Episode1.極寒の叛逆地獄(アリーチェの溜息)②

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Episode1.極寒の叛逆地獄(アリーチェの溜息)②

 わたくしは、可愛いものが大好きですわ。美しいものももちろん大変好ましく思っておりますのよ。 アリーチェは身を切るような風に晒されながら、今までのこととこれからのことについて思索していた。実用的なデザインの毛皮のコートも、寒冷地用のブーツも、手袋・マフラー・帽子、それらを身に着けていてもなお、凍えるような風に体温は少しずつ奪われていく。…まだ、領地の入り口付近だというのに。  どうしてでしょうか。と、アリーチェは逡巡する。目の前に広がるこの極寒の地は、雪と氷が煌めいて景色だけは美しい。その美しさに見惚れながら、ふとアリーチェは自身の両の掌に視線を移した。今は手袋に覆われているけれど、素手になれば剣胼胝(けんだこ)のある令嬢にしてはごつめの見慣れた掌だ。身長も高めで、元婚約者の王太子とほぼ同じくらいだった。ヒールのある靴を履けば王太子よりも高くなってしまうので、ドレスの時でも底の薄い室内履きのような特注の靴を履いていた。鍛えていた体は、屈強な騎士たちには劣るものの、日ごろ鍛えていない文官(成人男性)よりは逞しい体つきである。 「おかげで、わたくし好みの可愛らしいドレスが似合いませんのよね。」 ぽつり、とアリーチェは溜息交じりに呟いた。実際、ドレスより騎士団の制服の方が似合うと自他共に認めるほどだ。それが、王太子に避けられる一因だったのだとアリーチェは自覚している。  全てがおかしくなったのは、あの日。忘れもしない、お母さまが急逝する日の五日前のこと。  唐突に、視界と思考が混濁した四歳のある日の出来事。当時は無邪気な子供だったと、アリーチェは懐かしく思い出す。あの時はまだ、普通の女の子として育てられていたのに。無邪気すぎて、夏の日差しの中帽子も日傘も使わずに遊びまわって、倒れたあの時。  唐突に思い出した。わたしは日本人だった(・・・・・・)と。いわゆる異世界転生というものだったのでしょう。転生する前に、女性にあったなあ、と混濁する意識の中で思い返していた時、 『あーあー、マジか。』 『もーいーや、コイツ悪役令嬢とかってのから外そう。』 『えぇ? 今から他の探すの大変じゃね?』 『じゃあどうすんの?』 と、子供が言い合う声が聞こえてきたのだった。 『取り敢えずアイツがもう介入しないように見せしめでさあ…』 子供故の無邪気な残酷さ、それを孕んだ声が嗤いながら、さも楽しい悪戯を思い付いたと、クスクスと嗤い合う声が延々と谺する中で、意識が遠くなったことまでアリーチェは思い出して「胸糞悪い」と吐き捨てる。  実際アリーチェには胸糞悪い展開しか待っていなかった。その日のうちにアリーチェは目覚めたが入れ替わるように母親が原因不明の病に倒れ、五日後にはそのまま帰らぬ人となった。  妻を亡くした悲しみ故か、アリーチェの父親は彼女に対する態度と教育方針を変えた。当時のアリーチェはおかしくなったか別人に入れ替わったのではないかと本気で恐れ父の身を案じたものだった。アリーチェだけでなく、彼を知る者は気が狂れたのではないかと疑ったほどには、実子に対して厳しい態度をとるようになったのだ。  アリーチェに、まるで男子のような教育を施し、同時に淑女の教育も思い出したように受けさせる。出来なければ激しい体罰のような訓練を課すので、幼い少女を哀れに思った侍女たちが嘆願すれば容赦なくクビにしていった。 母親が生きていた頃の、優しい思い出がアリーチェの中には残っている。優しく聡明だった父親の姿が、その笑顔が、アリーチェの小さな胸を締め付けた。 「わたくしが不出来なのがいけないのですわ。」 日本人だった頃の記憶はぼんやりとしたものだったけれど、その記憶がアリーチェの精神年齢と精神力を底上げしたのだろう。鬼のような父親の所業に耐え抜き、いつか、昔のように優しい父親に戻ってくれるのではないかと血反吐を吐くような日々の訓練もこなしていった。  それでも苛烈な日々に、いつしかアリーチェは笑顔を忘れていた。忘れていたことに、この銀世界を目の前にしてようやく気付いた。これでは王太子でなくても毛嫌いされてしまう、と溜息を零す。 「そうして、結果この有様ですわ。」 アリーチェは見つめていた手を握る。この北の辺境に贈られることになっても、ついに父は娘を庇うことはなかった。  日を追う毎に、前世の記憶が僅かに戻ってくる。あの日の子供の幻聴が何だったのかを調べなくてはならないと、前世のわたくしが囁いている。 「お父様は… もしかしたら、操られているのかもしれませんものね。」 意を決し、彼女は一歩を踏み出した。  叛逆者の地獄、極寒の流刑地へと。
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