3話 海底の化け物

1/1
前へ
/7ページ
次へ

3話 海底の化け物

 両親に気づかれないように、なるべく音を立てずに玄関を開ける。ほんの少しあなたの鼓動が早くなるのを、緊張した面持ちからも察することが出来た。風の音で気づかれる心配もあったけれど、幸いリビングからはテレビの音声と両親が何か会話をしているのが聞こえてきて、玄関が開いたことには気づかないようだった。  無事部屋に戻ったものの、安心した途端ぶるりとあなたの体が震える。  雨に濡れて冷えた皮膚にまとわりつく、部屋着の感触が気持ち悪いのだろう。一方玻璃の方はあまり濡れていない。 「瑠璃、お風呂行ってきたら?」 「でもさっき入ったしママたちに変に思われない?」 「風邪ひいちゃうよ!」  玻璃の言い分は尤もだった。ただこのまま浴室に向かうにしても、濡れた部屋着のままでは不都合かも知れない。あなたは部屋着を一旦脱ぎ、軽くタオルで体を拭いてから別の部屋着に着替えた。どうせまた脱ぐことになるだろうけど、仕方がない。 「お風呂で寝ないでね。前に溺れかけたでしょ」 「わかってるよ、玻璃に言われなくても」  そっと階段を下り、浴室に行く途中リビングの様子を耳だけで伺う。ママはコーヒーを淹れているところのようで、作業をしながらパパと何か話していた。あなたの名前がところどころで出てきたものの、詳しく聞いている余裕はなかった。  大丈夫、今ならきっと気づかれない。あなたは足早に浴室に移動すると、冷えた体を温めた。  軽くシャワーで流したあと、すぐに浴槽に体を沈める。じんわりお湯のぬくもりがあなたの体を包み込み、どこか緊張していた心を解してくれた。  暗い夜の海は、あなたにとっては少し怖い存在だ。灯台が照らしているならともかく、今は稼働していない。  寂しい、暗い夜だ。 「さっきのスカーフ……」  持ち主のわからない赤いスカーフ。濡れたままのそれを、学習机の上に置いてきた。何故あなたはあんなものを気にしたのだろう。わざわざ悪天候の中探しに行くような理由でもあるのだろうか。あなた自身、赤いスカーフの意味をきっと理解していないのだ。 「凄く……似てた……」  先程灯台で見た気がした人物について、あなたは思考を巡らせる。  あれはあなた自身ではなかったか? だとしたら何故? 幻を見たのだろうか――  ぼんやりとお湯に浸かっていたら、あなたはいつの間にか眠りに落ちていた。先程玻璃にお風呂で寝ないように釘を刺されたのに、抗えないほどの睡魔に襲われる。  ――海へ、  か・え・り・た・い。    波や風、雨の音が重なって聞こえてきて、あなたを意識の深いところへ(いざな)う。まるで海に棲む化け物(クラーケン)が、獲物を海底へ引きずり込んでゆくかのような強く深い眠りだった。  あなたの髪にまとわりついた微かな潮の匂いが、湯気でけむる浴室に漂っていた。      
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加