も和らいでいた。それどころか、個室で寛いで飲むことが出来て良かったとさえ思うようになっていた。酔うと室井の話術が冴えわたり、彼が語る仕事の話を前のめりで聞く。それがひと段落すると、室井は岸田の近況を知りたがり、至極デリケートなことまで触れてきた。
「君のいない正月って気の抜けたビールみたいだよ。もう跡取り問題は解決したんだから仲違いは止めて実家へ顔を出したら? なんなら、俺が間に入って とりなそうか?」
この言葉に、岸田は酔いが一気に冷めるのを感じた。
――― 相談したいって このことだったのか?
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