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6.距離
その日の夜、柚希を寝かした後、彼からLINEが来た。
『今日はお付き合いくださり、本当にありがとうございました』
返事どうしようかな?って画面を眺めながら考えている最中、再び彼からLINEが来る。
『遊園地で江川さんの様子がいつもと違ったこと、やっぱり気になってしまいます。今日、もしも無理やり遊園地に付き合わせてしまっていたり、本当に僕が何かやらかしてしまっていたら、ごめんなさい。何か言いたいことがあれば遠慮なく言ってください。いえ、無理して言わなくてもいいのですが。とにかく気になってしまいました。今日はお疲れ様でした。おやすみなさい』
やらかすだなんて……。
彼が私との関係を、適当な間柄だと思っていたのならこんなLINE、送って来ないよね?
自分の気持ちを伝えるのが得意ではないけれど、今思っていることを素直に伝えてみることにした。
『実は私、生田さんと元カノさんが一緒のところを撮られていた記事を見たのですが、生田さんと彼女さんは、現在お付き合いしていらっしゃるのかな?って気になっていまして。プライベートに踏み込むなって感じですよね。すみません。今日はありがとうございました。おやすみなさい』
こんな内容、迷惑だろうなって、送るのをためらってしまったけれど、勢いで送信を押した。送ってから後悔。返事、来ないだろうな。っていうか、今、生田さん、彼女さんと一緒にいそう。
そして、斗和ちゃんも。三人で楽しく過ごしているのかも。
想像なんてしたくないのに、勝手に三人一緒にいる映像が頭の中に流れてくる。復縁の記事を見てからずっと。そして私は今、その頭の中に流れてくる映像に、嫉妬してる。
――こんなの、私ひとりだけが辛いやつじゃん。
送ってから、一分もしないうちにスマホの画面に『着信 生田さん』の文字が。
彼からの着信は予想外。
心臓が跳ね上がり、鼓動が速くなる。
マナーモードにしてあったから幸い音は出ず、そばで寝ていた柚希を起こさずにすんだ。
私は話し声で柚希を起こさないように、寝室から離れた。そしてトイレへ行き、ドアを閉めた。
震えながら、電話に出るマークを押した。
「もしもし」
トイレのドアは閉めたけれど、一応声が漏れないように、ささやくような声で私は電話に出た。
「もしもし、あの、柚希ちゃん寝かせてる途中だったとか、忙しい時間にかけてしまったのでしたら、すみません。お時間、今大丈夫ですか?」
彼も私と同じようにささやくような声。きっと寝てる斗和ちゃんに気を使っているのかな? それとも、彼女さんにバレないように?
「いえ、大丈夫です。私の方こそ、なんか変なLINE送ってごめんなさい」
「いえ、僕の方こそ、色々本当にごめんなさい。あの、僕と夏葉は……」
『夏葉』。あの女優さんの名前だ。呼び捨て。改めてその親しみ込めた呼び方に、ふたりは特別な関係なのだと思い知らされる。真実を語られるのが急に怖くなり、私は彼の言葉を遮った。
「あの、私たち、今日みたいにこうやって会わない方が、良いですよね? 彼女さんだってあんまり良く思わないとおもうんです。私も元旦那にコソコソやられてて、すごく嫌だったので……」
「いや、違うんです。彼女とは……」
「LINEも、ご飯を食べに行くのも辞めて、でも、保育園で会った時は普通に話したいかな? なんて、私ワガママですね、すみません」
どうしよう。このまま話していたら絶対に泣く。彼に涙声なんて聞かせたくない。
「すみません! そろそろ私、寝ますね! おやすみなさい」
一方的に話して、一方的に電話を切ってしまった。
トイレの中で崩れ落ちる。
本当は、今日みたいに会いたいし、ご飯も一緒に食べに行きたい。LINEだって、今よりも沢山したいし。実際、毎日いっぱいいっぱいな生活の中で、彼の存在が心の支えにもなっているし。
言いたいこととは逆のことを言ってしまうし、嫉妬、妬み、良くない感情も絡み合ってくる。
こんなに面倒臭くて、でもその存在が支えで、愛しくて。
恋愛でこんなに乱れたのは初めてだ。
しんどい。
苦しい。
心が痛む。
声を押し殺して思いきり泣いた。
手に届く場所にあるトイレットペーパーで溢れ出てくる涙を何回も拭いた。
今の私は恋に焦がれるだけの女だ。
朝起きたら、きちんと柚希のママに戻らなきゃ。
なんとか立ち上がり、私は寝室に戻った。
次の日の朝、起きてすぐ枕元に置いてあるスマホを確認すると、彼からLINEが来ていた。
『きちんと、お話がしたいです』
どう返事をすれば良いのか、返事をしても良いのか、何も決められなくて、頭の中がぐちゃぐちゃで、結局何も返せなかった。
昨日の電話、彼からきちんと彼女との関係を訊けば良かったのかもしれない。でも、本当に怖かった。ふたりが恋人である真実を知ってしまえば、今の私の状態だと、心が闇に、どん底に、確実に落ちてしまう。
真実を知るのは、もう少し先の、彼に対しての私の想いが薄くなり、消えてしまってからでいい。
彼と彼女が幸せな顔して一緒にいる姿を、負の感情こじらせずに、きちんとひとりのファンとして祝福出来るようになってから。
そう、本来ならばこうなるべき。
保育園でたまに出会うだけの、子供が同級生の親同士な関係。
元々私たちは、天と地のような、違う世界に住んでいる。
私は今『自ら彼と離れる行動』を、無理やり正当化させようともしている。そうやって、傷つくルートを絶って進んで行かなければならない。だって、今、私が壊れてしまえば、誰が柚希を守るの?
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